20210507『アインシュタインの戦争』マシュー・スタンレー

※長くなりすぎたので、この日、章ごとに分割した。

第一章 戦前の科学の世界
p28
一九世紀の物理学における刺激的なテーマは電気と磁気だった。
p30
「遠隔作用」と呼ばれる概念上の問題。物理学者たちは心をかき乱された。それを解決するために、製本工見習いから実験物理学者になったマイケル・ファラデー(1791-1867)は「場」という概念を唱えた。「場」とは、電気力や磁気力の発生源のまわりに満ちている目に見えない存在。この「場」が「力」をある場所から別の場所に伝える。
p31
マクスウェル(1831-79 没年にアインシュタイン誕生)の理論はきわめて強力。電磁誘導を説明できる。今日、発電されている電気はほぼすべて、この原理で生み出される。あらゆる発電機と電気モーターは、電線のそばを磁石が運動するという(あるいはその逆の)からくりだ。マクスウェルによると、実際に電磁誘導を引き起こすのは電場と磁場である(当時はエーテルの特定の状態と考えられていた)。
ゆえにある状況では、電場と磁場が発生源から切り離されて(※!)、互いが互いを発生させ、あたかもミクロなダンスを踊るように、電場と磁場のあいだでエネルギーが行き来する。(※永遠に?)
マクスウェルは、この行き来するエネルギーの塊が波という形でエーテルの中を移動し、その速さが秒速二九万九七九二キロになることを数学的に示した。

p32
マクスウェルは、光は電磁波であると結論。「人が目で見ているものは、エーテル中の特別な種類の振動」。
※これが当時の最新の学説だった。アインシュタインはそれに疑問を抱き、「相対論」が生まれる。

そんな振動はたくさんある。現在、電波と呼ばれているものは、一八八八年にドイツ人物理学者のハインリッヒ・ヘルツが実験室で発見。
※1889明治憲法

p33
一六歳のころ(1895下関条約)、アインシュタインは考えた。
「エーテル中を運動する波」にこの話(ガリレオの相対性原理)を当てはめたらどうなるか。
マクスウェル方程式によると、電場と磁場が交互に並んでできた波が、至るところに充満して(静止した)エーテルという物質の中を、光の速さで移動する。
したがって、静止したエーテルに対して光の速さでその波(光)と(※誰かが?)並走すると、その波は移動してないように見えるはず。固まって動かない波を目撃するはず。これがガリレオの原理。
しかしアインシュタインは、マクスウェルの理論では固まった波は意味をなさないことに気づいた。静止した電磁波を表す方程式などないのだ。「場」が変化するためには「運動していなければならない」。しかしガリレオによれば、「運動はつねに相対的」。どんな観測者でも「自分は実際に運動していて、あの人は運動していない」と言うことはできない。
※マクスウェルは「絶対に運動していなければならない」と言い、ガリレオは「運動は相対的。自分は絶対に運動しているとは言えない」と言う。アインシュタインはそれに疑問を抱き、「相対性理論」が誕生する。

ガリレオの原理を電磁気の世界に当てはめられないのか。
エーテルは「絶対的」基準のように見える。(※なぜそう見える? 波が固まって動かない=秒速約30万キロで運動していると判断できてしまう。そういうことか?)
アインシュタインは、エーテル中の運動に関する物理的考え方には何かおかしなところがあると気づいた。
もちろん何人もの学者が解決に取り憑かれた。アインシュタインを感服させたのが、オランダ人物理学者ヘンドリク・アントーン・ローレンツ(1853-1928 電磁気学や相対論の発展に貢献)。ローレンツはマクスウェル方程式を巧みに拡張して、発見されたばかりの「電子」と組み合わせた。
p34
ローレンツのように、体系全体を洗いなおしてもっとも基本的な原理を解明しようとする力を持った科学者はほとんどいなかった。難題を抱えたエーテル説自体を疑う人はいなかった。電力からラジオまで、物理学最大の勝利をもたらした仮説だから。ローレンツは不満。いまではローレンツ変換(※数学的変換? 行列? 1892? 1904? 年発表)と呼ばれる一連の方程式を書いた。それで難題は解決。ただし、「エーテル中を運動すると時間と空間の測定値が変化する」という、途方もない仮定を受け入れなければならない。ローレンツは論文の読者に向けて「正しい計算をするための数学的便法で、真剣に受け止めるべきではない」と断っている。
※数学的便法と言い訳をする点がコペルニクス『天体の回転について(1543)』と全く同じ。

※ローレンツ変換
コトバンク 1892
https://kotobank.jp/word/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%84%E5%A4%89%E6%8F%9B-153554
ウィキペディア 1904
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%84%E5%A4%89%E6%8F%9B

p35
アインシュタインは、まさにこのような研究に歳月を費やしたいと思っていた。そして、エーテル中での地球の運動(いわゆるエーテルドリフト)を実際に測定するための実験まで考案した。
p36
※ドイツの徴兵逃れのためスイス大学に行って物理学者になろうとしたが、授業サボり魔なので担当教授に就職を推薦してもらえず、さらに恋人が妊娠してしまった。
時代は日露戦争の直前。1902年ごろ。日英同盟。

一九〇三年一月六日、民事婚(教会ではなく行政機関に届け出て婚姻関係を結ぶ)でアインシュタインはミレヴァ(セルビア人)と結婚した。
アインシュタインは、友人グロスマンの父親のおかげで、ベルンにあるスイス特許局の三級技師として働き、新妻を養う。一九〇四年(※日露戦争)、長男ハンス・アルベルト誕生。

p38
一七世紀後半、ニュートン
物理学と天文学に革命
(1)運動の法則(慣性、加速度、反作用)
(2)重力の法則(質量に比例、距離の二乗に反比例)
p39
天界の運動と地上の運動の両方を説明して予測可能。
応用例が惑星の軌道。複雑。厳密に解くのは不可能で、近似の精度を高める。
それにはニュートンの数学は非力で、フランス人天文学者ピエール=シモン・ラプラス(1749-1827)のラプラス方程式を使うのが一般的。
p40
イギリス海軍はドイツ懸念。海の支配権を失えばイギリスは衰退。列強は軍拡競争。
※現在ならば、イギリスがアメリカ。ドイツが中国。

p41
一九〇五年、(ドイツの)アルフレート・フォン・シュリーフェン元帥(1833-1913)侵攻作戦を完成。

p42
認識論は、人間がどのようにして知識を獲得するのかを論じる。アインシュタインらは認識論を、物理学の基本部分をなすものととらえた。ニュートンと並行してカントも読んだ。スコットランド人ヒューム(1711-76)はあらゆる事柄を疑う。ヒュームは(略)直接経験できる事柄を超えた存在について探究せよと説いた。
アインシュタインはオーストリア人物理学者で哲学者エルンスト・マッハ(1838-1916)にも関心。実証主義で、科学的概念は直接経験だけでなく具体的な測定にも基づくべき。たとえば「力」をどう測定するか。バネや秤などで。基本的概念の由来を吟味せよ。
※要するにヒュームもマッハも「疑え」

p45
一九〇五年六月、アインシュタインは学術論文『運動する物体の電気力学について』発表。いわゆる特殊相対論。
二つの仮定
(1)ガリレオの相対性原理。列車に乗っている観測者とプラットフォームに立っている観測者は同等である。
(2)すべての観測者にとって光の速さは同じでなければならない。
導かれる結論は
(1)時間が遅くなるように見える。
(2)長さが収縮する。
(3)質量も観測者のスピードによって変化する。(E=mc2)
p49
視点に関わらずすべての科学者が、マクスウェル方程式やニュートンの重力の法則を発見できる。
しかしこの普遍性には代償が伴う。法則は同じままだが、時間や空間や質量に対する測定値はすべて変化しうる、という代償が。
運動によってこれらはすべて変化する。そしてガリレオの言うように運動は相対的なのだから、時間と空間と質量もすべて相対的だということになる。
ニュートン以来、これらの概念は不変で絶対的だとみなされてきた。そしてカントによって証明された(*1)。しかし、もはやそうではなくなったのだ。
(*1)カントにおける空間と時間
https://philosophy.hix05.com/Kant/kant104.space.html

p50
今日でも時間の遅れは、超高精度の原子時計でしか測定できない。一九〇五年当時に相対論を検証するのは、容易なことではなかった。
(略)
エーテルドリフト実験(有名なのがマイケルソン=モーリーの干渉実験)では、エーテルはすべての運動を測定するための基準となる絶対座標系。この宇宙で真に静止していると仮定。アインシュタインは反論「ありえない。物理法則を真に普遍的にしたいのであれば、そのような絶対座標系が存在してはならない」。
特殊相対論によると、絶対的な静止状態を測定しようとしても必ず失敗する。
実証主義でいえば、エーテルという概念そのものが測定できないのだから非科学的。
アインシュタインは、一九世紀の物理学におけるこの基本的な仮説を「無用である」と斬り捨てた。間違っているわけでもなければ、反証されたわけでもない。単に無用。
p52
アインシュタインが宇宙の対称性(*1)にこだわったおかげで、必要なくなった。
(*1)対称性とは、p43の電磁気現象のことか? 具体的な現象はp41に書かれている。①磁石を静止したコイルの中に通過させた場合と、②コイルを静止した磁石の中に通過させた場合、結果は非対称。①は、磁場の変化によって電流が流れる。②は、磁場は変化しないし、電場が発生するわけでもないのに電流が流れると予測される。
※エーテルという絶対座標系を仮定するから。相対論に立脚すれば、①②とも同じ。そういう解釈でよいか。

※ビッグバン説(1940年代)宇宙は静止していない。
https://kotobank.jp/word/%E3%83%93%E3%83%83%E3%82%B0%E3%83%90%E3%83%B3%E8%AA%AC-120119

p53
一九〇五年は「奇跡の年」。
アインシュタインの六本の論文のいずれもが世界を変えた。
(1)量子論 光電効果
・三月
光を粒子、つまり量子と呼ばれるエネルギーの小さな塊として取り扱うことができるという説。事実上、量子物理学が開始。
(2)分子論 分子の実在を証明
・四月
分子の大きさと運動を推定する方法。
・二週間もしないうちに、推定結果を使ってブラウン運動(液体中に浮かぶ微粒子のジグザグ運動)の解析。
・一二月
より完全な論文。ブラウン運動を分子との衝突で説明。振る舞いを予測。事実上、分子の実在性に対する疑念は完全に消えた。
(3)相対論
・六月 一本目。
・九月 二本目。E=mc2 が示された。

掲載誌『アナーレン・デア・フィジーク』の編集長マックス・プランク(1858-1947)は衝撃。アインシュタインの論文掲載は、ほぼプランク自身の判断。


第二章 国をまたぐ科学p57

p63
アインシュタインは、ヘンドリク・ローレンツと文通を始めた。「この人を誰よりも尊敬している。愛していると言ってもいい」とアインシュタインは記している。
(略)
プランクは相対論の布教を続けた。
p64
浮かび上がってきた課題の一つが、特殊相対論と、古典物理学の至宝ニュートンの重力理論を結びつける問題。
それまで、重力は瞬時に作用すると決めつけられていた。もし太陽を破壊したら、地球の軌道はその瞬間に影響を受ける。
しかし特殊相対論では、光の速さがすべての物理作用の上限速度だから、太陽が破壊されても約八分間は地球に影響はおよばない。
p65
アインシュタインの理論では、運動している二人の観察者のあいだで、同じ物体の質量が食い違うことがある。そして重力の大きさは質量に比例するため、観察者が感じる重力の大きさが運動状態に応じて違ってきてしまう。
とんでもないことだ。この宇宙を一つにまとめている重力が、相対的であって変化しうるとでもいうのだろうか。
アインシュタインは重力についてよく考えなければいけないと判断した。
「我が人生の中でもっとも幸せな思考。
ベルンの特許局の椅子に座っていると、突然ある考えが浮かんできた。『自由落下している人は自分の体重を感じない』。仰天した。この単純な考えが私の中に深く刻まれた。そして重力の理論へと駆り立てられた。」
p66
重力は絶対的な真理ではなく、時間が運動状態に左右される(※光速に近い運動ではっきりする)のと同じように、状態に左右されるのだ。
p67
重力と加速度は等価である。区別できない。
部屋の中でボールを落とすことと、加速ロケットの中でボールを落とすことは区別できない。
p68
特殊相対論を拡張するには「等価原理」を中核に。等価原理は、重力問題解決と、加速問題解決の手がかりになる。特殊相対論の「特殊」は、観察者が静止しているか、等速度運動しているという、特殊状況にしか当てはまらない。しかしほとんどの運動は加速をともなう。すなわち速度が変化する。
p69
特殊相対論を乗り越えて、一般相対論を構築するために「等価原理」は入口になる。
p70
※実験記述は省略
(1)加速で光が曲がるなら、重力でも曲がるはずだ。
(2)重力赤方偏移。加速(重力)は時間を遅れさせる。時間の遅れは光(電磁波)の振動数遅くする。それを目で見ると、光の色が本来よりも赤くなる。
この二つの現象を、アインシュタインは自分の理論から予測した。
最後に三つめ。ニュートンの理論では、水星の軌道がわずかに変動していること(近日点歳差)が説明できなかった。
アインシュタインは自らの理論で偉人ニュートンと張り合わなくてはいけないことに気づいた。

p71
一九〇九年、アインシュタインはチューリヒ大学の物理学教授に。かつて敵対視していた権威階級に。ある友人への手紙「売春婦組合の役員になったよ」。
p72
チューリヒでの一年目の終わり、七月に二人目の息子エドゥアルトが生まれ、プラハ大学(オーストリア=ハンガリー帝国。帝国はドイツ人からセルビア人やウクライナ人まで一一の主要民族)から給料の良い正教授に招かれた。(略)
p73
アインシュタインはこの頃初めてベルリンを訪れた。フリッツ・ハーバー(1868-1934)とも出会った。
重要な出会いがベルリンの無名天文学者エルヴィン・フィンレイ・フロイントリッヒ。重力による光の湾曲と赤方偏移という予測に彼は関心。アインシュタインは彼に実証を期待。
p74
ベルリンではいとこのエルザにも出会う。三歳年上で、二人の子供を連れて離婚したばかり。
アインシュタインは、ブリュッセルで一流の物理学者や化学者二〇人ほどの第一回ソルヴェイ会議に参加。資金提供したベルギー人実業家エルネスト・ソルヴェイは、量子論と放射の問題解決に熱中。
参加者はマリ・キュリー(1867-1934 ポーランド出身のフランス人化学者。ラジウムとポロニウム発見。二度ノーベル賞受賞)アーネスト・ラザフォード(1871-1937 ニュージーランド出身のイギリス人物理学者。原子核物理学を確立。ノーベル化学賞受賞)、そしてローレンツ。
p75
キュリー「彼に最大限の希望を託して、未来の指導的な理論家の一人になることを期待するのは当然だ」。
地位が高まったアインシュタインは再びチューリヒ大学に。(略)
かつての師ヘルマン・ミンコフスキーは、相対論を完全に再構築した。
p76
二人の観察者のあいだで時間と空間の測定値が異なることがある一方で、つねに一致することもあると気づいたのだ。空間の三つの次元と時間の一つの次元を数学的に新たに融合させた「時空」の測定値である。
時間と空間は相対的だが、それらを組み合わせた「時空」は絶対的である。
ミンコフスキーは、特殊相対論の方程式から、「運動や視点に依存しない新たな測定値を発見」した。
ミンコフスキーの宇宙は、空間の三つの次元プラス時間ではなく、時空の四次元連続体である。
人間が時間と空間を別々のものとして認識するのは、根本的に間違いである。
プラトンの「洞窟に閉じ込められた人」のように、人間は現実の影しか見ていない。真の現実を明らかにできるのは数学だけ。ミンコフスキーはそのために「四次元幾何学」をつくった。
アインシュタインは不快。漠然とした形而上学そのもの。「無用。数学者のせいで、自分では相対論を理解できなくなった」
アインシュタインは予測「日食のとき、太陽の縁ぎりぎりに位置する恒星は本来の位置から〇・八三秒角、外側へズレて見える」。
p78
一九一一年九月、アインシュタインは語る「フロイントリッヒが話に乗ってくれて、大変嬉しい」。
p81
一九一二年のブラジルの日食観測はエディントンに託された。
p83
ところが日食の前日から一週間の大雨。失敗。しかしエディントンはアルゼンチン国立天文台の長と知り合った。彼はフロイントリッヒに知人で、フロイントリッヒから頼まれた検証観測(アインシュタインの光の重力湾曲)もやるつもりだった。エディントンはこの話を記憶の奥底にしまった。
p87
イギリスはドイツの国力向上に恐怖。ありそうなのは、イギリスが同盟国フランスとロシア(一九〇七年、三国協商)のせいで困難な状況に引きずり込まれること。ドイツ、オーストリア=ハンガリー、イタリアの三国同盟との均衡が狙い。
p88
緊張状態はバルカン半島。オーストリア=ハンガリーは、一八七八年からボスニアヘルツェゴビナを支配。一九〇八年、正式に併合(※一九一〇年、韓国併合)。
この地域には東方正教会信者多数が侵略により長年孤立。ロシアは昔から彼らの庇護者を自称でオーストリア支配を不快に。そんな中、セルビアに煽られた独立運動で状況は流動的に。
一九一四年の夏、オーストリア王位継承者フランツ・フェルディナント大公は、支配を世界に知らしめるためにサラエボ訪問計画。
セルビア国粋主義グループ黒手団にとってチャンス。


第三章 開戦p91
p92
一九一一年、相対論の初の教科書には、アインシュタインでなくミンコフスキーの表現形式が使われている。著者はマックス・プランクの助手マックス・フォン・ラウエ。
この頃にいくつかの理論が提案され、多くは重力を電磁気の特別なケースとして説明を試みた。当時の電磁気学はエーテル説そのもの。ローレンツも、電磁気にこれほど成功しているエーテル説を、重力を理解するために使うのは「自然」なことだと言っている。
マックス・アブラハム(1875-1922 ゲッティンゲン大学の理論家でプランクの元学生)は「アインシュタインが一九〇七年に簡潔に示した、相対論と重力を結びつけるという提案」をミンコフスキーの形式で進めた。アインシュタインは彼と手紙で論争。
フィンランド人物理学者グンナー・ノルドシュトルム(1881-1923)はその論争を横目で見ながら独自理論を発表。ニュートン理論にできるだけ近い理論にするために相対論のエッセンスだけ取り入れて、光速は一定に保った。しかし水星の異常な運動や光の湾曲予測はなかった。
p94
アインシュタインはミンコフスキーの数学形式が嫌だった。自らの「等価原理」の物理的な意味の理解と格闘していた。加速と重力が等しいとは、どういう意味なのだ?
最初の思考実験は、直線的な加速。つまり一方向のみに押されていく。
しかしその後、特別な加速について考えはじめた。回転運動である。
加速とは、「速度の大きさ、または、方向が変化すること」。円周上の回転は、運動方向がつねに変わる。従って回転運動はつねに加速しているとみなせる。
※ここから「回転運動と加速」「メリーゴーランドの思考実験」~p96
p96
回転するメリーゴーランドの縁に立つアリスと、メリーゴーランドの外に立つボブでは、円周率の測定値が違ってしまう。
相対論が幾何学の真髄を汚した。一二歳のアインシュタインをあれほど感動させたのに。運動している観測者は、円の形や三角形の角の大きさについても食い違う。
アインシュタインは相対論拡張の鍵はミンコフスキーの抽象的な幾何学にあることを認めるしかなかった。
非ユークリッド幾何学を使えば問題解決できることはアインシュタインにもわかっていた。しかし自分が正しいと確信する物理的内容を簡潔で厳密な数式に書き下す方法は思いつけなかった。
アインシュタインは助けを求めた。大学の講義で落第しないように助けてくれた旧友マルセル・グロスマンに。彼はチューリヒ大学の数学教授になっていた。
一九一二年の夏、チューリヒの新たなアパートに引っ越すやいなや、アインシュタインはマルセルの家に走った。
「グロスマン、助けてくれないと気が狂ってしまいそうだ!」
p98
※ガウス(1777-1855)とリーマン(1826-66)の数学。
どのような幾何になるかは、面の各点における「曲率」で決まる。
このような数学的道具を「ミンコフスキー四次元時空」に当てはめたいなら、「時空が『曲率』を持つ」という意味を理解せねばならない。
p99
時空のシートを歩いているとして、そのシートが湾曲すると、周囲の世界での空間と時間の測定値が変化する。
※何が湾曲させるのか?
この測定値の変化が「時間の遅れ」「長さの収縮」といった相対論効果の現象。この現象は、四次元時空の湾曲を人間は不完全にしか知覚できないから起こる。欠陥のある人間の知覚は、空間と時間を別のものととらえるが、「宇宙」はこれらを一つの連続体ととらえている。ゆえに、時間が伸びればそのぶん空間が縮む。ミンコフスキー(やプラトン)が言ったように「人間は影しか見ていない」。
アインシュタインは回転円盤の思考実験から「曲率は加速によって生まれる」と確信(回転は特別なタイプの加速)。
メリーゴーランドに乗っているアリスは、時空の湾曲を経験する。
等価原理によれば、加速と重力は区別できない。加速が時空を湾曲させるなら、重力も時空を湾曲させる。
ゆえに、重力で光が曲がるのは引力のせいではない。
光が単に時空内の自然な曲線上を進むからだ。

時空内での光の経路。それには「四次元時空での距離を定義」する方法がなければならない。
ミンコフスキーが見つけた「時空距離」は、湾曲していない時空には当てはまる。これ(※時空距離?)は不変量であって、慣性系にいるすべての観測者にとって一致。
しかし湾曲した時空の場合、「テンソル」という数学概念が必要になる。
アインシュタインはこのことに気づいた。
テンソルは、どんな運動をしている観測者にとっても必ず等しい値になる。
これは「一般共変」と呼ばれる性質。
この性質は、特殊相対論の第一の仮定「慣性系にいるどの観測者にとっても物理法則は同じ」を、さらに突き詰めたもの。
一般共変=特権的な慣性座標系は存在しない。そもそも特権的な観測者が存在しない。
テンソルで表現されるものは、すべての人にとって不変。
テンソルの一般共変性は、視点や個人の違いに関係なく、真に普遍的な物理を与える。
p100
アインシュタインにとってはテンソルの数学は複雑だった。
一つの四次元テンソルは一〇個の要素を持つ。それらはすべて変化し続けるため、その一つ一つを追跡せねばならない。
さらにアインシュタインが必要なテンソルは「非線形」。つまり、方程式から出てきた値によって、その方程式にもともと代入する数の値が変化する。一種のフィードバックが生じる。計算が複雑になる。
グロスマンは、テンソルは何種類もあるとアインシュタインに教えた。
(略)
p102
※方程式が満たすべき四つの条件。
(1)数学の問題 一般共変。全観測者が同等。
(2)物理の問題 等価原理。重力と加速の区別つかず。重力による光の湾曲、重力赤方偏移を予測。
(3)物理の問題 運動量とエネルギー保存則。
(4)物理の問題 ニュートンの重力法則の「極限すなわち近似」。


第四章 孤立を深める
p140
※「穴の議論」が何を書いているのか分からない。
アインシュタインの学問上の父エルンスト・マッハ
ニュートンの思考実験。
バケツに水。回転。
端の水が縁に向かって上がってくる。
これは、慣性を持つ水に、回転による遠心力が作用することで起こる。
ニュートンはこれが「実際の」回転の証拠になると言った。
相対的な運動をどのように組み合わせても、この効果は生まれない。(※?)
ゆえに、絶対空間に対する絶対運動は存在する。(※??)
マッハ「ニュートンはあまりにも安直だ。考えている範囲が狭すぎる」。
水が縁に上がってくるのは、実際に何かに対する相対運動である。その何かとは「宇宙全体の万物」である。遠くの星を含む宇宙全体も、慣性座標系の一つにすぎない。
マッハ「水を縁に持ち上げた慣性は、遠くの星々に対するものである」。
水の入ったバケツが「固有の」慣性を持っていることはない。この慣性の効果は観測者の位置によって変わる。
アインシュタインはこの慣性の相対性を「マッハの原理」と呼んだ。
このマッハの原理を一般相対論に組み込むことを、アインシュタインは決めた。そうして「穴の議論」を進めたら、一般共変性をさほど気にせずにすむようになった。(※?)
p141
宇宙の中に空っぽの領域(穴)があったとする。穴のある場所で、実験によって時間と空間を測定し、次に穴の別の場所で同じ実験をする(座標変換)。すると測定値は変わる。例えば部屋のある場所から別の場所に移動すると、椅子までの距離は三〇センチから三メートルに変わる。
ここでアインシュタインは、重力を理解するには慣性が鍵になるという、例の等価原理を言い出す。
穴の中で移動する(座標変換)と、重力の作用が変わる。
なぜならマッハの宇宙では「測定値の変化には物理的な意味がある」からだ。
しかしそれはアインシュタインが望む一般共変性とは矛盾する。
一般共変性を持つ宇宙では、誰にとっても重力の性質は一致し(※ちょっと待て。当時は重力の性質は9.8固定で不変と考えられていたのか?)、どこに移動(座標変換)しても変わらないはず。
アインシュタイン「だが穴の議論によると、そんなことはありえない。座標変換によって測定値が変化するので、一般共変性は成立しない」。
※そもそも一般共変性ってなんだっけ?


p99
しかし湾曲した時空の場合、「テンソル」という数学概念が必要になる。
アインシュタインはこのことに気づいた。
テンソルは、どんな運動をしている観測者にとっても必ず等しい値になる。
これは「一般共変」と呼ばれる性質。
この性質は、特殊相対論の第一の仮定「慣性系にいるどの観測者にとっても物理法則は同じ」を、さらに突き詰めたもの。
一般共変=特権的な慣性座標系は存在しない。そもそも特権的な観測者が存在しない。
テンソルで表現されるものは、すべての人にとって不変。
テンソルの一般共変性は、視点や個人の違いに関係なく、真に普遍的な物理を与える。


※p99は「どこでも物理法則が同じ」と言う。これは「重力の性質は同じ」か。
p141は、「座標変換すると測定値が変わる」と言う。
記述『マッハの宇宙では「測定値の変化には物理的な意味がある」』が理解のための鍵か? わからないな。

p141(続き)
結論として、慣性の相対性についてのマッハの原理は、一般共変性とは矛盾する。
アインシュタインの一般相対論は、どちらかをあきらめるしかない。
アインシュタインはエントヴルフ(*1)の方程式にどうしても一般共変性を見つけられなかったので、正直ほっとした。穴の議論とマッハの原理によると、そもそも一般共変性は絶対に成り立たない。エントヴルフの欠陥と思われていたものに説明はついた。気にせずに先に進める。

(*1)p104 一九一三年五月にアインシュタインは、最良の「場の方程式(あらゆる重力場を記述する方程式)」を発見したと判断した。等価原理を満たし、運動量とエネルギー保存則を満たし、ニュートンの法則の近似に変形することも満たしていた。しかし一般共変性は満たしていなかった。このバージョンの理論は、アインシュタインとグロスマンによって「エントヴルフ(概略、草案)」と名付けられた。


第五章 国際的な科学の崩壊
p157
一九一五年八月一〇日、二七歳の通信士官ヘンリー・モーズリー(1887-1915)がトルコ人狙撃手に撃たれて死んだ。彼はノーベル物理学賞に決定したばかり。モーズリーは、新たな前線を拓くというウィンストン・チャーチルの大胆かつ無謀な計画のためにダーダネルス海峡にいたのだ。のちにガリポリの戦いと呼ばれるこの戦闘は、イギリスの完全敗北で、数十万の命が失われた。
モーズリーは物理学と科学に革命を起こしかけた。原子の内部を探るのは不可能と思われていたが、X線を用いてそれを実現する技術を開発した。
モーズリーの死に、世界中の科学者が衝撃を受けた。

p160
アインシュタインは、人からドイツ人と言われるとすぐ訂正した。スイスの市民権はお守りのようだった。愛国主義の狂気から距離を置く手段だった。
「この世界で価値があるのは、自立した優秀な人との友情だけであることが、この戦争ではっきりした」と書いている。
p162
アインシュタインは、一般共変性が成り立たないというエントヴルフの弱点についてまだ迷っていた。穴の議論によって一般共変性の問題は片がついたのか? それとも方程式のどこかにまだ一般共変性が隠れているのか?
ローレンツはいまだにエーテルの存在を確信していて、一般共変性は必要ないと考えていた。アインシュタインの重力理論にもエーテルを組み込めるはずだと言うのだ。

p163
相対論の検証は、手頃な日食がなかったため、アインシュタインが望みを託せるのは「水星の軌道の変動」だけだった。
この変動(近日点歳差)は一八五レース年代から知られていたが、ニュートンの重力理論では説明できなかった。
アインシュタインはエントヴルフに期待したが、エントヴルフに基づく計算結果は実測値から大きく外れていた。
アインシュタインはエーレンフェストに不満を言っている。「重力の研究は進んでいるが、すさまじい努力をしている。重力は内気で頑固だ。(略)見つかったものは単純なのに、それを探すのは地獄だ!」
一九一五年一月には(※モーズリーはこの年の八月に死亡。この本は年代順に書かれていない)ある友人に宛てて「一般相対論はある意味、結末に近づいている」。別の手紙には「悲惨で忌まわしい戦争をよそに、部屋の中で静かに研究をしている。一般相対論のあいまいな箇所はほとんど取り除くことができた」。それでも、数学のせいでこのりろんの研究がとても難しくなっているのは「残念だ」とこぼしている。そして、マクスウェルの理論も最初はいかに複雑だったかを思い出して、自分を勇気づけている。

p172
協商国イギリス・フランス・ロシアの天文学者がプロイセンの武装した卑劣な科学者を思い浮かべるとしたら、フリッツ・ハーバーだろう。
(略)
若い頃、ヨーロッパが肥料に依存していることを知って、窒素の虜となった。やがて、画期的なアンモニア合成法を確立した。
(略)
ハーバーは金持ちの有名人となった。
(略)
ハーバーは、催涙ガスを詰めた砲弾より、もっと優れたものがあると考えた。塩素である。
塩素は常温で緑黄色の気体である。吸い込むと水分と結合して塩酸が生成し、肺を冒す。十分な量があれば、人間を簡単に無力化したり殺したりできる。
(略)
一九一五年四月二日、ハーバーとオットー・ハーンは塩素ガス兵器のテストをおこなった。大成功だった。
(略)
この化学兵器の初の使用による犠牲者の数はわかっていないが、死者五〇〇〇人、負傷者一万人ほどと思われる。
(略)
まぎれもない科学の産物である化学兵器が登場したことで、戦線をまたいだ協力関係など考えようもなくなった。国際的な科学は死んだ。
フリッツ・ハーバーの妻クララは怒り狂った。人を殺したり怪我をさせたりするために化学者になったつもりなどなかったのに、いまや大量殺人の共犯者になってしまったからだ。五月一日の晩、二人は激しい口論をした。そして夜半過ぎ、クララはフリッツの軍用ピストルで自分の胸を撃った。しかしハーバーは、そのまま研究に没頭した。そして翌朝、ロシア軍に対する初のガス攻撃の計画のために東部前線に向けて旅立った。
アインシュタインがクララの自殺を知ったのは、しばらく経ってからだった。別居している妻ミレヴァから、前置きも説明もなしに「ハーバー夫人が二週間前に拳銃自殺した」と手短に知らされたのだった。

第六章 決定的な勝利
p187
一九一三年、エディントンは王立天文学会の機関誌『ジ・オブザヴァトリー』の共同編集者になるとコラムを設けた。毎号一人の天文学者に刺激的な難問を紹介してもらう。
p188
エディントン本人も一九一五年二月に「重力の正体」について論じている。
さまざまな説明が浮かんでは消えていった。いまだに重力は、自然界のほかの力といっさい関係ないように思われた。エディントンは記事の最後の方で「重力場によって光の速さが変化する」という予測が、アインシュタインによってなされていると指摘。

★★ヒルベルトとの出会い★★

p191
一九一五年の夏、アインシュタインはダフィット・ヒルベルト(1862-1953)と友人になる。ゲッティンゲン大学の有名教授。二〇世紀の偉大な数学者の一人。
p192
ヒルベルトは「公理化」できそうな理論の一つが「物質の電磁気理論」だと考えた。「純粋に論理的で数学的な原理」から、「物質の基本的な性質」を「導ける」だろう、ということだ。
これがきっかけで、一九一二年頃、ヒルベルトはアインシュタインの研究に行き着いた。
一握りの簡単な原理(等価原理や相対原理)に基づいて相対論をつくるというアインシュタインの研究を、ヒルベルトは有望に感じた。
ヒルベルトは、アインシュタインを、一九一五年六月二八日から七月五日までゲッティンゲン大学で開かれる講演に招待した。
彼らはすぐに親しくなった。
アインシュタインは「魅了された。偉大な男だ! どんなことにもたった一人で驚くほどの精力を注ぎ込む男だ」と評した。
p194
アインシュタインとヒルベルトの意見交換の場にほとんどいたクラインは言う「彼らは話しがいかみ合わない。相手の言うことにも関心を払ってなかった」。
数学者ならよくあることだ。ヒルベルトは電磁気理論に、アインシュタインは時間と空間に、それぞれ関心があった。二人は同じ方程式を違う角度から見ていた。
彼らは互いの議論から刺激を受け、必要な武器をすべて身につけた。競争開始である。
p198
一九一五年九月二二日、アインシュタインは、届いていたローレンツの新しい論文をむさぼるように読んだ。
ハミルトン(1805-65)の原理を、重力場と電磁場に当てはめたもの。その原理は、(略)
※ここからの説明が具体的でないからわからない。それでも断片的にはなるが、気になる記述を以下に記しておこう。

その原理は、物体の運動を解析する道具。
ニュートン理論に代わる強力な道具。
ニュートン力学は、ある物体に「作用する力」とその力の「変化の様子」を明らかにしてから、その物体がたどる「経路」を計算。これはすぐに計算が複雑に。
※微分のことか?
ハミルトンの原理は、作用している力は無視。その物体が持つエネルギーを、(1)運動エネルギー(簡単に分かる。※F=maとか?)(2)位置エネルギー(隠れたエネルギー。条件が整えば解放される)のあいだでの変換の様子を含めて解析。
※エネルギー保存則に基づく?
その原理によれば「物体は、もっとも短時間で、エネルギー消費が最小の経路を運動する」。「倹約」といった意味。
ある物体とその環境から、その倹約度を表現した方程式を立てる。すると経路が出てくる。
多くの問題が簡単に解けるようになるが、高い抽象化をしなければならない。
・物体に具体的に作用する力は語れない。
・エネルのギー変化を一般的な形でしか語れない。

p200
ローレンツの論文は、重力や電磁力を受ける物体にハミルトンの原理を新たな形で当てはめたもの。
その方法は、アインシュタインがエントヴルフにおけるエネルギー保存則を明らかにするために使っていた「ラグランジアン」という方法に似ていた。

***
量子物理学者の仮説「人が経験する『時』の感覚は錯覚(幻illusion)。『時』は直線上に並ばない。過去と現在(※と未来?)は同時に存在している。過去は現在もあって追体験できる」(ボーンズ7-4)
***

p204
マッハ的な考えを捨て去れば、(略)
「致命的な先入観」から解放(略)
一般共変的な理論が得られ(略)相対論は、自分が最初にイメージしていた、観察者や場所や運動状態から真に独立した自然法則へと復活してくれる。(略)
一九一五年一一月以降のアインシュタインは、「論理的な現実主義者」と言えるかも。数学と論理によって物事の真の本質を解き明かせる。人間の目に見える世界を超越した。マッハよりもプラトンに近い。
p205
本人の言葉を借りれば「無節操な日和見主義者」だった。
新たな二つの道具。
一、座標変換に関する非マッハ的な考え方
二、ラグランジアンの方法
p210
一九一一年の光のズレの予測値が間違っていたことがわかった。ブラジルの日食観測が雨で中止に、フロイントリッヒによるクリミアでの日食観測が戦争で中止になっていなかったら、彼らは「間違った大きさの光のズレ」を探す羽目になっていた。中止という大惨事がこの上ない幸運に変わり、アインシュタインは胸をなで下ろしたはずだ。
(略)
一二月六日、ヒルベルトはアインシュタインの先取権を認めるよう論文を修正した。アインシュタインに直接詫びる手紙も書いたのだろう。一二月二十日、アインシュタインは対立を終えることを望む短い手紙を。

p214
時間と空間は実は幻想だった。相対論の四次元宇宙では、時間と空間は一つのものである。(略)
p215
重力は、ニュートンが言う物体間の力ではない。もっと奇妙。
アインシュタインは言う。物体は時空上の二点間を結ぶ最短経路に沿って運動する。その最短経路は、大質量(惑星や恒星)によって変わる。最短経路は四次元ではまっすぐ。しかし人間(三次元的存在)には曲がって見える。
※球を投げたら曲がって落ちる、みたいな?

人間の脳はその「曲線」を、物体が「見えない力」によって押されたりずらされたりしたと思い、重力と呼ぶ。
Q. リンゴはなぜ落ちる?
ニュートン「重い天体が生み出す見えない力(重力)に引っ張られるから」
アインシュタイン「重い天体によって歪められた時空の中で最短最短を見つけようとするから」
これで重力の謎は解けたのか?
※さあ?

以上は、次の方程式になる。
G(uv)=8πt(uv) ※()内は小さい文字

第七章 塹壕を越えて

p220
中立国オランダ。ライデン大学の二人、ポール・エーレンフェストとヘンドリク・ローレンツ。
アインシュタインは何年も前から研究の親密な文通。
相対論の鍵、共変性を攻略したとき手紙「喜びと興奮」「間違った道の連続」。
相対論一派に加わったのがライデン天文台の台長ウィレム・ド・ジッター(1872-1934)。数理天文学者。
p221
一九一六年一月、アインシュタインは相対論の定式化と格闘。

★★シュヴァルツシルト★★
p222
シュヴァルツシルトは、アインシュタインの講演を聴いて休暇から戦争の駐屯地に戻った。
p223
アインシュタインの相対論の論文を受け取ったシュヴァルツシルトは腰を据えて学び始めた。すぐにお粗末な導出に気づき、もっとうまい方法を探した。
p224
水星の軌道計算を、アインシュタインは近似で、シュヴァルツシルトは正確な答え「歳差は一〇〇年あたり四三秒角」を導いた。
きわめて抽象的なアインシュタインの原理から具体的で観測可能な予測が導かれたことに感動。シュヴァルツシルトはアインシュタインに「この成果に注目してほしい」と手紙。
受け取ってアインシュタインは驚いた。計算はとても単純。なぜ自分は見過ごしていた?
p225
一週間後の手紙でますます仰天。アインシュタインが不可能と思ったことが成し遂げられていた。一般相対論の方程式に対する厳密解が示されていた。
一九一五年一一月に一般相対論を「完成させた」とき、得られた一〇個の微分方程式に解があるかどうかは不明。(略)
p226
微分方程式は、「宇宙はどのように振る舞いたがるか」を表している。具体的実例を示すとなると、その解が必要になる。(略)
アインシュタインは微分方程式(時空がどう振る舞うはずかの原理)が正しいことには自信があった。しかし実際の時空の振る舞いは分からず、「近似」で答えを導こうとしていた。
しかしシュヴァルツシルトは「厳密解」を初めて見つけた。アインシュタインの宇宙の中に、現実の世界で見られるものを発見した。二一世紀の現在ではアインシュタイン方程式の解は多数見つかっているが、最初がシュヴァルツシルトの解。
p227
アインシュタインは感謝。天文物理学者シュヴァルツシルトが「光のズレ」の検証の手助けもしてくれないか期待。
p229
★★ブラックホール★★
シュヴァルツシルト「解に奇妙な特徴。十分大きい質量が十分小さい領域に押し込まれると、時空の『閉じたポケット』が作られる」。のちのブラックホール。

p234
バートランド・ラッセル(1872-1970
ラッセルの共同研究者アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド(1861-1947
ラッセルの弟子ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン(1889-1951
※省略

p236
一九一六年五月下旬または六月上旬、(※この頃ケンブリッジ天文台台長?)エディントンは、ライデン天文台台長ウィレム・ド・ジッターからアインシュタインの研究の話を手紙で受け取った。(略)
初めて敵国に一般相対論がお披露目。理論が塹壕を飛び越えた。

p239
アインシュタインはド・ジッターに感謝の手紙「天文学者エディントンが相対論を深く見抜いていることに感銘。平和が戻ってきたら手紙を書くつもり」。
p243
シュヴァルツシルトが東部戦線の駐屯地で病に倒れた。おそらく化学兵器に触れたことによる未知の皮膚病。ベルリンの病院に運ばれ、二か月後に死んだ。
アインシュタインはシュヴァルツシルトの死を嘆きヒルベルトに手紙「彼ほど巧みに数学を操れる人は数人しかいない」
しかし心の中では、シュヴァルツシルトの科学的才能と、戦争における道徳的な罪を折り合わせるのに苦心。

第八章 宇宙の境界線

p255
一九一六年の春、ヒルベルトの研究は、一般相対論から導かれるエネルギー保存則。相対論から導けるかどうか。アインシュタイン
一つ見つけたが、ヒルベルトとは違う方法。食い違い解消のため、学生の一人博士号取得、微分不変式論の世界的な専門家の一人、ゲッティンゲン大学の無給講師エミー・ネーターを仲間に引き込んだ。
p256
エミー・ネーター女史はのちにネーターの定理を導く。今日の理論物理学に欠かせない道具。一九三三年にナチスが権力を握ると、多くのユダヤ系教官とともにネーターもゲッティンゲン大学から追放。アインシュタインと同じくアメリカへ亡命。
一九一六年、アインシュタインは「重力はどう伝わるのか? 太陽が突然消えたら、重力は瞬時に消える? 光と同じ八分後?」
電磁気力を手本。一九世紀、マクスウェルは電磁気力が波として伝わることを突きとめた。電荷が振動すると周囲の電磁場が揺さぶられ、それが光の速さで伝わる。マクスウェルは光=電磁波と推論。ハインリッヒ・ヘルツが実験で証明。光と電磁気が統一。
p257
重力波は存在するのか?
***
重力波は、「時空の曲率の時間変動」が波動として光速で伝播する現象。1916年に、一般相対性理論に基づいてアルベルト・アインシュタインによってその存在が予言された後、約100年に渡り、幾度となく検出が試みられ、2016年2月に直接検出に成功したことが発表された。 ウィキペディア
***
重力場の方程式から、エネルギーをともなって光の速さで移動する数学的存在を導いた。しかし実在するのか?
実際に検出されたのはごく最近、二〇一五年九月一四日。
※ウィキペディアと食い違うな。笑
p258
一九一六年九月二七日、ようやくアインシュタインはエーレンフェストの手はずによってライデン行きの列車に。
エーレンフェスト、ローレンツ、ド・ジッターと交流。
p260
一九一七年二月。イギリスによる海上封鎖が効いて、小麦の代わりに食べられていたジャガイモが手に入らなくなり、動物の餌カブを食べる。「カブラの冬」。推計一二万のドイツ人が栄養失調で死んだ。
p262
アインシュタインも病状悪化。二か月で体重二〇キロ減った。寝たきりのアインシュタインそれでも研究。一年越しの問題が進展。
宇宙には端があるのか?
p263
アインシュタインは遠回りしてこの疑問に。
一般相対論の土台とみなすマッハの原理が有効だとまだ証明しようとしていた。
マッハの原理によれば、
慣性(押されたり引っ張られたりするのに抵抗する性質)は、質量を持つ物体の「固有の性質ではない」。
慣性は、ほかの物体との「重力相互作用によって発生する」。
ならば、質量と慣性も相対的。(時間と空間が相対論のもとで歪むように)
ならば、マグカップの慣性は、はるかかなたの宇宙にひろがる目に見えない大量の物質の重力が原因。
※わからん。
朝、マグカップを持ち上げにくいのは、無限に近い距離にある膨大な物質がひそかに引っ張っているから。
ここからアインシュタインは
「では宇宙の端では何が起こるのか」。
無限に広がる存在を相対論で扱えるのか?
p264
実は前年の一九一六年五月からアインシュタインはこの問題を考え始めていた。天文学者ド・ジッターとの手紙のやりとり。
慣性に対するアインシュタインの説明が成り立つからといって、宇宙に巨大な質量が存在するとは想像できなかった。
ド・ジッターの手紙「それを信じたら、私にとって君の理論はその古典的な美しさの大部分を失う。(略)私は慣性に対する説明は『存在しない』ほうを望む」。
アインシュタイン「無限が問題。宇宙が無限なら、宇宙の質量も無限大。マッハの原理によれば地球で慣性は無限大になってしまう。理屈が通らない。宇宙が無限という考え方を捨てれば問題解消」。
p265
当時、天の川銀河が宇宙のすべて(一万光年)
アインシュタインは計算。宇宙は有限(塗りつぶせる)だが端がない(歩いても端にたどり着かない)。最終的には出発点に戻る。
しかし、方程式によると、宇宙(恒星の塊)は自身の重力で潰れていくはずなのに、実際には潰れていない。
p266
そこでアインシュタインは、一般相対論にまったく新しい力を追加。宇宙定数(重力によって宇宙が内側に潰れていくのを食い止める謎の反発力)。苦渋の決断。のちに物理学者のジョージ・ガモフ(1904-68)は「アインシュタイン最大のヘマ」と呼んだ。
p267
一九一七年二月五日、アインシュタインは成果をプロイセンアカデミーで発表。
エーレンフェストへの手紙「この理論のせいで、精神病院に送られる危険に少々さらされている」。
※コペルニクスやガリレオと同じ。
p268
ド・ジッターは「(方程式を満たす)空っぽの宇宙でも物体が質量を持てるとしたら、マッハの原理を一般相対論に組み込めない。なぜなら、空っぽの宇宙には、その物体に慣性を与える遠方の質量が存在しないから」
アインシュタインはこれでマッハの原理に頼らず、一般相対論は先へ進む。
※わからん。
p269
アインシュタインとド・ジッターは、今で言う「宇宙論的モデル」の第一と第二の例を構築。
偶然、現代の相対論的宇宙論の基礎を築いた。
根底の考え方は、次の通り。
一、これらのモデルは、宇宙の真の状態(静的か、動的か、永久か、輪廻するか)を表現している。
二、観測によってそのいずれであるかを判断できる。
これがやがて、「ビッグバンから始まって銀河が飛び去っていく」という『現在の宇宙モデル』につながる。
p270
一九一七年三月、ド・ジッターはエディントンに二つの宇宙モデルの手紙を送った。(略)この頃ドイツのUボートが警告なしで民間船に魚雷を発射する無差別攻撃が再開された。ルシタニア号沈没事件ののち、ドイツは国際的な怒りによって中断。しかし一九一七年初め、戦況悪化で、再開が正当化。
p271
戦争のため、重力による光のずれの観測はできない。アインシュタインの呟き「もはやヤハウェが自分で灰と炎を降らせる必要はない。ヤハウェは近代化されていて、自動でその仕掛けを動かしている」

第九章 相対論への抵抗
p295
一九一八年二月一日、王立研究所はエディントンが相対論を説く説教壇に。
アインシュタインの宇宙の奇妙さがたくさん話された(読んだばかりの『宇宙戦争』に触発されたか)。
空間、時間、質量、エネルギーの新しい見方。四月には『重力の相対性理論に関する報告(エディントン著)』に。エディントンが一八か月かけて相対論を理解し、噛み砕き、ドイツの科学を敵視する聴衆のために書き換えた集大成。アインシュタインの方程式だけでは理論にならない。解釈して、意味を与え、日常生活と結びつける枠組みが必要。世界の人々は、アインシュタインではなく、エディントンの枠組み(体系)を通じて、初めて相対論と出会った。
p296
『報告』冒頭で、マイケルソン-モーリーの実験の奇妙なヌル結果。その結果から、時間や空間を「測定する」とは? それから、長さの収縮と時間の遅れに関するアインシュタインの実証主義的な議論展開。エディントンは初めてイラスト使用。おかげでその後の著作もベストセラーランキングに。
光速に近いスピードで移動する人が宇宙船の鏡を見ても普通に見える。街の人々は押しつぶされて見える。街の人々は宇宙船の人が押しつぶされて見える。
p297
※浦島効果の話。省略。
p298
次にエディントンは四次元時空を紹介。
宇宙における測定の基本単位は、すべての観測者にとって一致するような空間と時間の組み合わせ、いわゆる「時空間隔」。
時空間隔は、二つの「事象(物体どうしの何らかの作用)」のあいだの四次元距離に相当する。
時空間隔は、大きな質量の存在によって湾曲することもある。
その湾曲を人間は「重力」として感じる。
「湾曲」という言葉を使えば「微分不変式」と言わずにすむが、あくまで三次元空間における比喩。
続いてエディントンは、時空の曲面が宇宙全体にどのように広がっているかを説明してから、「宇宙モデル(*1)」紹介。
(*1)アインシュタインやド・ジッター。宇宙全体を数学的に記述する試み。
とくに、アインシュタインによる閉じた宇宙(スターバックスの店舗数が有限の宇宙)に重点。宇宙を探検するあなたはいずれ出発点に戻ってきてしまう。同じように、星から出た光はぐるっと一周して元に戻ってくる。だとすれば、夜空に見える光のほとんどは実際の星ではなく、時空の湾曲に捕らえられた光ということになる。
エディントン「反星。目に見える星のうち天体であるものは、ある一定の割合だけ。残りは遠い過去に星だった場所に姿を現した星の幽霊」
p299
ド・ジッターの宇宙モデルでは、すべての天体が互いに遠ざかり続けている。エディントンは、当時観測されたばかりの、渦巻星雲(いまで言うところの銀河)が互いに猛スピードで遠ざかっているように見えるという事実と、それは何か関係があるのかもしれないと推測。実際にそのとおりで、エディントンはビッグバンの証拠を最初に見つけたとも言える。
p300
四次元世界ではさらに奇妙なことが。
※世界線の記述。後日。

人間は事象を一つずつ経験する。
しかし四次元時空全体では、すべての事象を同時に「見る」ことになる。「時空の本質を知覚できる存在」なら、世界線に沿って自分の過去と未来が連なっているのを見る。過去、現在、未来は、相対的な表現にすぎない。
※まじかー

一般相対論の宇宙は「決定論的」。未来はすでに決まっている。自由意志は存在しない。(略)エディントンはこの結論に納得できなかった。のちに「自由意志の本質と時間の経過に対する人間の感覚」を分析。(『物理世界の本質』)
p301
時空や世界線などの抽象的概念の次にエディントンはアインシュタインによるエレベーターの思考実験を話して、読者を日常経験に引き戻す。
(略)
等価原理から一般相対論の三つの検証法が導かれる。
一、水星の軌道の変動
二、重力赤方偏移
三、重力による光のズレ
p302
エディントンは読者に、一九一九年の日食のさいにこの現象を探したい、と語っている。
答えを出したいのは「光に重さがあるかどうか」。アインシュタインは光には重さがある(エネルギーが質量と等価)と言った。
※エネルギーが質量と等価、つまりE=mc2は静止物体のみ。光(光子)の質量はゼロ。筆者の意図がわからん。
https://www.jmedj.co.jp/journal/paper/detail.php?id=7908

p306
アインシュタインはエルザの娘イルゼ(二〇歳)と関係。「自分は関係ないから二人で決着をつけてもらって、どちらとでもいいから結婚したい」
伝記作家の一人が指摘しているが、アインシュタインはセックスと結婚は別物と考えていた。生涯にわたって愛人もいた。このあとアインシュタインはようやくエルザとの結婚に同意。しかしまだミレヴァと婚姻関係。正式離婚のためにアインシュタインはミレヴァに苦渋の頼み事。「不倫をしたと告発してくれ」それで離婚手続きが進められる。ミレヴァはもっと金をくれと交渉。最終的に「アインシュタインがノーベル賞を取ったら、その正金はミレヴァが受け取る」ことで合意。
※ひでえな、というかなんというか。自由だね。ピカソっぽい。英雄色を好む、とか。

第一一章 検証
一九一九年五月二九日、エディントンはアフリカのプリンシペ島で日食撮影成功。
p378
六月二日、アインシュタインはエルザと結婚。
p379
(終戦の)条約立案に携わる外交チームの一人ケインズは、「空虚で不毛な陰謀」に嫌気がさして交渉役を降りた。『平和の経済的帰結』を書いて、「復讐心に燃える条約は長期的に害をおよぼす」と訴えた。
p380
六月二八日、ベルサイユ条約。
アインシュタインは協商国の貪欲さに怒ったが、すべての条項を守らされることはないだろうと考えていた。心配したのはベルリンで右翼が勢いづいたこと。革命勢力の目指す社会民主主義からどんどん遠のいていったこと。「政治的な波が退いている。受け身になっている。民衆は、戦争終結を解放と受け止め、野菜の復活を安堵と受け止めている」とアインシュタインは書き残している。
p388
エディントンが私的な会合で結果を発表したのち、ダイソン(※エディントンの上司だっけ)は王立協会評議会に、結果を正式に発表する特別会合を一一月六日に開いてくれるよう申し入れた。
p398
(特別会合の)翌日、ロンドンの『タイムズ』科学としては史上最大の見出しが躍る。「科学の革命」である。(略)(※クエーカー教徒である)エディントンが望んだとおり、軍国主義のドイツという戦時中の固定観念をことごとく斥ける、平和を好む天才と形容された。
p399
一九一九年一一月一〇日、『ニューヨークタイムズ』も、「天空で光はすべて歪む」という見出し。
p401
エディントンは何度も取材を受け、記事を書いた。そのたびに「科学の国際主義によって科学革命が実現したのだ」と説いた。以下はある記事から引用。「イギリスの日食観測遠征によっていまや見事に裏付けられた、ベルリンのアルベルト・アインシュタイン教授の理論は、外界の自然(※世界)に対する我々の見方を広げてくれた。コペルニクスやニュートンやダーウィンによる進歩に匹敵する、あるいはもしかしたらそれらを凌ぐものである」。
p404
一二月一日、エディントンは遠方の同志アインシュタインに初めて直接手紙を送った。
「(略)戦時中にさえドイツとイギリスの科学の結束を示すこのような実例があったことは、きわめて幸運だったと感じます」
もちろん幸運だったが、もっと重要なのは、熟慮の上での行動。日食観測遠征がドイツとイギリスの結束の象徴となったのは、エディントンがそのように講じたからだ。また、そのような象徴的な行動が実現したのは、アインシュタインがドイツ科学界の軍国主義と戦うことを選んだからだ。
何人かの科学者が科学を一つにまとめ上げ、科学が戦争の大きな溝をまたいだ。その偉大な瞬間だった。
※美しいね。こういうこともあるんだね。拉致問題は無理かな。

第一二章 相対論サーカス
p413
何年ものちにアインシュタインは、チャーリー・チャップリンとともにある映画のプレミア上映に。人々は喝采。チャップリン「私への喝采はみんな私を理解してるから。君への喝采は誰も君を理解してないから」。
(略)
一二月一四日、ドイツでもアインシュタイン現象。
p420
プロイセンアカデミーの同僚会員カール・ストゥルンプ「誰もが心の中で、あなたを満たしているはずの喜びを共有し、軍事と政治の崩壊ののちにドイツの科学がこのような勝利を誇りに感じています」。
アインシュタインは自分の研究がドイツの科学の勝利と形容されていることはあまり愉快ではなかった。それでも、一般相対論の研究支援の巨額の政府補助金には喜んだ。ドイツ政府はアインシュタインが突然もたらした国際的友好関係に驚き、可能な限りの方法で支援したいと思ったのだ。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中