20210327『哲学の名著50冊が1冊でざっと学べる』岡本裕一朗

『哲学の名著50冊が1冊でざっと学べる』岡本裕一朗

10人、17~18世紀の哲学者
ガリレオ(1564-1642)、
ケプラー(1571-1630)、
ニュートン(1643-1727)で13人
コペルニクス合わせてこの4人は「17世紀科学革命」(バターフィールドによる)

***
バロック音楽
https://jp.yamaha.com/services/music_pal/study/history/baroque/index.html
劇音楽が誕生した1600年から、大バッハ(J. S. バッハ)の死んだ1750年までの約150年間をバロック音楽の時代とよびます。 政治的には絶対主義の時代です。
バッハとヘンデルは同年の1685年の生まれ
***

第二章 理性とは?
p74
◆13『リヴァイアサン(1651)』トマス・ホッブズ(1588-1679
ピューリタン革命や名誉革命があったイギリスの時代、機械論的唯物論を主張していたホッブズは、この本で解決策を提案。
p74
デカルトは二元論。精神と身体は異なる実体。ホッブズは機械論的唯物論。デカルトに対抗。(※無神論?)
p78
ポイント 各人が自由を放棄することによって、各人から独立した国家権力が生まれる。

p79
◆14 デカルト(1596-1650
※我思う故に我あり。と言うが、荘子の「蝶が私か、私が蝶か」で、すでに懐疑の中に在り。「意識」を絶対とした。その後、「意識=言葉」で言語分析時代。その後、「心⊃意識」で現代の心(脳)分析時代(認知心理学など)。

p84
◆15 『パンセ(1670)』ブレーズ・パスカル(1623-1662
「私はデカルトを許さない」(『パンセ』)
神や人間理性に対する二人の思想が全然違っていたから。
※パスカルは神を絶対視、デカルトは神を相対視。
p86
「人間=死刑囚論」。死刑囚は死を自覚しているが、人間は目を背け、気晴らしで楽しむ=「人間の悲惨さ」。「神」を想定しなければ逃れるすべはない。
※しかし神は死んだから逃れられない。ゆえに「何せうぞくすんで一期(いちご)は夢よただ狂へ」(『閑吟集』)
「遊びをせむとや生まれけむ戯(たはぶ)れせむとや生まれけむ遊ぶ子供の声聞けば我が身さへこそゆるがるれ」(『梁塵秘抄』)となる。出口なし。
p87
「滑稽な正義よ。山のこちら側の真理は、山のあちら側では誤りである」
※パスカルは相対主義(20世紀ポストモダン)の先駆者。

***『いま世界の哲学者が考えていること』岡本裕一朗
p37
20世紀ポストモダン(1970年代以降世界で流行)=言語論的転回=①言語で世界が構築される。(「テクストの外には何もない」ジャック・デリダ)②すべての意見は優劣がつけられず相対的である。
***

p89
◆16『エティカ(1677)』スピノザ(1632-77)

p94
◆17『人間知性論(1689)』ジョン・ロック(1632-1704
イギリス経験論の源流となった本書によって、デカルトに始まる大陸合理論との対立が明確に。
ロックの「経験主義」を批判したライプニッツ
『統治二論』が、アメリカ独立革命やフランス革命を導いた。

p99
ボイル(1627-1691
フック(1635–1703
※ニュートンは1643年生まれ
※ルイ14世(在位1643-1715
◆18『単子論(1714)』ライプニッツ(1646-1716
17世紀は「天才の世紀」。仏デカルト。英ホッブズ、ロック。独ライプニッツ(二進法の考案者。法実務家、政治顧問、世界中の政治家や学者や王侯貴族との交際家)。

p103
◆19『人間本性論(1739)』ヒューム(1711-76)イギリス経験論の完成者。
p103
※ニュートン、ルソーとヒュームの逸話。後日
p105
反理性主義

p108
◆20『社会契約論(1762)』ルソー(1712-78)

p113
第三章 どう生きる?
◆21『純粋理性批判(1781)』カント(1724-1804
p115
カントには経験論だけでは不十分。感覚的経験だけでは「学問として要求される必然的な認識は成立しない」。
例えば、原因と結果。経験だけでは、原因のあとに結果が起こり「へえ」で、終わる。事実に対する習慣しか成立しない。その関係に必然性を与えるには、「何らかの形で経験を超える」必要がある。
※そうか?

純粋理性批判(分析)…知識
実践理性批判…道徳
判断力批判…芸術
p116
カントは言う「人間の認識は経験とともに始まる」。つまりカントは経験論を受け入れている。そしてまた言う「すべての認識が経験から生まれるわけではない」。こうしてカントは経験論を認めつつ、その不備を合理論によって補う。
カントは言う。
人間の認識の「内容」は、まず、経験によって与えられる。
次に、その経験内容を整理して意味をもたせる「形式」が必要だ。
「形式」は二段階ある。
第一段階は、直観形式で「時間と空間」。
第二段階で、悟性形式がはたらく。これはアリストテレス以来の「カテゴリー」。たとえば、
「質」や「量」。
「関係」や「様態」。
何らかのカテゴリーにしたがって、認識ができあがる。
この認識論の説明としてカントは「コペルニクス的転回」とたとえる。従来の認識論は、認識が対象に従う。カントの認識論は「対象が認識に従う」。
※カントの言う形式(直観・カテゴリー)も「経験から生まれた」のではないか?

カントの認識論は、同時代人にはサングラスをかけて対象を認識することと同じとみなされた。現代では「構成主義」と呼ばれる。対象は認識によって構成される(形式を与えられる)からだ。
p117
カントの『純粋理性批判』
一、感性論…直観形式を重んじる。
二、方法論…学問形式を論じる。
三、分析論…経験の範囲。一般形而上学。
四、弁証論…経験の範囲外。特殊形而上学。神や宇宙や魂。カントは言う「信仰に場所を与えるために、認識を捨てなければならない」。

p119
◆22『道徳および立法の諸原理序説(1789)』ジェレミー・ベンサム(1748-1832
功利主義~善悪を評価する客観的方法

***この後は19世紀
◆23『精神現象学(1807)』ヘーゲル(1770-1831)カントから始まったドイツ観念論の完成者。
◆24『意志と表象としての世界(1819)』ショーペンハウアー(1788-1860)ペシミズム
◆25『キリスト教の本質(1841)』フォイエルバッハ(1804-1872
◆26『自由論(1859)』JSミル(1806-1873
p140
他人に危害を与えない限り、自由に行動してよい。
p141
たとえその人自身に危害を及ぼしていても(飲酒癖とか)、判断力のあるはずの成人の自由をうばうことはできない。
※もちろん他人に危害を与える場合は自由を奪ってよい。

◆27『死に至る病(1849)』キルケゴール(1813-1855)実存主義
◆28『資本論(1867)』マルクス(1818-1883)社会主義・共産主義
p148
マルクスの「唯物史観」は、認識論や存在論の観点から何度もこれまで議論。サルトルの実存主義、レヴィストロースの構造主義、ハーバーマスのコミュニケーション的行為論も、マルクスの唯物史観にどう対応するか。
***
※私見。この定義をわかりやすくしないと一生哲学の本は役に立たない。
認識論…意識または心とは?
存在論…生きるとは? なぜいる? 生とは?
***

◆29『ツァラトゥストラ(1885)』ニーチェ(1844-1900
p153
19世紀後半ニーチェは予言「次の二世紀がニヒリズムの時代だ」。
ニヒリズムはラテン語の「ニヒル(何もない:nothing )」語源。絶対的な価値や真理が消えたこと。相対主義の蔓延。

p156
駱駝…道徳の重荷
獅子…道徳批判。自由に。
子ども…遊びで新たな価値創造。

永遠回帰「およそ到達しうる限りの最高の肯定の方式」
※むむ?

p157
権力への意志。超人はこの意志の体現者。

◆30『イデーン(1913)』フッサール(1859-1938)現象学

第4章 自分とは?
第5章 哲学はどこへ?

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