京都-20080720


01-出発。近鉄桔梗が丘駅。本日のガイド


02-到着。近鉄京都駅から市営地下鉄へ。


03-地下鉄四条から、阪急に乗換。大宮駅下車。壬生寺を目指す。


04-西に300m。途中、案内板あり。


05-屯所跡が目指す場所。旧・八木邸だと。


06-坊城通、南へ。案内板あり。


07-曲がるとすぐ神社。…素通り。


08-途中、旧前川邸。やはり新撰組の屯所跡。土日のみ一部公開。


09-ご覧の通り。


10-前川邸を覗くと、こんな感じ。


11-今は田野さんの家なんですね。


12-文久3年(1863)2月27日新選組結成。この頃長州藩が京都朝廷を牛耳っていた。
前川邸からすぐ。旧八木邸の新撰組屯所跡。昔にちょい想いをはせるが…暑い。この日はあとで聞くと36℃を超えていたらしい。


13-同じく、旧八木邸。
文久3年(1863)8月18日七卿落ち。新撰組も出動。薩摩と会津が牛耳る。
文久3年(1863)9月18日芹沢鴨暗殺


14-となりが壬生寺。余りの暑さに中には入らず。


15-壬生寺の帰り道、通りすがりの古着屋で帽子を購入。…あやしい…。


16-阪急大宮駅交差点。ここから嵐山行きの電車があるんですね。


17-30分くらい歩いたかなあ。本能寺の跡です。信長が死んだとされる場所ですね。
メモによれば、油小路通(南北)蛸薬師(東西)山田町。特養老人ホーム。


18-本能寺跡。汚れて字がよく読めなかった。なぜ綺麗にしない?


19-こんな感じの建物に。何屋さんかは忘れました(特養老人ホーム?)。時の流れですね。


20-あまりに暑いのでついにハンカチの力を借ります。…あやしすぎる…。


21-途中看板を見つけて。南蛮寺跡とか。


22-キリスト教の牧師たちの夢の跡ってとこですか。


23-次のお目当て、六角堂。聖徳太子創建。親鸞聖人ゆかりの地。
メモによれば、烏丸通(南北)六角通(東西。蛸薬師の一本北)。


24-六角堂鐘楼だそうで。


25-六角堂入り口。


26-六角堂内部。


27-猛暑の中、歩いていますと、移築後の本能寺を見つける。


28-信長の廟所があるんですね。墓、か。


29-今回のメイン。高瀬川近辺、幕末志士たちの夢の跡。
地図のみ
まずは長州の大村益次郎寓居(*)の跡。店が営業中で、石碑のみ。まあ、そりゃあそうだろうけど。
*寓居…一時住んだ場所。


30-長州の桂小五郎と幾松さんが住んでいた処。現在はやはり飲食店。屋号は「幾松」。


31-松代の佐久間象山遭難地。大村益次郎の遭難地でもある。
元治元年(1864)7月11日佐久間象山暗殺。三条木屋町で肥後の河上彦斎、因州の前田伊右衛門等の手にかかる。享年54。
明治2年(1869)9月4日大村益次郎、京都三条木屋町上ルの旅館で刺客に襲われ重傷。11月5日死亡。享年46。
高瀬川をゆっくりと北へ。


32-高瀬川一之舟入(たかせがわいちのふないり)…だそうで。幕末には関係なし。


33-ここから加茂川の川原に下りました。夏ということで川床の仕掛けをどの店も出しております。


34-ここで夜は川床料理というか懐石を楽しむ予定。「めん坊」さん。


35-「たんたか」で昼食後、ふらっと散歩続行。が、暑い。暑すぎるのだ…で、喫茶店らしき店に。


36-ハイネケンを飲んで、しばし読書。この店、評判良いみたいで後日検索するとたくさんヒット。
CAFE KOCSIはこちら


37-錦市場ちょっと覗いたら…おそろしく人が歩きまくっていたので、すぐ退散。横道にそれる。


38-四条河原町までもどって、近江屋跡。土佐の竜馬と慎太郎が暗殺された場所。


39-今は、なんだっけ、パチンコ屋だっけ?この日はシャッターが。…あんまりだよなあ…。


40-中岡慎太郎寓居の跡。 あぶらとり紙屋さん?中には入りません。(入れません)


41-慎太郎の寓居は暗殺された場所のほぼ真向かいです。


42-これちょっとほしかったなあ。


43-池田屋事件の前、新撰組に拷問されて白状してしまった。近江の古高俊太郎の邸跡。
元治元年(1864)7月19日禁門の変。21日、福岡の平野國臣/享年37、近江の古高俊太郎/享年36ら、六角獄舎で処刑。


44-現在は、「しる幸」。みそ汁で有名だそうで。


45-高瀬川風景。昔、ソワレって喫茶店があったけどなあ。もう30年近く前。何もわかってなかった頃。…まあ、今もかわんねえか。


46- 本間精一郎遭難の地。新潟県長岡市の勤皇の志士。山形県庄内の清河八郎らと親交を結ぶ。


47-文久2年(1862)閏8月、越後浪士本間精一郎暗殺。享年28。
うんと酒を飲まされて、同志に暗殺された。実行者は薩摩の田中新兵衛、土佐の岡田以蔵という…何という生涯。合掌。


48-角倉了以のなにか。幕末とは関係なし。このちょっと前、暑くてたまらないので、水を自販機で購入して一気飲み。用心しないと身体壊すな、とか思い始めていたくらい。


49-同上。四条から木屋町通りをゆっくり北へ。


50-土佐藩邸跡。


51-同上。


52-彦根藩邸跡。井伊直弼とかですね。


53-左折して竜馬通へ。竜馬の寓居跡。酢屋ですね。


54-同じく酢屋。二階に竜馬ギャラリーが設置されています。


55-三条通。池田屋跡。新撰組大活躍。


56-同上。元治元年(1864)6月5日池田屋騒動。土佐の吉田稔麿/享年24、肥後の宮部鼎蔵/享年45ら死す。


57-三条通木屋町上がる。土佐の武市瑞山と吉村寅太郎の寓居跡。


58-武市瑞山寓居跡。
慶応元年(1865)閏5月11日武市瑞山「君主に対する不敬行為」という罪目で切腹。享年36。


59-吉村寅太郎寓居跡。
文久3年(1863)8月14日天誅組の変。吉村虎太郎、中山忠光を連れ出す。
文久3年(1863)9月27日天誅組の変で、吉村虎太郎死す。享年27。


60-佐久間象山寓居跡。


61-同上。
この後、16時から、幼馴染のSW氏と偶然会える。長州藩邸跡に建設された京都オークラホテルにて。奥様もお元気そうでよかったです。祈願家内安全。


62-二条城。ここからは、翌7月21日。
前日の18時にMN氏と「めん坊」で待ち合わせ。エライハイペースでビールを二人とも飲み続け、いい気分ではしご酒。先斗町あたりで超ご機嫌でした。一軒は「先斗町BAR吉祥」だと思います。もう一軒は…?
で、宿泊先の最寄「二条城」から史跡めぐり続行。


63-二条城


64-堀川通りを北上。最近有名な、そうです「清明神社」。陰陽師安倍清明。


65-隣りに怪しい陰陽師グッズショップ。


66-しばし歩いて京都御所…っていうか、御苑です。広い。


67-案内板。


68-喫茶店で水分補給の後、1000年記念の廬山寺へ。なにが記念かって、源氏物語1000年記念だそうで。廬山寺は紫式部が住んでいたそうです。せっかくだから行ってみました。


69-廬山寺。
この後、新福って屋号だと思ったけど、そこで京都らしいラーメンを。濃い醤油味のスープでした。
店を出たらジャストのタイミングで京都駅行きのバスに乗れました。
3時過ぎに帰宅。お疲れさまでした。

京都-20080720」への1件のフィードバック

  1. 京都、大変満喫してますネ。
    ハンカチあやしいですが、気持ちわかります。

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