【第五部】現代〈Ⅱ〉メルロポンティ~デリダ
■41『行動の構造』メルロポンティ 行動そのものが〈意味〉なので〈ある〉。 p360 近代、人間が神の被造物という考えが崩れるとともに、心と身体の関係を問う「心身問題」誕生。 p361 メルロポンティによると、人間の行動は、単なる身体動作ではなく、その本質構造は、「いまある(実存)」を超えて「ありうる」をめがける(企投)こと。※受験合格のために試験勉強をするみたいなこと? 当然だな。 p363 反射(刺激と反応の因果系列)を行動の基本要素とみなす反射学説は錯覚に基づいている。※現時点ではつまらんな。2023.5.10
■42『知覚の現象学』メルロポンティ p377 道具は私の身体を広げてくれる。(身体化)※文中で道具の例として挙げられているのは、杖、車。ならばカネもそういう道具だろう。 p377 〈身体〉を、「ありうる」を目がける実存の〈条件〉としたのは、哲学史上メルロポンティが初めて。※やはり現時点ではつまらんな。当たり前だろ。2023.5.10
■43『存在と無』絶対的自由の倫理学 サルトル(1905-1980) p379私は自由であるべく運命づけられている。『存在と無』p379 「ある」とはどういうことか。サルトルは、フッサール的な現象学を批判しつつ、ハイデガー的な実存論を手がかりに、独自の存在論を展開。
※この世界には目的や意味などない。(NHK『100分で名著 カミュ ペスト』2018年6月放送)
「実存主義サルトル」と「不条理の哲学カミュ」は同時代。世界の二大スター。 p381 〈対自存在〉。人間は自分の存在について絶えず「選択」を行いながら存在。そして、「いまある」から「あるべき」へ向かって、つねに自分自身のあり方を〈自由に超え出でていくような存在〉である。p382 同時に人間は〈対他存在〉、「まなざし。見られる存在」。※あったりまえだな。p383 他者のまなざしは、私にとってあらゆる対象性の破壊であり、世界を通じて私を襲う。※宇多田ヒカルの「(自由になろうと思っても)どーにもならん」だな。 p385 自由とは、〈あるべき(※夢の、理想の)〉未来をつくるための根本条件。※この世限定かな。p385 自由とは、未来の〈あるべき〉選択を可能にする根本条件。※そのためにはカネが不可欠なのが資本主義社会。あるべき未来が共有主義者社会だとすれば、脱資本主義は必須。 p385 サルトルのこの主張は、第二次大戦でドイツ軍の捕虜になり、脱走後、レジスタンス活動に参加。p386 しかし、そのような極限状態からの倫理はルール違反。一般的市民感覚の倫理ではない。※そうかな? 諸行無常ゆえに日常は実は極限状態。そして、自由こそは幸福な人生のための根本条件。
■44『悲しき熱帯』文化人類学(目的は人類文化の共通構造を明らかにする)のバイブル レヴィストロース(1908-2009) p387 1930年代のブラジル現地調査紀行文、そしてレヴィストロース自叙伝。p389 人々が秘境のロマンという幻想を甘受。なぜ? 西洋社会(※資本主義)が人間を単色に塗りつぶしている事実に耐えられないから。もはや後戻りはできない。レヴィストロースは諦めにも似た危機感。(略)高校から大学時代にかけて、レヴィストロースはマルクス主義に傾倒。p395 強制的であれ自発的であれ、「私が首長だ」「はい、そうです」という相互了解がなければ社会は成立しない。各人は個々に生きていただろう。〈社会契約〉は、この観点から初めて評価できる考え方。つまり、「社会契約の存在は実証不可能」という評価はナンセンス。社会契約は、社会構造の成立という観点から着目せよ。
■45『エロティシズム』バタイユ
■46『人間の条件』近代社会=労働社会批判 アーレント(1906-1975)p406 「労働(※経済)」は(生命維持の)必要性によって「奴隷化」されること。p407 「機械」によって、「必要性」による奴隷化(労働の苦痛)が実感しにくくなる。そして「自由になろう」とする動機を維持しにくくなる。「余暇」は労働による富の消費にしか使われないことが問題。余暇はすべてを消費の対象にする。その結果、自由を実感するための営みである「活動(※政治)」に向かうことから人間を遠ざける。なお、余暇の消費対象は、「仕事(※芸術)」によって生み出される製作物に対しても向けられる。※商業音楽は芸術ではなくなる。カネがすべてを喰らう、か。 p410 「活動」とは、国籍や人種、性別といった差異性を踏まえつつ、それぞれの固有性や独自性を承認したうえで成立する言論の営み。※具体的には「あなたは同性愛者なのだね。それは承認するよ。そのうえで言いたいことがある。殺人は認めない。(略)」って感じか。 p411 すべての価値を〈生命維持〉という観点から意味づける〈労働社会(※資本主義社会)〉では、〈活動(※言論と芸術)〉は「時間の無駄」とされる。 p412 古代ギリシアは、〈仕事〉〈活動〉が〈労働〉の上。キリスト教がこれを逆にした。キリスト教は、人間の命を最高善としたから。ゆえに、命の維持のための必要性である〈労働〉が、〈仕事〉〈活動〉の上。労働は聖なる義務となった。※労働を聖なる義務とみなすのはプロテスタントではないのか。カトリックは労働を忌避する。エデンから追放された結果が労働だから。
■47『革命について』アーレント
■48『全体性と無限』レヴィナス
■49『言葉と物』フーコー
■50『声と現象』デリダ