20221221『優しい地獄』イリナ・グリゴレ

『優しい地獄』※作者イリナは1984ルーマニア生まれ。一人あたりGDP約200万円。イリナの文からは未知の感性が感じられる。社会主義という名の地獄で生きてきた経験に由来するのだろう。p22 ディオニューソス…豊穣とブドウ酒と酩酊の神。p31 もう一度いうが、社会主義とは、宗教とアートと尊厳を社会から抜き取ったとき、人間の身体がどうやって生きていくのか、という実験だったとしか思えない。p32 ドストエフスキーが『カラマーゾフの兄弟』を最後まで書き切れなかったことが残念だ。社会主義でもなく、資本主義でもない世界があるとすれば、そこはどんな世界だろう。人の身体が商品にならない日がきっとやってくる。身体は社会的な支配装置から出ることができるのか、といまだに問い続ける。p33 アーヴィング・ゴッフマンは、カナダ出身の社会学者。行為者が自己認識した役割を演じるなかで社会性が獲得され、それによってコミュニケーションと社会が成立していると唱えた。p82 最後に二人(ジュディス・バトラー、ドゥルーズ)ともスピノザに戻る。でも、私は一つの裸の、生身の身体にしか戻るところがない。一緒に日本酒を飲んで(略)食べて、映像を撮り、死を待つ。身体と身体の間に一秒未満で生まれる関係が、断片となる。映像は夢と同じ。夢の中では死んでも会える。※歌や物語は自分が神になって創る世界。そこでは何でもできる。p98 持っていた映像制作会社が火事になって彼はアルコール依存症になっていた。その日、私はわかった。この世で権力のある立場を永遠に持つことはできない。人間性が試されているだけだ。p101 自分というものとやっている仕事の内容には、脳が整理できないぐらいに、大きなズレがあった。資本主義は完全に間違っていると思った。先進国の企業が安い労働力を探し、ルーマニアにたどり着く。ここには私の居場所がない。p103 私が男性だったら一緒に酒を飲んでいただろう。彼らの絶望的な気分を受け継いだ気がする。一度でも人とすれ違うと、その人の細胞と交換する。私も死ぬまで強い酒を飲みたかった。いつも人が嫌いだと思っていたが、私は本当のところは人が好き。残りの人生を飲んでしまう選択をしたあの人が愛しかった。p105 街を外れた場所なので(略)大手企業はそこで安く土地を買えたのだろう。私たちをも安く買えたものね。(略)五時になったらすぐ帰る私たちは白い目で見られたが、地下鉄の乗り場に着くとニヤニヤ笑う。五時までしか飼われてないからな。いつもと同じ地下鉄から街の中心部へ行き、シネマテークに向かう。p108 手術後に病院に来た彼の目を見て、はじめて愛とはある種の共感だとわかった。不思議なことに次は彼の脳腫瘍が見つかった。こうして二人はもっと深いところでつながった。彼の母親は私のせいだと言った。私から腫瘍が彼にうつったと酷く差別された。それがほんとうなら、私はそこまで彼に愛されたことになる。身体の細胞が交換されるくらいの愛があるのか。でも違う。酷く傷んでいる二人の身体は、私たちがチェルノブイリの子供だったからだ。p118 やはり、この私たちが生まれた世界では愛は許されない。ある日、私は一人で逃げた。ドアを閉めて、鍵を投げて、頭の中で、アントニオーニ監督の『砂丘』の終わりと同じように、愛が許されない世界が爆発しているのが見えて、一人で逃げた。私は逃亡者だ。逃げることによって世界をいつでも更新させるのだ。p123 「日本に何で来た」と聞かれ続ける。(略)答えはシンプルに、「遠くへ行きたかったから」。p124 言葉に悩んでいた。うまく周りに話せない。『雪国』を読んだ時「これだ」と思った。私がしゃべりたい言葉はこれだ。何か、何千年も探していたものを見つけた気がする。自分の身体に合う言葉を。その時、すべてがつながった。映画監督になりたかった「田舎から出た普通の女の子」として受験に失敗し、秘密の言葉である日本語を思い出した。「映画」で表現できないなら、きっと新しい言葉を覚えたら身体が強くなる。日本語は、私の免疫を高めるための言語なのだ。p125 小さい大学 日本語学科 朝から晩まで日本語を浴びた アンジェラ・ホンドゥル先生 翻訳していた村上春樹 夏目漱石 二年後 「あなたは獅子になりなさい」 奨学金の審査結果 そうして私は今、獅子舞を踊り、研究している。p126 ルーマニアのシビウで中村勘三郎(十八代目)p130 「着替えてください」と何度も言うのに着替えない娘は大きな声で叫ぶ。「ピカソはパジャマでしか描けない」。日本になぜ来たのかの答えを見つけた気がする。それは同時に「違う角度から世界を見るため」だった。p198 五歳の娘は寝る前にダンテ『神曲』の地獄の話を聞いてこう言った。「でも、今は優しい地獄もある、好きなものを買えるし好きなものも食べられる」。彼女が資本主義の皮肉を五才という年齢で口にしたことにびっくりした。それは確かに「優しい地獄」と呼べるかもしれない。

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