20190709 池田勇人 ニッポンを創った男 鈴木文矢

p18
一九三四年(昭和九)、池田は大蔵省へ復職した。
p20
(のちに)前尾も池田と同じ一九四九年(昭和二四)衆院選で吉田茂ひきいる民主自由党から立候補し当選。以後、共に吉田学校の生徒。
p22
一九四一年(昭和一六)十二月九日(真珠湾翌日)、主税局国税課長に。~国家予算の出入口を主税局、主計局が牛耳る。~官僚組織の序列は、課長→局長→事務次官→大臣。
p23
一九四二年(昭和一七)のちに池田門下になり、総理にもなる宮澤喜一が大蔵省入省。
p24
一九四四年(昭和一九)東京財務局長に。
p25
大きな仕事「国民酒場」の創設。取り組んでいたのはのちに池田の右腕になる下戸の大平正芳。酒飲みの気持ちを池田がアドバイス。「決まった量のお酒を出す『お上公認の酒場』を作ればいいじゃないか」
p26
営業停止の店は看板をすげ替え、都内だけでも120軒以上、長蛇の列。入口で券を買う。ビールが多かった。
p27
一九四五年(昭和二〇)主税局長に。京大出身初めて。新聞「仰天人事」~この時代「政財界とのパイプ」
p29
戦争中における政府の民間債務。これが戦時補償。
p30
GHQ「戦時補償特別税」100% 要は払わない。
p31
GHQ 「財産税」最高90%
p32
東久邇宮稔彦内閣、GHQ 「人権指令(政治犯、思想犯の釈放)」に当惑、総辞職。首相在任期間56日。~幣原内閣。満州事変収拾失敗した過去の人。
p33
言いなりで、財閥解体、政治犯釈放、戦犯逮捕、公職追放、憲法改正草稿の批准。~池田と佐藤は難題の実務を次々処理。
p34
一九四六年(昭和二一)四月一〇日、衆院選。鳩山一郎の日本自由党が第一党。公職追放の鳩山は、総理の座を同じ党の吉田茂に委ねた。公職追放が解けたら返すはずが返さない。五一年解除。両者は抗争を繰り広げる。
p37
一九四七年(昭和二二)二月、池田は事務次官に。石橋蔵相の引き。後任主税局長に盟友前尾を指名。池田四七歳。

第二章 異端の大蔵官僚、吉田学校に入校

p52
新米議員田中角栄のアジ演説
※秀吉っぽい。ならば、吉田茂=信長(第一次? 笑)

p57
一九四九年(昭和二四)一月二三日、第二四回衆院選。
池田「大蔵大臣、幹事長をやる」
p59
池田バーに雀荘佐藤
p60
吉田茂上機嫌。民主自由党(民自党)圧勝。
p62
山崎首班を潰されたGSが恨み、角栄逮捕。収賄容疑。~政務次官職更迭の角栄が官房長官佐藤に怒鳴り込む。
p64
角栄獄中立候補。新潟三区で二位当選。~後年のロッキード事件はキッシンジャーの角栄殺しという説が有力。
p66
池田蔵相誕生ルート~吉田ルート~麻生(麻生太郎父。炭坑王)・角栄・根本ルート

第三章 蔵相池田勇人、赤鬼ドッジと格闘
p71
池田勇人のブレーン、宮澤喜一、黒金泰美、大平正芳、前尾繁三郎「池田四天王」
p72
一九四九年()二月一六日、第三次吉田内閣
郵政大臣、電気通信大臣は小沢佐重喜(一郎父)~ ※プロフィール後日 ~「闘牛」。吉田学校異色の門下生。

p75
吉田「池田君、大野(伴睦)君が今回の人事が党人軽視と怒っている。なだめてくれんか」
p76
大野は池田には好感。しかし佐藤栄作を生涯嫌った。民間人なのに官房長官に就任したとき大野に挨拶がなかったから。

※後日
p160
一九五五年(昭和三〇)一一月一五日
自由民主党誕生。初代総裁鳩山一郎、幹事長岸信介、衆院299議席、参院118議席。
p170
現在の自民党の派閥の多くは自由党の系譜か民主党の系譜。
■自由党系派閥
筆頭は池田が初代会長を務めた宏池会(岸田派)
佐藤派の流れを汲む額賀派
■民主党系派閥
岸派の流れを汲む細田派
河野派の流れを汲む石原派と二階派
三木(武夫)派た連なる山東派

自民党誕生の一カ月前、社会党も左右両派が合流、日本社会党(鈴木茂三郎委員長、浅沼稲次郎書記長)。「55年体制」発足。

合流反対の池田は自民党参加。吉田許可。池田「筋は通したいが時流には逆らわない」
佐藤は吉田とともに参加見送り。一九五七(昭和三二)七月に自民党入り。

p172
鳩山政権、日ソ国交回復。党内紛糾。池田「ソ連接近は危険。わしは離党」前尾繁三郎が必死でなだめる。鳩山首相は日ソ国交回復が実現したら内閣総辞職の決意。「ポスト鳩山」。候補は池田、岸、緒方。人格者で政敵が少なかった緒方が一九五六年()一月に急死。宮澤が弔問に誘うと池田は複雑で「うーん、だがな、車がないんだよな」などと駄々をこねてみせたという。
緒方の死で後継は岸と見なされるが、七月に岸野後見軍師電気通信三木も急死。電話で知った鳩山首相はそのまま泣き崩れた。鼓舞し続けたのは、農相の河野。
p174
河野「総理、重光全権団ではもう埒が明かない。自ら敵地に。私も同行。三木翁の魂が守ってくれる」鳩山「よし、ソ連に行くぞ」
一〇月、鳩山首相がモスクワへ。猛将・河野はソ連側のキーマンのフルシチョフとよく渡り合い、一〇月一九日、モスクワで日ソ共同宣言成立。(悔いはない)鳩山帰国引退。
一二月一四日、自民党総裁選。名乗りは、幹事長岸信介、通産相石橋湛山、旧自由党系から石井光次郎。
p175
池田は緒方の派閥を引き継いだ石井の後援。しかし負け戦。そこに石橋湛山の軍師石田博英「池田先生、ご相談が。うちと2位、3位連合を。決戦投票で応援しあう」石田「石橋は懐かしい。蔵相は池田先生にと」

p176 石橋内閣成立。しかし65日で終わり。
石橋総裁誕生から四日後の一二月一八日、日本の国連加盟。日ソ共同宣言でソ連との国交回復したから。鳩山一二月二三日内閣総辞職。石橋湛山が第五五代内閣総理大臣に。幹事長三木武夫。官房長官石田。外相は岸。池田は蔵相。強行は石橋。池田「石橋さんにまた借りができた」
9日間の遊説後、石橋首相は突如体調不良。肺炎のうえに、脳梗塞の兆候。潔く首相辞職。岸が後任棚ぼた首相。石橋の在任65日。

第六章 宏池会の結成
p198 「昭和の妖怪」安保に散る
安保改訂 岸 アイク
六月十九日自然成立
六月二十三日、岸は総辞職表明
七月十四日、総裁選

五人候補
池田勇人 大野伴睦 石井光次郎 藤山愛一郎 松村謙三
p200
側近の大平、宮澤は辞退を促す
池田「仙人が来て、次はお前だ」

河野一郎は大野支援
河野が問題(安保決議欠席)で岸派の全面支援は無理。

p204 池田派の窮地に吉田翁動く
p205
田中角栄「石井派の結束は弱い」
p206
結果、前日の七月十二日深夜、大野出馬辞退
河野「石井派は切り崩されたが、大野派とうちは結束が強い。大野さんが降りても石井派には計算通りに票が回り、(石井が)勝つはず」
池田派雇われ軍師角栄も頭を抱えた。吉田は岸に厳命。池田支持。

第七章 「所得倍増」を夢見た宰相
■一九六〇年 池田「わしは経済でいく」
p214
池田は昭和35年度のGNPを10年後の昭和45年度には26兆円に倍増させると言って譲らなかった。~池田は年間経済成長率の平均を9%に設定
p216
一人あたり

p216

p246
ある池田評「富国強兵、殖産興業を唱えた明治維新は、100年後、池田勇人の時代に完成した。だから、池田は『最後の幕末志士』なんだ」

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中