20230220『力と交換様式』第1部 柄谷行人KARATANI KOJIN

第1部 予備的考察 力とは何か p48 (※例えば)国家の「力」を一種の霊的な力として考えるのは非科学的と斥けられる。類似問題は自然科学でも起こった。p49 一七世紀までの西欧の自然学では、「力」は接触または衝突で生まれる。そう考えられ、遠隔的な力は、神の力とか魔術と見られていた。磁石は古代からあり、鉄を引きつける。それを実在の「力」と見ることを、スコラ学(中世ヨーロッパの権威)は斥けた。〈物が自ら動くことはない〉と考えた。キリスト教というより、アリストテレスの考えだった。アリストテレスは、〈運動は、物が「本来の位置に戻ろうとする自然運動」〉と考えた。これは一六世紀になって覆されたとみられるが、そうではない。「コペルニクス的転回」は〈遠隔的な力〉については、そのような「転回」がみられなかったからだ。※相も変わらず〈遠隔的な力〉は、非科学的とされ、斥けられていた、ということか。 p49 たとえば、ウィリアム・ギルバート『磁石論』(一六〇〇年)は、磁力・静電気力の〈遠隔的な力〉を対象化しようとしたが、〈霊的な力を扱う魔術である〉という理由で排撃された。コペルニクスの「地動説」を肯定して裁判にかけられたガリレオも、その後のデカルトも、〈遠隔的な力〉については、それを魔術的・非科学的として斥けた。ガリレオは〈遠隔的な力〉としての重力を認めず、物体の落下を〈自然運動(※アリストテレス説)〉とみなした(『運動について』一五九〇年)。デカルトは惑星の運動や重力の原因を〈空間に満ちている《エーテル》の圧力差や渦動によるもの〉とみなした。コペルニクス的転回をもたらしたのは、コペルニクスよりもギルバートというべきだが、彼はたんに排撃された。p50 ニュートン『自然哲学の数学的諸原理』(一六八七年)に対して、ライプニッツらは〈オカルト的な力〉を導入したと非難した。エルンスト・マッハ(一八三八~一九一六)は、運動の説明に〈力〉という得体の知れない概念をもちこむことを嫌い、それを除いた物理学をつくろうとした。p51 要するに、たとえ霊的な存在であろうと、現にそこに一種の〈力〉が働くことを認めた者が近代科学をもたらしたのだ。「ギルバートの地球論は無視されてきた。しかし〈地球は自己運動の原理をもつ生命的で霊的な存在〉という認識こそが、地球を不活性で不動の土塊と見るアリストテレス宇宙の解体と地動説受容への後押しをした。ケプラーの重力論への道も開いた」(山本義隆『磁力と重力の発見』二〇〇三年)p51 この時期、魔術と呼ばれたものは、工学(エンジニアリング)である。工学は、何らかの形で自然対象を変える。錬金術(アルケミー)も名が示すように化学的実験だった。要するに、近代の力学は、自然対象を操作・変形しようとする工学的姿勢から生まれた。そのような姿勢はかつて〈魔術〉と呼ばれて敬遠された。※物質は、本来〈静止している〉のか、〈自己運動〉するのか。静止とすれば、運動は〈本来の位置に戻ろうとする自然運動〉という解釈になる、か。p69 私は、第一部で「アジア的」を論じ、第二部で「古典古代的」と「封建的」を、第三部で「近代ブルジョア的」を論じる。生産様式ではなく、交換様式を。交換様式から生まれる「力」と、その力がもたらした諸問題を。

※第一部交換から来る「力」p71-188 交換様式A,B,C,Dと論じて、最後のDで宗教。A贈与、モース定住化、トーテミズムと交換、後期フロイト、

6共同体の超自我、p89 こうしてフロイトは、快感原則および現実原則よりも根源的なものとして〈反復強迫〉を見いだした。(※第一次大戦の戦争神経症者たちは、毎夜戦争の夢を見て飛び起きた)それをもたらすのは「死の欲動」。フロイトによれば、死の欲動とは、生物(有機体)が無機質に戻ろうとする欲動。それが外に向けられると、攻撃欲動となる。

7反復強迫的な「力」。Bホッブズ、首長制社会、王、官僚制、国家をもたらす「力」。C貨幣と国家、遠隔地交易、帝国の「力」、世界帝国と超越的な神、交換様式と神観念、世界宗教と普遍宗教。D原遊動性への回帰、普遍宗教的な運動と預言者、ゾロアスター、モーセほか、イエス、ソクラテス、中国諸子百家、ブッダ。 

※第二部世界史の構造と「力」p189-258 第一章古典古代(ギリシア・ローマ)~氏族社会の民主主義、キリスト教の国教化。第二章封建制(ゲルマン)~違いや特性、宗教改革。第三章絶対王政と宗教改革~王と都市(ブルジョア)との結託、近代の産業資本主義、常備軍と産業労働者の規律、国家の監視、新都市。

※第三部資本主義の科学p259-320第一章経済学批判~貨幣や資本という「幽霊」、一八四八革命と皇帝の下での「社会主義」、「物神の現象学」としての『資本論』、マルクスとホッブズ、株式会社、イギリスのヘゲモニー。第二章資本=ネーション(民族、国民)=国家~死滅しない国家、カントの「平和連合」、帝国主義戦争とネーション、交換様式から見た資本主義、資本の自己増殖を可能にする絶え間ない「差異化」、新古典派の「科学」。第三章資本主義の終わり~革命運動とマルクス主義、十月革命の帰結、二〇世紀の世界資本主義、新自由主義という名の「新帝国主義」、ポスト資本主義・ポスト社会主義論、晩年のマルクスとエンゲルスの仕事、環境危機と「交通」における「力」。

※第四部社会主義の科学p321-396第一章社会主義の科学1~『ユートピア』とプロレタリアの問題、羊と貨幣、共同所有、ザスリーチへの返事、「一国」革命、氏族社会における諸個人の自由、私的所有と個人的所有。第二章社会主義の科学2~エンゲルス再考、一八四八年革命挫折後の『ドイツ農民戦争』、原始キリスト教、共産主義を交換様式から見る。第三章社会主義の科学3~カウツキーとブロッホ、ブロッホの「希望」とキルケゴールの「反復」、ベンヤミンの「神的暴力」、無意識と未意識、アルカイックな社会の〈高次元での回復〉、Dという問題、Aに依拠する対抗運動の限界、危機におけるD の到来。

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