『スパイス三都物語』マイケル・クロンドル

『スパイス三都物語』マイケル・クロンドル

序章 味覚との最初の邂逅

p11 香辛料の需要

学者は言う。ヨーロッパ人は、保存あるいは肉の腐敗臭を覆い隠すために香辛料を使った、と。しかしそれは間違いだ。過去の料理本に書かれた事実と完全に矛盾する。

p12

保存のために香辛料が使われたのではない。このことは、昔の料理本を見れば誰でもわかる。調理の終わりに香辛料を加えるようにという指示がある。香辛料を調理前の食材に振りかけて保存するのではない。たとえば『メナジエ・ド・パリ』で、著者は「香辛料はできるだけ終わりの方で加えるように。早く入れすぎると、風味を失うから」と妻に助言している。

p13

では、腐敗臭を覆い隠すという目的は? コショウを大量に振りかければ、腐った肉でも食べられるのでは? 確かに。しかしそれは貧しい飢えた農民ならば、の話だ。社会的エリート(貴族や大商人などの富裕層)にはあてはまらない。しゃれた香辛料を買える者なら、新鮮な肉も当然買えるのだから。そして昔の料理本はくり返し指示している。「動物の屠殺後すぐに調理をはじめるように」

p14 ときどき、香辛料は同じ重さの金の価値があった、と書かれている。これはウソだ。コショウが空前の高値をつけた一五世紀前半のヴェネツィアでさえ、金一ポンドで三〇〇ポンド以上のコショウを買えた。しかし贅沢品であったことは間違いない。

p15 香辛料は当時のトリュフやキャビアとまでは言えなくても、現在の高級エキストラバージン・オリーブオイルのようなものだった。香辛料は富裕層のライフスタイルの一部であり、富の象徴だったのだ。

※保存や、腐敗臭を覆い隠すのが目的ではなかったとわかってもらえたと思う。では、何だったのか? 利益率がよかったからだ。

p24 黒い黄金

ある研究によると、一五世紀のインドのコショウ栽培農民は、一キログラムのコショウに対して銀一~二グラムを受けとった。(略)ロンドンの貴顕に売られるころには、銀二〇~三〇グラムになっていた。※約二〇倍。

このサプライチェーンに含まれるどの商人も、別に大もうけしたわけではない。ヴェネツィア商人でも、その純利益は法外とは言えない四〇パーセントだったらしい。これは当時のフィレンツェの銀行家の投資リターンの倍だった。

現在でも、コショウ貿易の利幅はこれに負けないほど大きい。最近のインドのコショウの卸売価格は、一キログラムあたり約一・六〇ドル。ニューヨークの高級食材店では、黒コショウ一キログラムあたり一二〇ドル。※百倍以上。いまの方が利益率は大きい。

現在とは違って、当時はこれほど大きな金儲けのチャンスを与えてくれる商品は他にほとんどなかった。アジア貿易にまずポルトガルが、次いでオランダが参加すると、彼らの儲けはさらに莫大になった。※スペインは何をしていた?

一六世紀には、ポルトガルが南インドで買ってリスボンで売ったコショウの純利益は一五〇パーセント。ナツメグはヨーロッパで、マラバール海岸の一〇〇倍の値段がついた。原産地(現在のインドネシアの香料諸島)で買った場合、利益はさらに大きくなった。

p25 古代貿易

香辛料貿易の大きな利益は数千年にわたって商人をひきつけてきた。ヨーロッパに限られたことではない。彼らが主役でもなかった。ポルトガルとオランダが強引に割りこんでくるずっと前から、インド、中国、東南アジアの島々のあいだには活発な香辛料貿易があった。(略)ある推定では、ヨーロッパ市場にもたらされた香辛料の割合が、アジアが生産した総量の四分の一を超えたことはほとんどなかった。

※これが実態。

p28

一〇九六年から一二九一年にかけておこなわれた十字軍をきっかけに、ヨーロッパの富裕層は、続く六〇〇年間、香辛料をたっぷり効かせた料理を楽しむようになる。ヨーロッパ人の香辛料ニーズを利用して、マラッカからマルセイユにいたる各地の商人たちは、大もうけした。カイロとカリカットの君主は、コショウ貿易商人からの税金で軍を増強した。アジア産の香辛料にその繁栄を完全にたよっていたのは、ヴェネツィア、リスボン、アムステルダムだ。この三都市は順番には、香辛料帝国に君臨する世界有数の都市にのし上がった。ヴェネツィアがもっとも長く繁栄したが、その後ヴァスコ・ダ・ガマのインド到着をきっかけにアジアの香辛料ルートが変化し、リスボンが富と栄光の一〇〇年を享受した。最後にアムステルダムが覇者となって貿易を厳しく管理し、この世紀を歴史家たちは、この都市の黄金時代と呼んでいる。

p31

宗教改革後のヨーロッパでも、人々は相変わらずコショウとショウガをたっぷり使っていたが、その理由は値段が下がったからだ。しかし富裕層は香辛料に飽き飽きし、メディチ家やブルボン、ハプスブルク、テューダーといった王朝の代々の君主の愛する料理は根本的に変わることになる。その話は機会があればまた。

第一部 ヴェネツィア

p47

一五七一年のレパントの海戦で、ヴェネツィアひきいる連合海軍が、異教徒であるオスマン帝国海軍の地中海での前進を防いだ。

※これがヴェネツィアの最も輝かしい瞬間。ならば、安土編になる。
織田信長が比叡山を焼き討ち

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