20220805『創価学会と平和主義』佐藤優

2014.10.30発行 p164 ヒト、モノ、カネの移動を自由にしようとするグローバリズムも、ナショナリズムを超克する一つの方法だ。しかし、グローバリズムは資本の移動も自由になるから、国家の拘束を受けず、資本の増殖がはかれるところならどこへでも移動し、その利潤はすべて資本家が独占する。(略)グローバリズムの帰結は中間層を没落させつつ達成される成長に過ぎないとエコノミスト水野和夫氏(『資本主義の終焉と歴史の危機』著)は言う。私も同意する。 p190 キリスト教もまた「生きている宗教」であることは疑う余地がない。イエスの時代から現在にいたるキリスト教の流れは、三つのポイントに絞られる。イエスによるユダヤ教との訣別。パウロによるキリスト教の世界化と教勢の拡大。世俗権力への接近による与党化。国家を運営する側に立つことによる神学的な構成の変更。創価学会にもこれと似た動きが見られる。(略)p191 外的要因によって柔軟に組織の性質を変え続けている。変わらない本質を持っているから、創価学会は変わることができる。(略)創価学会は中間団体(国家と個人の中間)である。モンテスキューが『法の精神』のなかで、権力の暴走を抑制するものとして評価した。村落共同体やギルド(※組合?)そして宗教団体が該当する。※ここからp193 までの記述は〈戦後の高度成長期から新自由主義が台頭するまで〉。簡潔で分かりやすい。家族主義、福利厚生、終身雇用、資本家の共産主義革命に対する恐れ、冷戦終結、左翼勢力減退による「労働力商品価値」の大幅低下。 p193 柄谷行人の「交換様式」。企業と労働者は「商品交換」。(※労働力商品と貨幣の交換か?)p194 国家は、国民や企業から徴税して社会に還元する、「略取と再分配」あるいは「服従と保護」。宗教は「交換様式x 」〈理念(※天国とか?)であって現実に存在しない。歴史的には、普遍宗教(世界宗教)というかたちであらわれた〉(『世界共和国へ』)〈普遍宗教が開示したのは、国家や共同体にないような「倫理(※自分のやるべきこと、だっけ? 神を信じる、とか。)」ですが、それは新たな交換様式xにほかならない〉(同前) p197 創価学会のあり方は、ずっと人間を縛り続けてきた国家や市場経済(クニとカネ)から距離を置き、仲間同士、助け合うことで自由を担保し、生きていくことを目指そうということだ。それが「人間革命」、命を革(あらた)めるということだと思う。

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