牙を研げ 佐藤優

p9 第一章 中間管理職のための仕事術――独断専行の研究 p13 『作戦要務令』は、一九三八年、旧日本陸軍の円熟期につくられたマニュアル。日本の組織文化というものをよく理解していて、どのように実際の部隊を動かしていくかが…

20170519 舞台をまわす、舞台がまわる 第二回 山崎正和

鴨沂高校、京都大学文学部時代 p53 私より二年ほどの先輩が、ある日、「俺は理由なく自殺する」という。「理由なく」を、強調するんです。「不幸だとか苦しいとかいって自殺するやつは馬鹿だ。それは弱いだけの話。俺はいま幸せで、…

20170509 舞台をまわす、舞台がまわる 第一回 山崎正和

p32 強く印象に残っているのは、満州国政府および日本の支配がなくなった途端に、文字通りの無政府状態が生まれたということです。私はどの政治学者よりも、無政府状態がいかに怖ろしいかを知っています。そしてどんなに悪い政府でも…

20170506 小品No.355 かの恋

かの恋 仏のたまはく 独生独死独去独来(どくしょうどくしどっこどくらい) 独り生まれ独り死ぬ 独り来たらば独り去りゆく 置き去られた子は 置き去られたままが 落ち着く先だろう 愛されなかった子は 愛されぬままが 落ち着く…

20170506 慶応三年の水練侍 木村忠啓

p7  伊勢神宮の警護の任を帯びた藤堂家は、海防論の広まりを受け、 弘化四年(一八四七)四月には志摩沿岸の測量、 嘉永二年(一八四九)には西洋砲術の採用、火薬製造場と砲工廠の建設、と矢継ぎ早の強兵策を行っている。  この…