依存的な理性的動物

依存的な理性的動物 ヒトにはなぜ徳が必要か
p7
私たちの身体は動物の身体としての自己同一性や連続性を備えた動物的な身体である。
※一、ヒトは動物だ。二、ヒトは受苦の存在(仏教的解釈)であり、他者に依存する存在だ。受苦(例えば病気)のとき、他者依存(例えば医者)が必然になるから。三、ヒトは合理性を持つ存在だ。この三つを合わせて本のタイトル『依存的な理性的動物』が出てくる。結論はおそらく「徳がないとヒトは存在できない」あたり。
(略)
アクィナスはアリストテレスばかりでなく、イブン・ルシュド〔アヴェロエス〕を通じて次の意見に出会った。「魂は、ヒトの身体の一部であるがゆえに、ヒトの全体ではなく、私の魂は私ではない」
※魂=意識と解釈し、死後の存在を認めない立場か。
(略)
p8
メルロ=ポンティも、そうした現象学的探求によって「私とは私の身体である」と結論した。
p11
「合理的な自立の徳」と「承認された依存の徳」の二つが受け継がれていないと、近代の国民国家も近代の家族も必要とされる結合はできない。

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