20200126『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』(下)ユヴァル・ノア・ハラリ

『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』(下)ユヴァル・ノア・ハラリ

p16
二〇一四年、インドの敬虔なヒンドゥー教徒であるナレンドラ・モディは首相に。
二〇〇三年以来、トルコのイスラム教徒であるレジェップ・タイイップ・エルドアンは権力の座に。公正発展党。一〇年以上、目を見張るような成長率維持。
二〇一二年、日本の国家主義者の安倍晋三は首相に就任。「アベノミクス」。
隣の中国で共産党はマルクス・レーニン主義を口では言うが、実際には鄧小平の「発展(経済成長)こそ揺るぎない道理だ」「黒い猫であれ白い猫であれネズミを捕るのが良い猫だ」が原則。
シンガポールでは、大臣の給与はGDPと連動している。
p17
経済成長は世界中でほとんど宗教のような地位を獲得した。
「より多くのもの(経済成長)」という宗教(信条)は、社会の平等を維持したり、生態系調和を守ったり、親を敬ったりといった、経済成長を妨げかねないことはすべて無視するように個人や企業や政府に強いる。
※全員金の亡者になる。笑

p18
強欲な経済界の大物や金持ちの農場経営者や表現の自由は保護されるが、自由市場資本主義のじゃまになる生態系の中の動植物の生息環境、社会構造、伝統的な価値観は、排除されたり破壊されたりする。
一時間一〇〇ドル稼ぐエンジニアの父親がある日介護が必要になる。自宅に引き取り、朝は出勤時間を遅らせ、夜は早く帰宅し、自ら世話することもできる。メキシコ人介護士を時給一二ドルで雇い、住み込みで父親の面倒を見てもらうこともできる。
どうするべきか。経済成長は家族の絆よりも大切だろうか。
資本主義は科学の領域から境界線を越えて宗教の領域に足を踏み入れたのだ。
資本主義は宗教と呼ばれても恥ずかしくはない。天国を約束する他の宗教と違い、資本主義はこの地上での楽園を約束し、実現させることさえある。飢饉と疫病を克服できたのは、資本主義に負うところが大きい。人間の暴力を減らした手柄の一部さえ、資本主義に帰せられる。資本主義は、人々が経済を、あなたの得は私の損というゼロサムゲームと見なすのをやめて、あなたの得は私の得でもあるという、誰もが満足する状況と見るように促すことで、全世界の平和に貢献したことに疑問の余地はない。「右の頬を打たれたら左の頬も向けよ」より世界平和に役立ってきただろう。

p20
「もう、これまで。十分成長した。これ以上頑張らなくていい」と資本主義が言うことはない。これは、資本主義のゲームによって子供たちの頭にまで叩き込まれている。近代以前に誕生したチェスのようなゲームは停滞した経済を前提としている。チェスは一六個の駒で対戦を始め、終わったときに駒の数が増えていることはない。それに対してコンピューターゲームの多くは、投資と成長に焦点を当てている。たとえば「マインクラフト」「カタンの開拓者たち」「シドマイヤーズ・シヴィライゼーション」といったゲームだ。舞台は中世、石器時代、空想の妖精の国だが、原理は資本主義に基づいている。
p21
資本主義経済は本当に永遠に成長し続けられるのだろうか? そのためには無限の資源が必要だ。地球は有限なのに。
p22
科学がこれを解決した。原材料とエネルギーという資源は使えば減る。しかし、第三の資源「知識」は増え続ける。私がアラスカの油田に一億ドル投資して石油が手に入れば孫の取り分は減る。しかし太陽エネルギー研究に一億ドル投資して効率的利用方法を発見すれば、私も孫もより多くのエネルギーを手に入れられる。
p23
したがって私たちには、科学知識によって、無限の資源という問題を解決できる可能性がある。
しかし、真の強敵は「生態環境の崩壊」という問題だ。経済成長が生態環境を破壊すれば、サピエンスまでもが代償を払うことになる。
p24
それでも成長の教義は、足を速めろと主張する。オゾン層が小さくなり、皮膚癌にかかりやすくなるのなら、対応できる日焼け止めや癌の治療法を発見すればよい。地球温暖化で地獄のように暑くなるなら、ハイテクの保護区を建設せよ。海洋汚染で生物の大量絶滅が起こるなら、生物のバーチャル世界を供給すればよい、というわけだ。
人類は二つのレースを走っている。一方で、成長を加速せざるをえないというレースがある。一四億の中国人と一三億のインド人がアメリカの中流階級のような暮らしを望んでいて、彼らはアメリカ人が今の暮らしをやめる気がないのに、自分たちがあきらめるべき理由などないと思う。もう一方で、生態環境の破綻を防ぐというレースがある。この二つのレースをこなすのは年々むつかしくなる。中国やインドの貧しい人々をアメリカンドリームに近づけることは、地球を破滅に近づけることになるからだ。

第7章 人間至上主義革命
p34
意味のない世界のために意味を生み出せ。これこそ人間至上主義が私たちに与えた最も重要な問題である。
※原著では「問題」ではなく「戒律」と書かれている。

p36
「自分の意見を聞け。自分に心地良いことをせよ」ジャン=ジャック・ルソーは『エミール』の中でそのように要約している。現代のセラピストは中世の司祭と同じ位置を占めているが聖典はない。※神を使えない。
セラピストは尋ねる。「それで、その件について『あなた』はどう感じているのですか」と。
p37
現代のセラピストは、私たちが自分自身の内なる感情を知るのを手伝うだけである。

p40
二〇一五年一月七日、イスラム教の狂信者たちがフランスの週刊新聞「シャルリー・エブド」の編集長らを虐殺した。
エジプトのジャーナリスト連盟はテロリストを非難したが、同時に「世界中のイスラム教徒たちを感情を傷つけた」とフランスの週刊新聞「シャルリー・エブド」も責めた。「神の思し召しに背いた」とは言っていないことに注意。これこそ私たちが進歩と呼ぶものだ。

p43
人間至上主義のモットーは「気持ちがよいならしなさい」だ。
政治においては「有権者がいちばんよく知っている」
芸術においては「美は見る人の目の中にある」
そのため芸術はやりたい放題。一九一七年にマルセル・デュシャンが便器を買い、それが芸術作品であると宣言し、「泉」と名づけ、サインし、ニューヨークの展覧会に出品しようとした。
p44
お前は間違っていると上から決めつけるような権威(神)など、もはやどこにも存在しない。
経済に関しては、現代の自由市場における新しい権威は、消費者の自由意志である。※すなわち人間(の気持ち)が神。人間至上主義。
p45
たとえばトヨタが完璧な自動車を発表する。しかし(誰が何と言っても)消費者が拒絶すれば、それは悪い自動車だ。

p51
中世ヨーロッパでは、知識=聖書×論理。
科学革命は、知識=観察に基づくデータ×数学。
p52
科学は、価値や意味に関する疑問には答えられない。殺すのが悪いと証明することはできない。
人間至上主義が倫理にまつわる新しい知識の公式を提供。
知識=経験×感性。
p53
経験=感覚、情動、思考。
感覚=熱、快感、緊張など。
情動=愛、恐れ、怒りなど。
思考=なんであれ頭に浮かぶもの。
感性=①自分の経験(感覚と情動と思考)に注意を払うこと。②それらの経験(感覚と情動と思考)が自分に影響を与えるのを許すこと。
経験と感性は互いに高めあう。
p54
人間至上主義は、経験を通して無知から啓蒙へと続く、内なる変化の漸進的過程として人生を捉える。※終わりなし。卒業なし。意味なし。
p55
人生は経験の連続であるという人間至上主義の考え方は、観光から芸術まで、現代のじつに多くの産業の基盤をなす神話となった。旅行業者やシェフは航空券やディナーではなく、斬新な経験を売っている。
人間の感情や欲望や経験にこれほどの重要性をはじめとする与えた考え方(文化)はなかった。
※経験によって脳(感性)が育つ。っていうことだろう。ならば、自分にとっての幸せをつかめる経験が大切。

p64 人間至上主義の分裂
自由主義
社会主義的な人間至上主義
進化論的な人間至上主義

p83
一九一四年から一九八九年まで、これら三つの人間至上主義の宗派間で激しい戦争がなされ、最初は自由主義が次々に敗北した。
第二次世界大戦は、強力な自由主義陣営と孤立したナチス・ドイツとの戦いとして一九三九年九月に始まった。ファシズムのイタリアは翌年の六月まで日和見であった。一九四〇年のドイツのGDPは三八七〇億ドル。敵対するヨーロッパ諸国のGDP合計は六三一〇億ドル(イギリス、フランス、オランダ、ベルギーの本国以外のGDPは含まれていない)。にもかかわらず、一九四〇年春にはドイツはわずか三か月で、フランス、ベルギー、オランダ、ルクセンブルク、ノルウェー、デンマークを占領した。イギリスが占領されなかったのは、ひとえにドーバー海峡のおかげだ。
自由主義陣営はソ連と手を組んでようやくドイツを打ち負かした。戦時中、イギリスやアメリカの犠牲者は五〇万だったのに対してソ連は二五〇〇万であった。ナチズム打倒は、ほとんど共産主義のおかげだ。
p84
恩恵はあった。共産主義のソ連は参戦したとき、孤立していた。しかし終戦時には二つの世界的超大国の一つとなった。一九四九年までに東ヨーロッパはソ連の傘下に入り、中国共産党は国共内戦に勝ち、アメリカは反共産主義のヒステリー状態であった(※レッドパージ)。
一九五六年ソ連のニキータ・フルシチョフは西側諸国に豪語した。「諸君が好むと好まざるにかかわらず、歴史は我々の味方だ。我々は諸君を葬り去るだろう!」
一九六〇~七〇年代、西側諸国の多くの大学では「自由主義」という言葉は悪い言葉であった。英ケンブリッジや仏ソルボンヌや米バークリーの学生たちは『毛沢東語録』を読み、チェ・ゲバラの写真を壁に飾った。
一九六八年、メキシコの治安部隊は悪名高いトラテロルコ事件で何十人もの学生を殺害した。ローマの学生は「ヴァレ・ジュリアの戦い」でイタリア警察と戦った。マーティン・ルーサー・キングの暗殺がきっかけで、一〇〇以上のアメリカの都市で何日も暴動と抗議活動が続いた。五月には学生たちがパリの街路を占拠し、ド・ゴール大統領はドイツのフランス軍基地に逃げた。
一九七〇年、世界には一三〇の独立国があり、自由主義国は三〇で、ほとんどが北西ヨーロッパであった。
一九七五年、ヴェトナム戦争が北ヴェトナムの勝利で終わった。共産主義は、南ヴェトナム、ラオス、カンボジアを掌握した。
同年四月一七日、カンボジアの首都プノンペンがクメール・ルージュの手に落ちた。アメリカ帝国の崩壊を多くの人が確信した。
六月にはインドのインディラ・ガンディーが非常事態宣言をし、この世界最大の民主国家もまた、社会主義独裁国への道を歩き始めるかに見えた。
p86
アメリカの盟友は、独裁者が多かった。サウジアラビアのハーリド国王、モロッコのハッサン国王、イランのシャー、ギリシャの大佐たち、チリのピノチェト将軍、スペインのフランコ将軍、韓国の朴将軍、ブラジルのガイゼル将軍、中華民国(台湾)の蒋介石総統。
ワルシャワ条約機構は軍事的にはNATOをはるかに凌いでいた。(※真偽は?)
自由民主主義が救われたのは核兵器があったからだ。そしてMADドクトリンすなわち相互確証破壊の採用。「もしそちらが攻撃してくれば、我々は必ず、誰一人生き残らないようにしてみせる」。そして、西側諸国はセックスとドラッカーとロックンロールを楽しんだ。
p87
その後、状況は一変した。結局スーパーマーケットは強制収容所より強かった。
ギリシャとスペインとポルトガルの独裁政権が倒れた。
一九七七年、インディラ・ガンディーは非常事態宣言を解除し、民主主義を復活させた。
一九八〇年代、ブラジルやアルゼンチン、そして中華民国や韓国などの軍事政権が民主的な政権に代わった。自由主義の波はソ連を呑み込んだ。
ソ連が内部崩壊すると、東ヨーロッパだけではなく、バルト三国やウクライナ、グルジア(現ジョージア)、アルメニアといった旧ソ連の共和国の多くでも、自由主義政権が短縮した。近頃はロシアまで民主主義国家のふりをしている。
もし自由主義者が一九一四年六月に眠りに落ち、二〇一四年六月に目覚めたなら、ほとんど違和感はないだろう。
p87
個人により多くの自由を与えさえすれば、世界は平和になると、再び人々は信じている。二〇世紀全体がとんだ間違いのように見える。
自由主義は、社会主義やファシズムから学習した。とくに、一般大衆に教育・医療・福祉サービスの提供する責任を受け入れた。
二〇一六年の時点で、「個人主義と人権と民主主義と自由市場」という、自由主義のパッケージの代替になるものはない。

p99
自由主義は人間至上主義の宗教戦争に勝ち、不死と至福と神性に手を伸ばしている。間違わないはずの顧客と有権者の願望によって、科学技術者たちはこのプロジェクトにエネルギーを注いでいる。しかし、遺伝子工学とAIが力を発揮したら、自由主義や消費者や有権者の欠点を暴きかねない。
p100
人間至上主義によって「感情」を信頼し、私たちは現代の恩恵にあずかった。神は不要で、消費者と有権者の自由な選択によって、すべては提供してされる。
ならば、彼らが断じて自由な選択などしていないとしたら、そして、彼らの気持ちを「計算」「デザイン」「裏をかく」テクノロジーを手にしたら?
全宇宙が人間の経験しだいだとすれば、その経験もまたデザイン可能な一般商品となったら?

第3部 ホモサピエンスによる制御が不能に
■自由意志などない
p104
行動につながる脳の電気化学的プロセスは、決定論的か、ランダムか、その組み合わせか、だ。これは、自由とは言わない。
ニューロンが発火するとき、
一、外部の刺激に対する決定論的な反応。
二、放射性元素の自然発生的な崩壊のようなランダムな出来事の結果。
どちらにも、自由意志の入り込む余地はない。先行する出来事によってそれぞれ決まる生化学的な出来事の連鎖反応を通して行き着いた決定。それは、断じて自由ではない。
※自由意志でニューロンは発火しない、と。そうなのか?
p105
私の科学的理解が及ぶかぎりでは、決定論とランダム性が(行動)のケーキを山分けしてしまい、「自由」の取り分は残っていない。
※ニューロン発火がどうならば「自由」を認めるのか?

p113
「ニューサイエンティスト」誌の記者サリー・アディーの経頭蓋刺激装置の二〇分の経験(テロリストを冷静に二〇人全員射殺)は例外中の例外かもしれない。
人々は、テロリストを上手に撃つためではなく、より日常的な目標のために、自分の脳の電気回路を操作するだろう。より勉強したり働いたりするためや、よりゲームや趣味に没頭するためだ。そうなれば、消費者の自由意志とされるものもまた、ただの一般商品になるだろう。「ピアノの演奏を習得したいけど、練習時間が来るたびにテレビを見ていたくなる? 大丈夫。ヘルメットを被って、適切なソフトウェアをインストールするだけで、ピアノを演奏したくてたまらなくなるから」

p114 どの自己が私なのか?
■単一の自己などない
p115
人間は分割不能な個人ではない。分割可能な存在だ。
p116
分離脳患者の注目すべき研究を行なったのが、一九八一年にノーベル生理学・医学賞を受賞したロジャー・ウォルコット・スペリーと、その教え子のマイケル・S・ガザニガだ。
ある少年の左半球は「製図工になりたい」と答え、右半球は左手で文字タイルを並べて「自動車レース」と綴った。
第二次世界大戦の復員兵は右手がドアを開けようとすると左手が邪魔することがときどき起こった。
※右脳と左脳で少なくとも二人の自己。

経験する自己と物語る自己は、緊密に絡み合っている。物語る自己は、自分の経験を原材料として物語をつくる。その物語が、経験する自己が何を感じるかを決める。
一、ラマダンの断食
二、健康診断で食事を抜くとき
三、お金がなくて食べられないとき
物語によって、空腹の経験の仕方が違う。

p124
経験する自己は強いので、物語る自己の計画を台無しにすることがよくある。
毎日スポーツ事務について通うと決めたとする。こんな野心的な計画は物語る自己ならではだ。だが、ジムに行く時間が来ると、経験する自己が主導権を奪う。私はジムに行く気になれずピザを注文してテレビをつける。
私たちのほとんどは、自分を「物語る自己」と同一視する。私たちが「私」と言うときには、自分の一連の経験の奔流ではなく、頭の中の物語を指している。
混沌とした人生を取り上げて、首尾一貫した作り話を紡ぎ出す内なるシステムを、私たちは自分と同一視する。

p138
知能と意識とでは、どちらが重要か? 軍と企業にとっては単純明快で、知能は必須だが意識はオプションにすぎない、である。

p132 第9章 知能と意識の大いなる分離
p186
二〇七〇年には、国家もエリート層も貧しい人々の医療に無関心かもしれない。
二〇世紀は大衆の時代で、軍や経済は何百万もの健康な大衆が必要であった。
しかし二一世紀はAIが大衆に代わる。そしてエリート層が、先進医療によって、自分たちを超人にアップグレードすることに専心するかもしれない。
p187
飢饉と疫病と戦争の克服という二〇世紀の人類のプロジェクトは、「全員に豊かさと健康と平和を与える」ことを目指した。不死と至福と神性の獲得という二一世紀のプロジェクトは、超人というカーストを生み出す。通常水準の維持ではなくアップグレードを目指すからだ。一部の富裕層のみがアップグレードされて超人になるだろう。超人は自由主義を捨て、アップグレードされた富裕層以外の人間を、一九世紀のヨーロッパ人がアフリカ人を扱ったのと同じように扱う可能性がある。
p188
科学技術が人類を、大量の無用な人間と少数のアップグレードされた超人エリート層に分けたなら? あるいは、さまざまな権限が人間からAIに移ったなら?  そのとき自由主義は崩壊する。
そのあとには、どんな新しい生き方(宗教あるいはイデオロギー)があるのだろう。

p189 第10章 意識の大海
テクノ人間至上主義
p190
七万年前、認知革命が起こった。
共同主観的領域へのアクセスを手に入れた結果、
神々や企業を生み
都市や帝国を建設し
書字や貨幣を発明し
原子を分裂させ、月に到達した。
認知革命は、DNAの変更と脳の配線変更による。
ならば、再度さらに変更を行えば、第二の認知革命を起こせるかもしれない。
アップグレードしたホモ・サピエンスは、ホモ・デウスになる。
想像できない領域へのアクセスを手に入れ、銀河系(※全宇宙?)の支配者になるかもしれない。
これは、進化論的人間至上主義のアップデート版の一種だ。ヒトラーなどがセンバツ育種や民族浄化によって超人の創造をもくろんだ。二一世紀のテクノ人間至上主義は、遺伝子工学やナノテクノロジーやブレイン・コンピューター・インターフェースによって平和的に超人ホモ・デウスの実現をめざす。
p195
心理学を学ぶ学生の精神世界の地図しかない。アメリカ先住民シャーマン、仏教僧侶、イスラム教神秘主義者(スーフィー)の精神世界はわかっていることがずっと少ない。
p196
コウモリは反響定位の世界に住んでいる。私たちはコウモリのニューロンについてアルゴリズムは書けるが、コウモリであるとはどういう「感じ」なのかはわからない。※コウモリの意識はわからない。
※第二に認知革命とは、テクノロジーによって、人間の精神状態の外へアクセスして動物の精神状態へ。さらに外へアクセスして存在しうるすべての精神状態へ。
※精神が、異次元の魂と「照応」によりリンクしている可能性。
異次元=デカルトの精神界。カントの悟性界。(『観念と革命 西の世界観Ⅱ』松岡正剛p154 )

p208
テクノ人間至上主義のジレンマ。
テクノ人間至上主義=人間の意志(欲望)と経験を、最優先(意味と権威の源泉)とする。
なので、その意志を制御・デザイン・変更しようとする。
※最優先のものに手を加えてよいのか? それは洗脳。同性愛を求めるなら、その意志をテクノロジーで変更することは禁断。では殺人を意志したならば? それは異常・病気という理由で変更してもよい。ではその線引き、すなわち正常・異常の線引きは? むむ。あいまいになる。

より大胆なテクノ宗教である「データ教」は、最優先(意味と権威の源泉)を意志や経験ではなく「情報」とする。神も人間も崇めず、データを崇める。

p209 第11章 データ教
データ教

p213
悪名高いルイセンコは、当時支配的だった遺伝理論を否定した。生き物が生きている間に新しい形質を獲得すると、その性質は子孫に直接伝わりうると主張したのだ。この学説はダーウィンの学説とは真っ向から対立するものだった。
***
獲得形質は遺伝する? -親世代で受けた環境ストレスが子孫の生存力を高める-
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/research/research_results/2016/170109_1.html
エピジェネティクス1
https://www.nies.go.jp/kanko/kankyogi/59/column2.html
エピジェネティクス2
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E3%82%A8%E3%83%94%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%8D%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%82%B9
***

p216 権力はどこへ?
経済システムである資本主義(分散処理)や共産主義(集中処理)と同じで、政治システムである民主主義(分散処理)と独裁制(集中処理)も、競合するデータ処理(情報収集と分析)システムだ。

p220
未来を市場に任せるのは危険だ。人類に良いことではなく、市場に良いことをするからだ。放っておくと、市場は地球温暖化やAI の危険性に関して何もしないかもしれない。

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