生物と無生物のあいだ 福岡伸一 ~七章

生物と無生物のあいだ 福岡伸一

p4 生命とは何か? 自己複製を行うシステムである。一九五三年、『ネイチャー』。DNAの二重螺旋のモデル。共同執筆者ワトソンとクリック。

p5 一九八〇年代、遺伝子操作技術の誕生。分子生物学の黄金期。生命は分子機械。

p7 遺伝子ノックアウト技術で、パーツを一種類、完全に取り除いても、何らかの方法でその欠落が埋められ、全体が組み上がってみると何ら機能不全がない。(略)ここには何か別のダイナミズムが存在している。(略)ではその〈動的なもの〉とは、いったい何か。ユダヤ人科学者ルドルフ・シェーンハイマー、彼は、DNA構造の発見を知ることなく、自ら命を絶ってこの世を去った。彼は、生命が〈動的な平衡状態〉にあることを最初に示した。私たちが食べた分子は、瞬く間に全身に散らばり、一時、緩くそこにとどまり、次の瞬間には身体から抜け出て行くことを証明した。つまり私たち生命体の身体はプラモデルのような静的なパーツから成り立つ分子機械ではなく、パーツ自体のダイナミックな流れの中に成り立っている。(略)この〈動的平衡〉論をもとに、生物を無生物から区別するものは何かを(略)考察したのが本書である。

p32 ウイルスの発見

タバコモザイク病 一八九〇年代 ロシア研究者イワノフスキー オランダのベイエリンク ウイルスの発見 イワノフスキーは猛然とプライオリティを主張し、今日では、タバコモザイクウイルスの最初の発見者はイワノフスキー

p32 ウイルスは生物か?

ウイルスは単細胞生物よりずっと小さい。大腸菌をラグビーボールとすれば、ウイルスはピンポン玉かパチンコ玉程度。光学顕微鏡では見えない。一九三〇年代、電子顕微鏡が開発されて見ることができる。

p40 オズワルド・エイブリー

オズワルド・エイブリーがDNAイコール遺伝子だと世界で最初に気づいた。若きワトソン&クリックはDNAが遺伝情報を運ぶ最重要情報分子だと、あらかじめ知っていた。

p42 一八七七年(西南戦争)、カナダで牧師の息子として生まれた。一九一三年、ロックフェラー医学研究所に勤務してから科学研究を始めた。三十六歳。遅いスタート。規則正しい生活。生涯独身。ロックフェラー時代は野口英世(ヘビードリンカー、プレイボーイ)がいた時期と完全に重なる。一九二八年、英世没。エイブリーの研究が佳境に入ったのは一九三〇年代に入ってから。

p44 肺炎双球菌 先達グリフィス

p45 遺伝子存在予測 細胞に含まれる高分子のうちタンパク質が遺伝子に違いない 当時の常識

p55 エイブリーがロックフェラー医学研究所のホスピタル棟六階の研究室で肺炎双球菌の形質転換(遺伝)実験に邁進していたのは一九四〇年代初頭から半ば。六十歳を越えていた。

p56 一九四八年、エイブリーはロックフェラー医学研究所を定年退職。テネシー州ナッシュビルにいた妹のところへ身を寄せ、余生を過ごした。

p57 エイブリーはすべての栄誉から見放されたわけではない。先駆的な科学上の発見を顕彰し、今日では、将来のノーベル賞を占うものにもなっているラスカー賞を退官間近の一九四七年(第二回)に受けている。没後一〇年の一九六五年九月、エイブリーを讃える記念碑がロックフェラー大学構内の木陰に立てられた。

p59 DNAとタンパク質の対応関係

高分子 DNA タンパク質

構成単位 ヌクレオチド アミノ酸

種類 4種類 6種類

機能 遺伝情報担当 生命活動担当

p63 エイブリーが現場から退場してしばらくたってDNA研究の嵐がはじまった 。孤高の先駆者の常としてほんの少しだけ早すぎた。

第4章 シャルガフのパズルp64

p65 ロックフェラー医学研究所と同じくマンハッタンにあったコロンビア大学・生化学研究室の研究者、シャルガフは誰よりもDNA聖杯の隠し場所に肉薄していた。

p75 一九八八年、PCRマシンが起こした革命。※発明者キャリー・マリス

p78 PCRは単にDNAを複製するだけではない。ごちゃ混ぜのDNAの中から、特定の一部だけを抜き出して増幅できるのだ。

第6章 ダークサイド・オブ・DNA

第7章 チャンスは(略)

p129 一九六二年の暮れ、ノーベル賞。ワトソン、クリック、モーリス・ウィルキンズには医学生理学賞。マックス・ペルーツには化学賞。「共犯者」たちがそろったのだ。ロザリンド・フランクリンの姿はどこにもなかった。この年の四年前、一九五八年四月、ガンに侵されて三十七歳でこの世を去っていた。研究テーマをタバコモザイクウイルスに変えて、死の直前まで研究し、その立体構造をほぼ解き終わっていた。ウイルスは螺旋状のRNAを中心に持ち、それを取り巻くようにタンパク質のサブユニットが回転弧を描きながらつみあがった円柱構造だった。一説によれば、X線を無防備に浴びすぎたことが、彼女の若すぎる死につながったといわれている。

p131 シュレディンガーの問い

ワトソン、クリック、ウィルキンズは、生命の謎を研究するきっかけは物理学者シュレディンガーの『What is life? 』と言う。刊行は一九四四年。遺伝物質はDNAと見極めたエイブリーの研究発表の年である。一九二六年、シュレディンガー三十八歳の論文は、シュレディンガーの波動方程式として有名。一九三三年、シュレディンガーはノーベル物理学賞受賞。その頃彼は現場から姿を消した。自らが基礎を築いたはずの量子力学のその後の発展、〈不確定性〉〈非連続性〉に、彼は疑いをいだき背を向けた。〈シュレディンガーの猫〉と呼ばれる彼の提起したパラドックスは、不確定性原理に基づく自然理解に対する彼自身によるアンチテーゼ。一九三〇年代の終わりにはアイルランドのダブリンに隠遁。一九四三年二月、第二次世界大戦のさなか、ダブリンの高等学術研究所の主催で行われた一般向け連続公開講座の講義録として『What is life? 』は刊行。彼の真意は「生命現象は神秘ではない。生命現象はことごとく物理と化学の言葉で説明できる」。その静かな熱に若きワトソン、クリック、ウィルキンズが感応した。

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