生物と無生物のあいだ 福岡伸一 八章~

生物と無生物のあいだ 福岡伸一

第8章 原子が秩序を生み出すときp134

p137 原子の直径は、一から二オングストローム。オングストロームは、一メートルの百億分の一。細胞の直径は、三〇万~四〇万オングストローム。途方もない数の原子が含まれている。

p140 生命現象もすべては物理の法則にしたがうのなら、生命を構成する原子もまた絶え間ないランダムな熱運動(ブラウン運動やインクの拡散)から免れることはできない。つまり、細胞の内部は常に揺れ動いている、ということになるのだ。にもかかわらず、生命は秩序をつくっている。シュレディンガーは、その大前提として〈われわれの身体は原子にくらべてずっと大きくなければならない〉というのだ。

なぜか。それは、すべての秩序ある現象は、膨大な数の原子が、一緒になって行動する場合にはじめて、その平均的なふるまいとして、はっきり形にあらわれるからだ。原子の〈平均〉的なふるまいは、統計学的な法則にしたがう。そしてその精度は、関係する原子の数が増せば増すほど大きくなる。

ランダムの中から秩序が生まれる。これは、実はこのように、集団の中で、ある一定の傾向を示す原子の平均的な頻度として起こる。

百個の微粒子からなる集団を考える。(略)例外的ふるまいをする粒子は、平方根の法則(ルートnの法則)と呼ばれるものにしたがう。すなわち十個。その生命は常に一〇パーセントの誤差率で不正確さをこうむる。これは致命的。百万個なら千個。これは〇・一パーセント。格段に下がる。生命現象では、その何億倍もの原子が参加している。シュレディンガーは、生命体が原子にくらべてずっと大きい理由はここにある、と指摘したのである。

※これが〈動的平衡〉か。

p147 生きている貝は、成長に応じてその貝殻の文様をも拡大できる。つまり、生命の秩序は動的なものだ。(略)

シュレディンガーもそのことをよく知っていた。インクの拡散は、やがて平衡状態に達する。物理学者はこれを熱力学的平衡状態、あるいはエントロピー最大状態という。その世界の死である。物理学者は自分の扱う世界をしばしば〈系(システム)〉と呼ぶ。(略)

エントロピーとは乱雑さ(=無秩序)を表す尺度。(略)エントロピー増大の法則(熱力学的死)。

p148 生物は、自力では動けなくなる〈平衡〉状態に陥ることを免れているように見える。(略)生命は「現に存在する秩序が、その秩序自身を維持していく能力と、秩序ある現象を新たに生み出す能力をもつ」のである。(略)シュレディンガーはメカニズムを示せなかったが予言した。

「生物は常に負のエントロピーを食べることによって生きている。単なる比喩ではない。高等動物の食料は秩序の高いものである。すなわち複雑な有機化合物である。それは動物に利用されると、もっとずっと秩序の下落した形に変わる」

p150 シュレディンガーはここで誤りを犯した。生命は、食物に含まれている有機高分子の秩序を負のエントロピーの源として取り入れているのではない。生物は、その消化プロセスにおいて、タンパク質にせよ、淡水魚にせよ、有機高分子に含まれているはずの秩序をことごとく分解し、そこに含まれる情報を惜しげもなく捨ててから吸収している。なぜなら、その秩序は他の生物の情報だったから。それは、自分自身にとってはノイズになりうるのだ。シュレディンガーの〈食べることが、エントロピー増大に抗する力を生む〉という部分は的確だった。この問題を明らかにするのは、ルドルフ・シェーンハイマー。シュレディンガーと同時代の、しかしすでにこの世には存在していなかったもう一人の孤独な天才である。一八九八年ドイツ生まれの彼は、一九三三年アメリカのコロンビア大学に移り、一九四一年に服毒自殺。

第9章 動的平衡とは何かp152

p154 生命とは要素が集合してできた構成物ではない。(一瞬も構成はされない。諸行無常)生命とは要素の流れがもたらすところの効果である。(それを現象と呼ぶ)

この生命観を発見し、この事実を精密な実験(*1)で、つまりマクロな現象をミクロな解像力をもって証明したのは、ルドルフ・シェーンハイマー。一九三〇年代の後半。※第二次世界大戦がはじまる。

(*1)重窒素を含むアミノ酸を混入させて追跡調査した。

p161 外から来た重窒素アミノ酸は分解されつつ再構成されて、ネズミの身体の中をまさにくまなく通り過ぎていった。つまりここにあるのは、流れそのものでしかない。※万物流転。諸行無常。

p163 半年、あるいは一年ほど会わずにいれば、分子のレベルではわれわれはすっかり入れ替わっていて、お変わりありまくりなのである。(略)私たち生命体は、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい〈淀み〉でしかない。しかも、それは高速で入れ替わっている。この流れ自体が「生きている」ということ。

p164 シェーンハイマーはこう言う。「生物が生きているかぎり、栄養学的要求とは無関係に、生体高分子も低分子代謝物質もともに変化して止まない。生命とは代謝の持続的変化であり、この変化こそが生命の真の姿である。」

新しい生命観の誕生である。

p166 エントロピー増大の法則は容赦なく生体を構成する成分にも降りかかる。

高分子は酸化され分断される。集合体は離散し、反応は乱れる。タンパク質は損傷をうけ変性する。

しかし、もし、やがては崩壊する構成成分をあえて先回りして分解し、エントロピー増大の法則による乱雑さ(無秩序)が蓄積する速度よりも早く、常に再構築をすることができれば?

結果的にその仕組みは、増大するエントロピーを系の外部に捨てていることになる。

つまり、エントロピー増大の法則に抗う唯一の方法は、システムの耐久性と構造を強化することではない。むしろその仕組み自体を流れの中に置くことなのである。流れこそが、生物の内部に必然的に発生するエントロピーを排出する機能を担っているのだ。

p167 生命とは動的平衡にある流れである。by福岡伸一

p168 そしてただちに次の問いが立ち上がる。

Q.絶え間なく壊される秩序はどのようにしてその秩序を保ちうるのか?

第10章 タンパク質のかすかな口づけ

p178 A.答えは、タンパク質のかたちが体現している相補性にある。生命は、その内部に張り巡らされたかたちの相補性によって支えられており、その相補性によって、絶え間のない流れの中で動的な平衡状態を保ちえている。

第11章 内部の内部は外部である p189 トポロジーの科学(=細胞生物学)

当時、ボストンのハーバード大学で私たちは膵臓の細胞の中にある特殊なタンパク質を捜していた。膵臓は大きく二つの働き。

一、消化酵素を消化管へ(外分泌)

二、ホルモンを血液中へ(内分泌)

いずれも、細胞の内部でつくられた消化酵素やホルモンが、細胞の外(消化管や血管)へ送り出される現象。(略)

p191 細胞生物学とは、一言でいえば「トポロジー」の科学。トポロジーとは、一言でいえば「ものごとを立体的に考えるセンス」。その意味で細胞生物学者は建築家に似ている。

p191 パラーディのターゲット

一九六〇年代から七〇年代にかけて、ニューヨークのロックフェラー大学は細胞生物学の世界的中枢であり続けた。中心人物がジョージ・パラーディ。ルーマニア出身。課題は、細胞内部で作られたタンパク質は〈どのような経路〉で外に出るかを〈可視化〉する。選んだのは膵臓。

p193 ルドルフ・シェーンハイマーが明らかにした生命の動的な平衡状態。絶え間ないアミノ酸の流入と体タンパク質の合成・分解が、生命現象の真ん中を貫いて、とうとうと流れていること。(膵臓の消化酵素産生細胞が作り出す)大量の消化酵素はこの流れを駆動する実行部隊である。膵臓は日々、黙々と新兵をリクルートし続けているのだ。

p198 細胞というゴム風船の中に小胞体という小さな別の風船がある。この小さな風船の中は、細胞にとっては、外部である。【写真撮影】内部の内部は外部20190111

一九七四年、〈細胞の構造的・機能的構成に関する発見に対して〉、パラーディは共同研究者とともにノーベル医学生理学賞を受賞。私を雇ってくれたジョージ・シーリー博士はパラーディの弟子の一人である。私は名もない孫弟子である。ボストンで私たちはパラーディの正当な後継者として、彼がやり残した研究テーマに挑んだ。それは、細胞膜が、いかにして、ある時は陥入して小胞体を形成し、ある時はタンパク質を包みこんで移動し、ある時は融合して開口部を作り、かくも変幻自在に形を変えることができるのか、という課題だった。

第12章 細胞膜のダイナミズムp204

第14章 数・タイミング・ノックアウト

p247 ES細胞 ワトソン、クリックのDNA二重螺旋構造発見と同年の一九五三年、ジャクソン研究所の若い研究員リロイ・スティーブンスは129系統マウスの不思議な異常に気づいた。(略)本来睾丸の一部に分化するはずの〈幹細胞〉が、自ら進むべきルートを見失って、なりうるあらゆるものに成り果てたものに違いない。(略)129系マウスの分化プログラム時計には、数とタイミングに関する〈ずれ〉が内包されていた。

ESとは何かp248

一九八〇年初め、二つの研究室(ケンブリッジ大学のマーティン・エバンス(二〇〇七年ノーベル医学生理学賞)。そして彼の一番弟子だったカリフォルニア大学のゲイル・マーティン)で、ほぼ同時に、リロイ・スティーブンスの129系マウスの胚(受精卵が分裂を進めて一定時間が経過した細胞のかたまり)から〈幹細胞〉を取り出すことに成功。129系マウスには、スティーブンスが発見した奇妙な腫瘍をもたらす細胞だけでなく、〈あらゆる場所に、立ち止まって、何者かになるタイミングを待っている細胞〉が多数あった。これが胚性幹細胞(ES細胞)。ES細胞は、数・タイミングに関して、本来生命のプログラムが持っている〈時間軸に対する待ったなしの一方向〉から免れた稀有の性質。

ES細胞をもともとの胚から切り離す。

シャーレの上で育てると分化プログラムが停止する。

しかし細胞分裂は止まらず、無個性のまま無限に増殖できる。

つまりタイミングが止まったまま数だけが増える。

p249 そして驚くべきことに、増えたES細胞を、別に作ったマウスの胚の中に流し込むと、ES細胞はそのマウスの胚の細胞群とうまく折り合いをつける。その胚の一部となりかわる。分化プログラムを再開させて、まったく健康な一匹のマウスとなる。つまりES細胞は、腫瘍のような混沌をもたらすのではなく、秩序あるふるまいをする正常な始原細胞。※未分化細胞?

p249 このとき、マウスのある部分はES細胞由来、別の部分はES細胞を受け入れた胚由来の細胞。ES細胞はあらゆる細胞に分化するが、ES細胞だけから完全な一個体はできない。つまりES細胞は分化能をもつが、受精卵がもつ全能性はない。

p250 これが高等多細胞生物の遺伝子ノックアウトを可能にした。(略)

p253 (私たちは)とうとうGP2ノックアウトマウスの生産に成功した。(略)このマウスの膵臓細胞ではとてつもない膜の異常が起こっているはずだ。(略)(しかし)あらゆる意味で、まったく正常そのものだった。

第15章 時間という名の解けない折り紙

p267 ドミナント・ネガティブ現象

タンパク質分子の部分的な欠落や局所的改変のほうが、分子全体の欠落よりも、優位に害作用(ドミナント・ネガティブ)を与える。

p270 遺伝子産物としてのタンパク質が織り成すネットワークは、〈形の相補性〉として紡ぎ出される。だから、それらは、〈枝の分岐〉というよりは、〈角々をあわせて折りたたむ折り紙〉にたとえた方がよいかも。

時間軸のある一点で、作り出されるはずのピースが作り出されず、形の相補性が不成立。ならば折り紙はそこでたたまれるのを避ける。そして少しだけずらした線で折り目をつけて次の形を求めていく。するとできたものは〈予定とは少し異なる〉が、全体としてバランスを保った平衡状態をもたらす。

もしある時点で、形の相補性が不成立であることに気づかずに、おりたたまれてしまったとする。ならばその折り目のゆがみはやがて全体の形を不安定なものにしうる。

p271 機械は原理的にどの部分からでも作られる。各部品に決められた時間はない。しかし生物には時間がある。その時間は不可逆であり、その流れに沿って一度折りたたんだら二度と開くことはできない。

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