20220522『安藤昇と花形敬』

『安藤昇と花形敬』向谷匡(むかいだにただし)2021.10.22発行 p123 PX(軍隊内の売店)p160 ヒロポンは昭和二十六年に覚醒剤取締法が制定されるまで薬局で売っており(略)p168 安藤グループは自由気ままな愚連隊で、代紋を掲げるヤクザ集団ではない。飲食店経営、パチンコ店の用心棒、出店のカスリ取りなど、それぞれの才覚でシノギしていた。ヤクザは、博徒であれば賭場を開帳し、テキ屋であれば庭場での商売(バイ)を仕切るなどでメシを食うが、安藤グループは違った。愚連隊の魅力はそこにあり、既成の価値観に反逆する若者たちが安藤グループにつらなっていた。※安藤、島田(参謀役)、三崎(渋谷で最初の舎弟)。花形、石井(大和田町)、森田。 p172 島田は森田から花形と三崎の件を聞いて決心した。きちんとした組織に変えなければ安藤グループは自壊するかもしれない。潮目を感じとっていた安藤は島田から話を聞いて、昭和二十七年七月、渋谷宇田川町に東興業の事務所開設。※日本独立の3か月後、愚連隊からヤクザに、か。p173 組員は300人以上。13人の幹部はベネシャン(サテンのような感じの重ね繻子織りの生地で、光沢のあるなめらかな手ざわりに特徴がある。 梳毛糸で織られることが多いが、コットンのほかポリエステル、レーヨンなどで作られることもある)。p174 ゆくゆくはカタギの会社に。株式会社として正式に登録。不動産部、興行部。斬込隊養成のため世田谷の上町に『錬心館道場』。森田はひょうきんな男だが、抜刀・居合術「鹿島神流」四段。50人ほどの若い者が猛稽古。さらに銀座には高橋輝男、新宿には加納貢というふたりの兄弟分。p175 半年後、事務所を青山通りに面したビルの三階に移した。「社長」と呼ばせ、刺青、断指、覚醒剤密売を禁止した。p194 昭和二十九年十二月から神武景気。高度経済成長。戦前の最高を超える。昭和三十一年の経済白書「もはや戦後ではない」。p205 昭和三十一年一月、前年七月発表『太陽の季節(石原慎太郎)』第三十四回芥川賞受賞。既成のモラルに挑戦する若者。敗戦から十年。高度経済成長は日本人の価値観を大きく変えようとしていた。p206 この年の夏前、花形が宇都宮刑務所を満期出所(人斬りジムとの死闘)。p228 東富士の律儀さが力道山(の命)と安藤組(のメンツ)を救った。p229 安藤組の賭場は特権階級の〈非合法サロン〉でもあった。※金持ちから奪う、か。 p253 安藤組が芸能界を震撼させるのは、大スター三船敏郎の〈半殺し騒動〉だ。(略)三船は酒乱で理由もなく、いきなり安藤の顔を手で叩いた。安藤は御舟をぶん殴った。警察が動き、組員二人が逮捕。「もし二日以内にうちの若い者が留置場から出てこれなかったら、二度と俳優ができないように顔を十文字にハスってやるから覚悟しておけ」組員はその日のうちに釈放。三船は「酔って覚えていない。この人たちは無実だ」と言い張った。p254 三日後、三船が改めて安藤を訪ねて謝罪。「安藤組に逆らうとヤバイ」これが芸能界の共通認識になった。(略)安藤組は膨張。派閥は必然。大和田派は石井と森田のグループ。宇田川派は花形、花田、西原。花形グループは喫茶『マイアミ』、花田グループは『サボイヤ』、西原グループは『パウリスタ』。どこにも属さないのが参謀役の島田。(略)p256 昭和三十三年二月十七日午前零時過ぎ、石井の若い衆で、森田にも可愛がられている牧野が花形に殴られた。(※花形、石井、森田は古い付き合いだが、石井と森田は大和田派)牧野は花形を撃った。(略)p262 組織は巨大化するにつれて綻びを見せ、内部崩壊する宿命。 p266 昭和三十三年六月十一日、三栄物産社長の元山富雄が安藤に取り立てを依頼。貸主は元華族・蜂須賀侯爵の未亡人。貸した相手は東洋郵船社長の横井秀樹(乗っ取り横井)。自宅を売却した三千万を、横井が踏み倒した。提訴して判決をもらうが横井は無視。未亡人は取り立ての委任状をつけて、古い友人の元山に依頼。p269 白木屋乗っ取り事件では、万年東一の依頼で安藤は横井側についた。いま橫井は五島慶太の尖兵として東洋精糖の株買い占めに走り、安藤は関東ヤクザ界の重鎮・武井組組長に頼まれて東洋精糖側についている。五島慶太は東急電鉄を中核とする東急コンツェルンの総帥で、「乗っ取り王」として「強盗慶太」と呼ばれていた。p272 花形「東洋精糖がどうした」西原「横井が乗っ取りかけてるから、攻めてくれって武井の親分から安藤社長が頼まれたんです」p286 安藤組のヒットマン千葉が橫井の右腕を撃った(次は命をとるという警告)。p296 横井襲撃事件から二週間あまりの六月二十八日、東洋精糖の株主総会が平穏に終了。五島が乗っ取りから手を引いた。p299 (昭和三十三年)七月十五日、安藤逮捕。(略)この事件を契機として、警視庁は捜査四課、通称「マル暴」を新設する。p306 弁護団に東京裁判の林逸郎。のちに日本弁護士連合会会長に。裁判長は「砂川事件判決」で有名な伊達秋雄。砂川事件とは、米軍立川基地拡張反対デモが立ち入り禁止区域内に入り、逮捕、起訴。伊達裁判長は日米安保条約は違憲として全員無罪を言い渡し、政府を驚愕させた硬骨漢。 p304 安藤は求刑十二年に対して懲役八年の判決。昭和三十六年二月九日、前橋刑務所へ。p318 昭和三十六年六月一日、安藤組幹部森田雅ら二十七人逮捕。p342 昭和三十八年九月二十七日、花形敬刺殺。三十三歳。p347 西原でかろうじて安藤組はもちこたえていた。p348 昭和三十九年九月十五日、服役六年、二年の仮釈放で、安藤が出獄。東京オリンピックが翌月開催。p352 西原と矢島が錦政会との話し合いの席で殺された。ともに三十一歳。p355 「島田、もういいかな。これ以上、若い者の血を流すのはやめよう。安藤組は解散だ」昭和三十九年十二月九日、代々木の区民館で安藤組の解散式。p359 解散後、安藤昇はひょんなことから映画俳優に。五十本以上主演。俳優引退後は映画プロデューサーや文筆家。二〇一五年十二月十六日、八十九歳で死す。

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