『スウェーデンボルグの思想』高橋和夫

『スウェーデンボルグの思想』高橋和夫

p99

死とは何か。スウェーデンボルグは答える。「死とは絶滅ではなく、生の連続であり、一つの状態から別の状態への移行にすぎない」(『真のキリスト教』792)人間はみな、自己同一性(アイデンティティ)の意識と生前の記憶を失うことなく、古びた衣服を脱ぎすてるように肉体を脱ぎすて、肉体と類似した霊的肉体を持って甦る。

p107

類は類を呼ぶ

類が異なれば反発しあう

ゆえに善と悪は分離する

ゆえに霊界は天界と地獄に分離する

天界と地獄の中間地帯は「霊たちの世界」(mundus spirituum)と呼ばれる

天界と地獄は、それぞれが大きく三つの層に分かれている

霊界(あの世)と自然界(この世)は、

「連続的な階層」(gradus continui)ではなく、

「不連続的な階層」(gradus non continui)または「照応」(correspondentia)によってつながっている

p108

自然界は霊界の固定的で不活性な複製(レプリカ)である。霊界は自然界の原因としての先在的世界、自然界は霊界の後在的世界である。つまり霊界は、自然界に存在するすべてのものの根源、生命、力、エネルギー等々として、生動的な異次元宇宙を構成している。
スウェーデンボルグはその著『神の愛と知恵』で、『原理論』をふまえた、「神による宇宙と人間の創造論」を展開している。それによると、霊界の創造は自然界の創造に先立ち、霊界は自然界を内部から不断に維持している。霊界によって生気づけられなければ、自然界(この世)の宇宙は「無限の死体」にすぎない。※デカルトの機械か。

p108
「霊たちの世界(中間地帯)」で起こる「剥脱」
死後三日して人間は「霊たちの世界」に入る。ここは天界と地獄との中間地帯で、上層または内部から来る「善」と、下層または外部から来る「悪」との霊的な均衡によって存在する世界。生前、聖人でもなく、極悪人でもなかった人間はみな、この世界に入る。ここは天界か地獄へ往くいわば通過点だが、ここに滞在せずに天界か地獄に直行する霊もいる。
眠りからさめるように意識を回復した霊は、案内役の霊たちの手ほどきを受けて新世界へ第一歩を踏み出す。新参の霊は最初、無垢・敬虔・平安といった赤ん坊のような純粋な意識にとどめおかれるが、やがて生前と酷似した環境が自分の周囲にあらわれる。誰にも強制されることなく霊は自由に活動し、自分の好みに合う他の霊や霊の社会と交流する。
しかし、「霊たちの世界」はそれなりの秩序によって成り立つ共同体であるから、個人として限度を超えた振る舞いができるわけではない。ここに一つの重大な問題が生じる。
先述したように、霊は心の内部が直接、外に流れ出て、霊の周囲に独自の環境を産出する世界である。これは、霊界では心の意図や思いを隠せないことを意味する。この世では心で悪意を抱いても言葉や行動でこれを隠して善意を装うことができるが、霊界では、思考と言葉、また意図と行動は必ず一致する。
「霊たちの世界」は、このような「一致の法則」が徐々に自覚されるようになる世界であり、この過程で新参の霊は少しずつ自分の本性を顕わにしてゆく。
スウェーデンボルグは、人間の真の性格を決めるのは、各自の「優勢となった愛」だと考える。愛とは、意欲・意志・情愛・感情・情動などの総称。それは、知性的な機能よりも根源的なものである。
スウェーデンボルグによれば、愛は四つに大別される。
一、神への愛
二、隣人愛
三、世俗愛
四、自己愛
神(※究極の原理。真実)を信じて神の戒めを守り、隣人愛を実践することが、神への愛。
広く社会や国家、さらには人類へ向けられた愛が隣人愛。
富・名誉・地位などへの執着が世俗愛。
いわゆるエゴイズムが自己愛。
この世では、野心に燃える政治家が国家のためといって私腹を肥やしたり、内心は嫉妬に満ちているのに世間体を気にして友情をよそおったりすることができる。霊界ではこうした隠しだてが徐々にできなくなり、心の表面にある仮面がはげ落ちて心の深いところが顕わになる。
逆の例もある。心根は善良だが、たまたま悪い環境に身を置いたため悪に染まり悪いことをしたものの、それを悔いている。そんな場合には、霊界では心の善良な深層が表に出る。
スウェーデンボルグはこのように、心の内部が明らかになる過程を「剥脱(はくだつ)」と呼ぶ。それは、人間が生前に形成した本当の性格が顕わになる過程であり、霊となった人間は自由意志によって自らのいちばん居心地の良い場所を求める。
こうして、「優勢となった愛」がつきうごかす自由によって、善人は天界へ、悪人は地獄へと向かう。この過程に関する唯一の者は自分自身である(※自業自得。仏教)。地獄に落とす審判者はいない。何らかの教条的な「信仰」(※テロリズムや原理主義?)や呪文で悪を抹消し、天界へ引き上げる絶対者もいない。
この考え方は、チベットやエジプトの『死者の書』の思想や、キリスト教の「煉獄」の思想とは異なる。ただ浄土教(※仏教)の教典『無量寿経』には、一種のエゴイズム(※無明のことか)が自らを地獄に落とすという自己審判の思想が色濃く出ており、その点、スウェーデンボルグの思想に似ている。

p111

スウェーデンボルグは、人類が創られた目的は、人類の永遠の生と幸福が実現される天界の創造であると言う。天界こそは人間性のあらゆる理想が実現される、永遠に続く至福と平安と美の世界なのである。

善の実践や真理の認識の度合いによって、天界は三層に分かれ、また各層は無数の共同体に分かれてはいても、国・宗教・信条・個性といった、生前、偶然的に与えられた外面的条件には一切関係なく、真の意味での善人はすべて天界に入る。

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