『京都学派』菅原潤

『京都学派』菅原潤
p249日本文明史との関連
柄谷は、日本封建制の成立を、同じ亜周辺であるヨーロッパとの対比で説明してゆくのだが、(略)上山春平の日本文明史が柄谷行人の『帝国の構造』の大部分の論点を先取りしている。
(略)
上山を下支えしているのが梅棹忠夫の生態史観であり、それを京大四天王の一人鈴木成高が評価している。ならば柄谷行人は皮肉にもかつて『〈戦前〉の思考』(二〇〇一年)などで否定的に評価してきた京都学派に近づいていることがわかる。
p250ポスト京都学派へ
戦前の鈴木は、梅棹の生態史観を先取りするかたちで日本とイギリスの同質性を強調する。
そのことで、座談会「世界史的立場と日本」において文化相対主義的など視点をもつ高山岩男の『世界史の哲学』を批判し、高山に中国(第二地域)に対する日本(第一地域)の優位性を認めさせた。
こうした鈴木のもつ西洋寄りかつ日本の伝統に疎い「教養主義」的心性の遠因を、上山は海外の文化を急速に移入してはこれを変容させるわが国の根深いネガ(負)の感情に見出す。そして、その感情に向き合うことで特攻により多くの若い命を犠牲にした日本の現実を直視し、それを受け容れた。ネトウヨのように過去から目をそむけて自文化礼賛に邁進するのではなく、かかる過失を犯した愚かさも含めて日本を直視する。
その気概をもてば、柄谷行人の理路整然とした展開から、見当違いにも〈「亜周辺」の国々こそがこれからの世界史の主役である〉という誤読をして、ナショナリズムを導く読者は減るだろう。

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