20220509 今日の本 図書館より

(1)『安藤昇と花形敬』向谷匡(むかいだにただし)2021.10.22発行 p123 PX(軍隊内の売店)p160 ヒロポンは昭和二十六年に覚醒剤取締法が制定されるまで薬局で売っており(略)p168 安藤グループは自由気ままな愚連隊で、代紋を掲げるヤクザ集団ではない。飲食店経営、パチンコ店の用心棒、出店のカスリ取りなど、それぞれの才覚でシノギしていた。ヤクザは、博徒であれば賭場を開帳し、テキ屋であれば庭場での商売(バイ)を仕切るなどでメシを食うが、安藤グループは違った。愚連隊の魅力はそこにあり、既成の価値観に反逆する若者たちが安藤グループにつらなっていた。※安藤、島田(参謀役)、三崎(渋谷で最初の舎弟)。花形、石井(大和田町)、森田。 p172 島田は森田から花形と三崎の件を聞いて決心した。きちんとした組織に変えなければ安藤グループは自壊するかもしれない。潮目を感じとっていた安藤は島田から話を聞いて、昭和二十七年七月、渋谷宇田川町に東興業の事務所開設。※日本独立の3か月後、愚連隊からヤクザに、か。p173 組員は300人以上。13人の幹部はベネシャン(サテンのような感じの重ね繻子織りの生地で、光沢のあるなめらかな手ざわりに特徴がある。 梳毛糸で織られることが多いが、コットンのほかポリエステル、レーヨンなどで作られることもある)。p174 ゆくゆくはカタギの会社に。株式会社として正式に登録。不動産部、興行部。斬込隊養成のため世田谷の上町に『錬心館道場』。森田はひょうきんな男だが、抜刀・居合術「鹿島神流」四段。50人ほどの若い者が猛稽古。さらに銀座には高橋輝男、新宿には加納貢というふたりの兄弟分。p175 半年後、事務所を青山通りに面したビルの三階に移した。「社長」と呼ばせ、刺青、断指、覚醒剤密売を禁止した。p194 昭和二十九年十二月から神武景気。高度経済成長。戦前の最高を超える。昭和三十一年の経済白書「もはや戦後ではない」。p205 昭和三十一年一月、前年七月発表『太陽の季節(石原慎太郎)』第三十四回芥川賞受賞。既成のモラルに挑戦する若者。敗戦から十年。高度経済成長は日本人の価値観を大きく変えようとしていた。p206 この年の夏前、花形が宇都宮刑務所を満期出所(人斬りジムとの死闘)。p228 東富士の律儀さが力道山(の命)と安藤組(のメンツ)を救った。p229 安藤組の賭場は特権階級の〈非合法サロン〉でもあった。※金持ちから奪う、か。 p253 安藤組が芸能界を震撼させるのは、大スター三船敏郎の〈半殺し騒動〉だ。(略)三船は酒乱で理由もなく、いきなり安藤の顔を手で叩いた。安藤は御舟をぶん殴った。警察が動き、組員二人が逮捕。「もし二日以内にうちの若い者が留置場から出てこれなかったら、二度と俳優ができないように顔を十文字にハスってやるから覚悟しておけ」組員はその日のうちに釈放。三船は「酔って覚えていない。この人たちは無実だ」と言い張った。p254 三日後、三船が改めて安藤を訪ねて謝罪。「安藤組に逆らうとヤバイ」これが芸能界の共通認識になった。(略)安藤組は膨張。派閥は必然。大和田派は石井と森田のグループ。宇田川派は花形、花田、西原。花形グループは喫茶『マイアミ』、花田グループは『サボイヤ』、西原グループは『パウリスタ』。どこにも属さないのが参謀役の島田。(略)p256 昭和三十三年二月十七日午前零時過ぎ、石井の若い衆で、森田にも可愛がられている牧野が花形に殴られた。(※花形、石井、森田は古い付き合いだが、石井と森田は大和田派)牧野は花形を撃った。(略)p262 組織は巨大化するにつれて綻びを見せ、内部崩壊する宿命。 p266 昭和三十三年六月十一日、三栄物産社長の元山富雄が安藤に取り立てを依頼。貸主は元華族・蜂須賀侯爵の未亡人。貸した相手は東洋郵船社長の横井秀樹(乗っ取り横井)。自宅を売却した三千万を、横井が踏み倒した。提訴して判決をもらうが横井は無視。未亡人は取り立ての委任状をつけて、古い友人の元山に依頼。p269 白木屋乗っ取り事件では、万年東一の依頼で安藤は横井側についた。いま橫井は五島慶太の尖兵として東洋精糖の株買い占めに走り、安藤は関東ヤクザ界の重鎮・武井組組長に頼まれて東洋精糖側についている。五島慶太は東急電鉄を中核とする東急コンツェルンの総帥で、「乗っ取り王」として「強盗慶太」と呼ばれていた。p272 花形「東洋精糖がどうした」西原「横井が乗っ取りかけてるから、攻めてくれって武井の親分から安藤社長が頼まれたんです」p286 安藤組のヒットマン千葉が橫井の右腕を撃った(次は命をとるという警告)。p296 横井襲撃事件から二週間あまりの六月二十八日、東洋精糖の株主総会が平穏に終了。五島が乗っ取りから手を引いた。p299 (昭和三十三年)七月十五日、安藤逮捕。(略)この事件を契機として、警視庁は捜査四課、通称「マル暴」を新設する。p306 弁護団に東京裁判の林逸郎。のちに日本弁護士連合会会長に。裁判長は「砂川事件判決」で有名な伊達秋雄。砂川事件とは、米軍立川基地拡張反対デモが立ち入り禁止区域内に入り、逮捕、起訴。伊達裁判長は日米安保条約は違憲として全員無罪を言い渡し、政府を驚愕させた硬骨漢。 p304 安藤は求刑十二年に対して懲役八年の判決。昭和三十六年二月九日、前橋刑務所へ。p318 昭和三十六年六月一日、安藤組幹部森田雅ら二十七人逮捕。p342 昭和三十八年九月二十七日、花形敬刺殺。三十三歳。p347 西原でかろうじて安藤組はもちこたえていた。p348 昭和三十九年九月十五日、服役六年、二年の仮釈放で、安藤が出獄。東京オリンピックが翌月開催。p352 西原と矢島が錦政会との話し合いの席で殺された。ともに三十一歳。p355 「島田、もういいかな。これ以上、若い者の血を流すのはやめよう。安藤組は解散だ」昭和三十九年十二月九日、代々木の区民館で安藤組の解散式。p359 解散後、安藤昇はひょんなことから映画俳優に。五十本以上主演。俳優引退後は映画プロデューサーや文筆家。二〇一五年十二月十六日、八十九歳で死す。


(2)『博徒・森川鹿次の生涯』※別投稿。アウトローが己のルールで生きる。
(3)『紳士協定』佐藤優 2012.3月新潮社より刊行。※相変わらず面白い。p11 モスクワのテーブルマナー 1986.6.1付、安倍晋太郎外務大臣名で、イギリスに副理事官として勤務しろという辞令がでた。 p31 フレミングス・ホテル p51 ステーキ点アンド・キドニー・パイ p63 高校2年生の時、私(佐藤優)は社青同の同盟員になった。大学一回生のときにキリスト教の洗礼を受けた。しばらくして社青同を抜けた。愛読している『マルクス伝(向坂逸郎)』より。「1883.3.14 エンゲルスがマルクスの家にいつものようにやってきたとき、家ではみんな泣いていた。(略)p64 そのまま永遠に深いねむりに落ちてしまった」。p65 私自身(佐藤優)はマルクス主義者ではない。『資本論』から強い影響は受けた。(労働力資本化、疎外論)※つまり、労働力資本化=人間ははたらいている時間は生物ではなくて、カネというモノ(これがまた曲者)になっちまう。そして、疎外論=生き物ではなくなったのなら、死んじまってもいいんじゃねえの、的な。p68 イギリスの高速道路は日本と違ってすべて無料だ。 p72 ジェシー p88 武藤(※佐藤優の同僚)「イギリスの階級流動性は小さい。労働者階級や非知識人の中流階級の人々は、大学に進学することに価値を置いていない。イギリスの大学進学率は15%に達していないと思う。p89 授業料が高いし、相当の富裕層でないと大学進学は無理だ。(略)p90 日本のような受験競争はないので、学習塾はないよ。その子供はイヌだけが友達なんだ」p97 フィッシュ・アンド・チップス p109 私はごまかさずにグレン(ホームステイ先の子供)に本当のことを話した。京都の大学(同志社)の神学部でチェコの神学者ヨゼフ・ルクル・フロマートカについて研究した。この神学者に惹きつけられ、プラハに留学したいと思った。p110 調べてみると、外交官試験に合格すると、チェコに二年間留学することができるとわかった。給料と別に奨学金ももらえて、奨学金は、仮に外務省をやめても返さなくていい。それで受験勉強をして外交官になった。(※佐藤優はノンキャリ)外務省は、チェコ語ではなくロシア語を勉強することを命じた。ショックを受けた。とりあえず外交官になって、チェコスロバキアには休暇に出かけ、フロマートカを知る人から話を聞けるかもしれない。このことは外務省の同僚には何も言っていない。p112 ※佐藤優がグレンに「日本の昔話を、深刻な恐いくらいの話を聞きたい」と言われ、アイルランド系イギリス人ラフカディオ・ハーンが書いた「耳無し芳一」の話をする。p117 チャイナタウン ※佐藤はグレンとチャイナタウンや本屋に行く。 p130 フォイルズ(※本屋)※佐藤はグレンとヘビーメタルやケイト・ブッシュの話をする。佐藤はカール・バルトの神学書関連の本を買う。p146 コレッツ ※佐藤はグレンに戦争と残虐行為の話をする。p148 「どの国も、自分の国が他の国の人たちにひどいことをした話はしないものさ」「どうして。隠しているの」「そうじゃない」反射的に答え、どう説明したらよいか、私は少し考えた。「グレン、それは人間の認識にかかわる問題だ。人間は自分が受けた痛みはいつまでも覚えているが、他人に対して与えた痛みについてはすぐに忘れてしまう。それどころか、痛みを与えていることすら気づかない場合がある。気づいていないことは記憶しない。国家や民族も同じだ。イギリスも日本もかつて植民地をもっていた。旧植民地の人たちは、イギリス人や日本人から何をされたかということをいつまでも覚えている。(略)」
(4)『昭和史の10大事件』※別投稿。
(5)『新撰組顚末記』※永倉新八の語りを当時の新聞が掲載。
(6)『外交敗戦』
(7)『日米開戦の真実』佐藤優 p9 帝国主義の時代において戦争は不可避であった。日本は開戦の大義名分を持っていたし、アジア国家としての筋を通した。もちろん筋を通す正しい国家が必ずしも勝つわけではない。大川周明もA級戦犯として東京裁判に引き出されたが、精神障害のため免訴。謎。大川周明が著者『米英東亜侵略史』の言説を法廷で主張したら、理論的には開戦の正当性について、日本の大義と米英の大義をほぼ互角に持ち込めたであろう。日本国民は当時の国家指導者に騙されて戦争に突入したのでもなければ、日本人が集団ヒステリーに陥って世界制覇という夢想に取り憑かれたのでもない。日本は当時の国際ルールを守りながら、じりじりと破滅に向けて追い込まれていったのである。あの戦争を避けるためにアメリカ人と日本が妥協を繰り返したとしても、結局、日本はアメリカの保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないかと筆者は考える。※ならば乾坤一擲、勝負。か。 p11 日本は地政学的に運が悪かった。※現在、米中が日本の脅威である。 p11 21世紀、日本を取り巻く環境が冷戦時代や太平洋戦争前よりも悪くなる可能性はある。地政学的な運の悪さをインテリジェンスによって克服した例が世界にいくつかある。れいせんかにソ連を手玉に取ったユーゴスラビアや現在ではイスラエルがその例だろう。「理論的に正しかったので、戦争に至らぬかたちで日本国家と日本人を生き残らせることができた」という結論を導き出せるように、大川周明の言説を読んでいきたい。※当時の事実を正確に知ると興味深い。p57 アメリカの太平洋進出、東亜進出は、日露戦争直後から初めて大胆無遠慮となってきたのであります。p58 日露戦争によって国力を弱めていた日本の勢力圏満蒙が、アメリカ進出の目標となったのであります。p60 日本国民はハリマンが秘かに東京に来た頃に、講話談判に不平を唱えて焼き討ちの騒動となり、戒厳令まで敷かれたのであります。それなのにその少なき獲物のうちから、満鉄をアメリカに売ってしまえば、勝利の結果を全く失い去るに等しいのであります。p62 (※帝国主義時代ゆえに)東亜発展は日本にとって死活存亡の問題であります。さればこそ国運を賭してロシアと戦ったのであります。ところがアメリカの東洋進出は、持てるが上にも持たんとする贅沢の沙汰であります。アメリカはその欲望を満たすために、日露戦争によって日本が東亜に占め得たる地位を、無理矢理奪い去らんとしたのであります。この時より以来、アメリカは日本の必要止むなき事情を無視し、傍若無人の横車を押しはじめたのであります。(略)十万の生霊を犠牲にし、二十億の金を使って、満州からロシアの勢力を駆逐したのでありますから、ここに日本が商業的発展を試み、あらゆる企業を計画することは、当然至極の(略)p64 奉天のアメリカ総領事ストレート、ハリマンと相知り、1906年、わずか26歳で就任。アメリカの力を満州に扶植する覚悟。
(8)『月神祭』※夢枕獏さんらしい。
(9)『ふたたびの虹』※読みやすい。ほかのシリーズを読んだ気もする。
(10)『不機嫌なコルドニエ』※読みやすかった。

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