20200215『銃・病原菌・鉄』ジャレド・ダイアモンド

20200215『銃・病原菌・鉄』ジャレド・ダイアモンド

プロローグ ニューギニア人ヤリの問いかけるもの
p35
現代の人々の差は環境による。生物学的差異が原因ではない。
※当たり前に聞こえる。差別主義者が多いのか。
答えが求められているのは、地理的要因が歴史にどれほど影響を与えたか。

第一部 勝者と敗者をめぐる謎
第一章 一万三〇〇〇年前のスタートライン

第二章 平和の民と戦う民との分かれ道
p96
ポリネシアは、人間社会が環境によって多様化するという格好の例をあたえてくれた。では大陸においても同じような変化が起こったかを問わなければならない。
※人口が増えると、平等な狩猟採集社会が格差のある農耕牧畜社会に変わる。

第三章 スペイン人とインカ帝国の激突
p100
一五三二年十一月十六日にスペインの征服者ピサロとインカ皇帝アタワルパがペルー北方の高地カハマルカで出会った。アタワルパは、アメリカ大陸で最大かつもっとも進歩した国家の絶対君主であった。対するピサロは、ヨーロッパ最強の君主国であった神聖ローマ帝国カール五世(スペイン王カルロス一世)の世界を代表していた。
ピサロは一六八人のならず者部隊を率いていたが、土地には不案内で、地域住民のこともわかっていなかった。
アタワルパは何百万の臣民を抱える帝国の中心にいて、八万の兵士によって護られていた。
にもかかわらず、ピサロは、アタワルパと目をあわせたほんの数分後に彼を捕らえていた。そしてその後の八カ月間、アタワルパを人質に身代金交渉をして、彼の解放を餌に世界最高額の身代金をせしめた。縦二二フィート、横一七フィート、高さ八フィートの部屋を満たす黄金を手に入れたあと、ピサロは約束をやぶってアタワルパを処刑した。
p101
移住者と原住民のあいだで同じような衝突が起こった場合、その成り行きを決定的にする要因は「ピサロがアタワルパを捕まえることができた要因」と本質的に同じである。われわれは、この事件を通じて人類史をより広い視野で見ることができる。

p110
「ピサロがアタワルパを捕らえることができたのはなぜか」
p114
馬を所有していたこと、鉄製の武器や甲冑を所有していたこと。これらを考えれば、金属製の武器を持たない歩兵相手の戦いにおいて、スペイン側が圧倒的な数の敵に勝ちつづけたことはさほど驚くべきことではない。
p114
「アタワルパは、ピサロとの出会いに先立ち、どうしてカハマルカにやってきたのか」
そもそもはパナマとコロンビアに移住してきたスペイン人が持ち込んだ天然痘が原因。天然痘が南アメリカ先住民に大流行し、一五二六年、インカ皇帝ワイナ・カパックも死んだ。後継者ニナン・クヨチもすぐ天然痘で死んだため、王位争いがアタワルパと異母弟ワスカルのあいだに起き、内戦に発展。アタワルパはこの戦いに勝ったあと、敵方の拠点クスコを占領していた仲間に合流する途中で、カハマルカのピサロに出会った。つまり、もし天然痘がなければインカ帝国の分裂は起こらず、スペイン側は一致団結したインカ軍と戦わなければならなかった。
世界史では、疫病に免疫のある人たちが免疫のない人たちに病気をうつしたことが、その後の歴史の流れを決定的に変えてしまうことがある。
p115
ヨーロッパからの移住者が持ち込んだ疫病は、彼らが移住地域を広げるより速く南北アメリカ先住民のあいだに広まり、コロンブスの大陸発見以前の人口の九五パーセントを葬り去った。
p116
スペイン人がペルーにやってきた要因のひとつは、インカ帝国になかった文字を彼らが持っていたことだ。話し言葉より書き言葉の方が広く正確に伝わる。コロンブスの航海やコルテスのメキシコ征服が伝えられ、多くのスペイン人が新世界にやってきた。ピサロに関する本は、彼の部下クリストバル・デ・メナが最初で、アタワルパの処刑からわずか九カ月後の、一五三四年四月にセビリアで出版されてベストセラーになった。
※織田信長が生まれた年。

p120
なぜ銃や鉄剣を発明したのはインカ人ではなかったか。
馬と同じくらい恐ろしい獣を乗りこなすようにならなかったのか。
ヨーロッパ人が耐性を持たない疫病に対する免疫を持ち合わせるようにならなかったのか。
大海を航海できる技術を持たなかったのか。
進んだ政治機構を持たなかったのか。
文字を持たなかったのか。
第二部、第三部で考える。

第四章 食料生産と征服戦争 p122

第五章 持てるものと持たざるものの歴史p133
人類史とは、農耕民として力を得た「持てるもの」が、その力を「持たざるもの」に対して展開してきた不平等な争いの歴史であった。
p148
食料生産を独自にはじめた地域は世界にほんの数カ所しかない。
※9カ所。p141地図、p143表。

第六章 農耕を始めた人と始めなかった人
p150
実際には、すべての食料生産者が狩猟採集民より快適な生活を送っているわけではない。今日、狩猟採集民より快適な生活を送っている食料生産者は、裕福な先進国にしか存在しない。世界の食料生産者の大部分は、貧しい農民や牧畜民によってによって占められている。これを知っていたら、最初に農耕民になった人々は、その道を選ばなかったかもしれない。なぜ彼らは選んだのか。

p162
食料生産者は狩猟採集民より圧倒的に数が多かったため、狩猟採集民を殺すことができた。もちろん、技術的に発達し、各種疫病への免疫を持ち、職業軍人を有していたことも有利にはたらいた。

第七章 毒のないアーモンドのつくり方

コメントを残す