細川家の叡智 加来耕三

『細川家の叡智』加来耕三

p27 初代尊氏が野放図なまでに気前よく、六十余州のあらかたを配下に分け与えた。八カ国(阿波、讃岐、土佐、淡路、摂津、備中、備後、丹波)を領した細川家、越前、若狭、越中、能登、信濃、遠江をもった斯波氏、越中、河内、紀伊、能登をもった畠山氏。※越中、能登がだぶり。

p28 応仁の乱の山名宗全は但馬、備後、安芸、伊賀の守護を兼ねていた。

p128 信長を討つという将軍義昭を諫めたが受け入れられない。細川幽斎は「コノ上ハ力ナシ」といって居城(山城勝竜寺城)に引きこもった。宋の朱子の『小学』にこうある。

「忠告して之を善道す。不可なれば則ち止む。自ら辱しむること母(なか)れ」

忠告を相手が聞かねば、忠告をやめるべきだ。なぜなら、しつこく言葉を繰り返すことは、自分自身を辱しめることになる、と孔子は言ったという。

※言っても聞かない人。いるいる。

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