20200206『観念と革命 西の世界観Ⅱ』松岡正剛

20200206『観念と革命 西の世界観Ⅱ』松岡正剛

第一章 ドイツという観念
p12 ゲーテ『ヴィルヘルム・マイスター』九七〇夜
p26
失意を知っていながら放置していたことが罪なのだ。
p28
天才シェリングが提示した「世界世代」という歴史観に戻ってみれば見えるが、ゲーテの青年期から晩年までは、カントからヘーゲルに及んだ「ドイツ観念論」と、ノヴァーリスからベートーヴェンにおよぶ「ドイツ・ロマン主義」が時代を貫いていた時期だ。そのあいだヨーロッパは「アメリカとの戦争」「フランス革命」「イギリス産業革命」などを通過し、続いて「ナポレオンによる征服」を受け入れざるをえなかった。その渦中、ドイツはなんらイニシアチブがとれなかった。一八〇六年にはナポレオンがイエーナを占領し、ゲーテも町の連中の右往左往の手助けに走ったものだった。

p31 フィヒテ『ドイツ国民に告ぐ』三九〇夜
p40
知識はテーゼ(定立)とアンチテーゼ(反定立)はジンテーゼ(統合)をおこす。アリストテレス以来の弁証法は、こうしてフィヒテ、ヘーゲル、マルクスの弁証法になった。

p41 ヘーゲル『精神現象学』一七〇八夜
p43
人間は進化のあげく脳神経系を得た。もしも生命史を通した「意識あるいは精神の歴史」というものがあるとしたら?
その発端は「物質が情報化高分子になって光合成とDNAを操るようになったこと」にある。
そしてその現在は「脳が自己と意識をもって全物質史と全生命史と全文明史を眺めている」ことにある。
ヘーゲルは、「自分の脳」が「物質の歴史」を「情報の歴史」に読み替えていると確信したのだろう。
p44
『精神現象学』は、「脳=意識によって世界を観察する力(理性や知性)」が成熟し、そこから転回。その理性や知性が「世界の真相」を求めて、全力で「絶対知(※真実)」に向かうのではないか、というもの。
p70
そのほか、ジュディス・バトラーからマックス・ガブリエル(『「私」は脳ではない』)までが、ぼくが見るに「ヘーゲルの傘」の中を出入りしているとおぼしい。

p88 クラウゼヴィッツ『戦争論』二七三夜
p101 マルクス『経済学・哲学草稿』七八九夜
p122 ハイネ『歌の本』二六八夜

第二章 神は死んだのか
p151 ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』一一六四夜
p157
(人間)世界は、世界意志(原意志。無目的に人間をかりたてる非理性的な意志)のなかの個別化の意志を取り出しあう抗争の場である。
世界は最悪なものだ。なんら本来の意志とは出会えないままなのだ。
ショーペンハウアーは「世界は最悪にあらわれている」と告げた。ショーペンハウアーの哲学は、世界は苦悩と矛盾にまみれているということだった。苦悩観、のちにぼくを震わせた「ミットライト・ペシミズム」である。
p161
二五歳のときベルリンを去り、ワイマールで二人の加護者に会う。ゲーテとマイヤーだ。ゲーテは母との交流もあってショーペンハウアーを認めた。
p162
マイヤーはヘルダーの弟子の東洋学者でショーペンハウアーをインド哲学に導いた。「一切皆苦」に近づいていた。倫理学と形而上学は一つでなければならないという予感。
ショーペンハウアーは早熟だった。二七才のときはゲーテとの共同研究『視覚と色彩について』をまとめている。そして一八一九年、三一歳のとき、『意志と表象としての世界』を発表した。
p164
ショーペンハウアーは「意志と存在が、共感と同情と共苦をもって、世界としてあらわれてくる」と主張した。
p169
ショーペンハウアーは「解脱」に向かう。そして「生の意志」があるならば、倫理的な解脱感か、芸術的な解脱感しかないと、ペシミスティックに断じた。これはのちにニーチェを狂喜させた。

p175 ニーチェ『ツァラトゥストラかく語りき』一〇二三夜
※松岡正剛はニーチェの思想を八段階に分けている。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中