20230301『力と交換様式』第3部 柄谷行人

第三部資本主義の科学p259-320

第一章経済学批判~貨幣や資本という「幽霊」、

2 一八四八革命と皇帝の下での「社会主義」、p264 一八四八年、マルクスとエンゲルスは革命運動への新参者で無力。前年、インターナショナルな共産主義者同盟を組織し、『共産党宣言』を刊行したが、各地の革命にはほとんど参入できなかった。ヨーロッパの四八年革命は、まずシチリアでの革命、次にフランスで二月革命、ドイツで三月革命、さらに、イタリアで独立運動、イギリスでチャーティスト運動、ハンガリーやボヘミアでは民族独立運動。p266 序論でも述べたように、一八四八年の革命は、社会主義の敗北であると同時に、ある意味で、その実現。(略)この革命以後、ヨーロッパ各地で、資本=ネーション=国家が生まれた。p267 この時点でマルクスは、新たな幽霊を見出した。〈共産主義〉にかわって〈資本主義〉という幽霊を。

「物神の現象学」としての『資本論』、マルクスとホッブズ、株式会社、イギリスのヘゲモニー。

第二章資本=ネーション(民族、国民=国家~死滅しない国家、カントの「平和連合」、

4帝国主義戦争とネーション、p291 ネーション(民族、国民)の基盤が絶対王政の下でつくられた。ネーションは、国家と切り離せず、同時に国家と違う。また、国家が破壊されても残る観念的な「力」としてある。その意味で、ネーションも一種の〈霊〉だ。ドイツでネーションという観念が強く出てきたのは、カントが『永遠平和のために』を書いた後に始まったナポレオン戦争の時期である。典型が、フィヒテの『ドイツ国民に告ぐ』(一八〇八年)である。以来、ドイツに「国民」(ネーション)が現れた。(略)一八四八年革命が歴史的に重要なのは、その時点で、資本=ネーション=国家が各地に出現したからだ。

交換様式から見た資本主義、資本の自己増殖を可能にする絶え間ない「差異化」、新古典派の「科学」。

第三章資本主義の終わり~1革命運動とマルクス主義、2十月革命の帰結、3二〇世紀の世界資本主義、4新自由主義という名の「新帝国主義」、

5ポスト資本主義・ポスト社会主義論 p313 ソ連崩壊後のもう一つの変化。資本主義陣営は〈新自由主義〉。労働者保護をやめ、格差拡大。奇妙な結果として、マルクス『資本論』再評価。トマ・ピケティ『21世紀の資本』は、格差是正のために、国家の介入による累進課税提案。これは、新自由主義に斥けられたケインズ主義あるいは〈社会民主主義〉の回復。典型的に示すのが〈ベーシックインカム〉。資本主義の揚棄ではなく、ネーション=国家でそれを支え維持しようとする。交換様式では、BとAを前面に出すことで、Cを維持する。※ベーシックインカムは、資本主義を終わらせる考えではない、か。 p314 ジェレミー・リフキンは、情報産業発展と共に「共有型経済」が可能になるという。新たな「生産力(※なるほど所詮情報も生産力か)」の発展とともに、ロシア型とは異なる〈ポスト社会主義〉が可能になった、と。しかし、これらを実行する〈力〉をもつのは、資本と国家。資本と国家がそのような社会改造を受け入れるなら、自らの存続のため。資本と国家の揚棄にはならない。このような社会改造案に共通するのは、資本主義経済を、人間の意志によって操作できると考えること。しかし、資本や国家の力は、物神や怪獣の〈力〉であり、人間の意志を越えたものだ。〈ポスト資本主義(ピケティなど)〉や〈ポスト社会主義(リフキンなど)〉は、その力を見ない。その挙げ句、ろくに読んだこともないマルクスの『資本論』の〈再評価〉まで出てきた。『資本論』を今読む価値は、階級格差を解決する社会主義提案ではない。それは、資本主義がなぜ、且つ、いかにして続くのかを解明しようとするものだった。つまり、その鍵を、交換から生まれるかんねんてきな「力」、すなわち物神に見出したことにある。

6晩年のマルクスとエンゲルスの仕事、7環境危機と「交通」における「力」。

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