20220622『対決!日本史 幕末から維新篇』

『対決!日本史 幕末から維新篇』2021.8.5発行 p3 昭和20年の敗戦以後にGHQが教科書統制を行ったとき、明治維新以後の日本の方針が軍国主義を招いたと見なし、教えることを禁じた。【1章 ペリー来航】(略)【6章 自由民権運動とテロリズムの時代】p213 佐藤|自由民権運動の活動家は、人間的な紐帯が生きていた江戸時代にあこがれ。コミュニティからアソシエーション(結社)への転換を志向していたのでは。「ウチは代々真宗だから私も真宗」だとコミュニティのままだが、自分から進んで何かの結社に参加すればアソシエーション。個が確立していない人は、自由意志でアソシエーションに参加することはない。アソーシエーショニズムに転換するために、自由民権運動はフランス的な個の確立を重要視したのではないか。※資本主義のエゴイズムから脱出するために、助け合い(ポスト資本主義)の世界の何らかの結社に参加する、みたいな感じか。 p214 安部|植木枝盛は「外国侵略による進出はダメ。欧米に抑圧されているアジアの中核に日本がなる」。これは植木枝盛が会って話した頭山満の「大アジア主義」に近い。 佐藤|それは19世紀ロシアのザーパドニキ(西欧派・社会主義)っぽいです。彼らは1840年代に、スラブ派と論争。西欧派「行き過ぎた個人主義(自由主義)で格差を広げすぎた。その先を行く社会主義の世界を作るべし」。スラブ派「農村の共同主義の伝統を守る」。要するに両方とも社会主義。※資本主義=植民地主義=自由主義。これを克服するのが社会主義。そう考えた。それから20世紀末ソ連崩壊を経て世界はどう動くか。 p216 安部|1874(M7).1、板垣退助、後藤象二郎、江藤新平、副島種臣は、日本最初の政党・愛国公党を結成。同年、板垣や江藤は民選議院設立建白書を提出。藩閥政治を終わらせ、自由民権政治を求めた。同年2月、佐賀の乱が失敗。愛国公党は失墜。江藤新平は処刑。 佐藤|彼らの運動は権力闘争。中江兆民は、理念先行の知識人の運動。 p217 安部|民選議院設立建白書が提出される前に、国会開設の動きはあり、政府内部で「当然やらなければならない」という議論だったが、「明治六年の政変(※征韓論)」で参議たちが半分も辞めてしまいます。大久保も木戸も漸進主義をとったら板垣退助はそこを攻撃。まさに政争。 佐藤|当初はただの政争。議論が先鋭化すると大義名分として思想を借りてくる。借り物の思想が過激化して本物になる。最後は人事抗争では治まらない。ポストをやると言われても逆ギレする。そして徒党を組むと話はうんと面倒くさくなる。「上にいる連中を総取っ替えだ」とクーデターにまで発展。そこで権力に鎮圧される。 p220 安部|板垣退助や江藤新平と、今の官僚や企業人は同じかも。大井憲太郎の大阪事件や大隈重信の追放も、佐藤さんの説明でいけそう。p222 佐藤|愛国というスローガンを安易に掲げると怖い。愛国者になるのはコスパがいい。首相官邸の前で「弱腰管政権を叩き潰せ!」と叫べばよい。ヘイトスピーチを吐き散らしているうちに、団体代表が大阪市長と対談。同じく東京都知事選挙で18万票近く取る。続いて板垣が作った立志社「士族だけでやっていこう」というエリート主義。この発想を壊すために大正デモクラシーが必要だった。※以前の板垣退助のイメージが書き換えられるなあ。※p223から「通俗道徳と新宗教の誕生」。民権運動の主役は「士族」から「豪農」へ。これ、貴族から富裕層へ、かな。資本主義の基本。金という力があれば上に行ける。江戸時代末期「努力は報われる」という二宮尊徳の通俗道徳。松沢裕作(慶応大学経済学部教授)は「通俗道徳が生まれたあとに必ず新宗教が生まれる」。通俗道徳で夢見てもうまくいかなかった。すると負担が女性に。彼女はトランス状態(神がかり)に。天理教や大本教は女性のお筆先。民衆パワーを引きつけた。※p225で黒住教と金光教が登場。それらも女性教祖ってことか。調べたら黒住教は岡山の黒住宗忠、男性。金光教は香取十平、男性。同じ岡山ねえ。※p227 全生命(動植物)の平等思想が語られている。ではそもそも生命とはって問題は、その時の政府が扱うのか、宗教が扱うのか。蚊やゴキブリと如何に共存するか。

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