『ハチミツの歴史』LUCY M. LONG

『ハチミツの歴史』LUCY M. LONG

p30 一七世紀から、西洋におけるハチミツの重要性は衰え始める。砂糖の人気が高まり、入手しやすくなってきたからだ。砂糖はスパイスや奴隷の取引と結びついていた。都市部の成長と、農村社会から都市社会への移行は、養蜂の崩壊を意味した。その結果、ハチミツは入手しにくくなり、しだいに贅沢品に変わっていった。

一五三〇年代、イギリスでは宗教改革により、古くからハチミツをつくってきた男子修道院の多くが閉鎖されたので、ハチミツは衰退した。一方、カトリックのスペインとポルトガルでは男子修道院は生き残り、ハチミツは修道士や修道女の食べ物として、とくに菓子やケーキという形で大事な役割を果たし続けた。こういった菓子類およびハチミツは、施設維持費をつくる方法として女子修道院で売られることが多く、祝祭日とは一般市民に振る舞われた。ハチミツでつくったタフィーのような菓子、トゥロンは、今なおスペインを象徴する菓子だ。

サトウキビは八世紀にムーア人(北アフリカのムスリム)によって南ヨーロッパにもたらされたが、はじめはハチミツを脅かすことはなかった。砂糖がヨーロッパで頻繁に使われるようになったのは、一五世紀に茶とスパイスが「発見」されてからだ。ヨーロッパ・オリエント(とくに中国、インド、インドネシア)間でこれらの商品が取り引きされるようになったことが、のちにアフリカとヨーロッパの植民地との間の奴隷取り引きにつながった。ヨーロッパ(とくにイギリス)市場向けの砂糖を栽培させるため、大量のアフリカ人が奴隷船でヒスパニオラ島(現在のドミニカ共和国とハイチ)やジャマイカといったカリブ海の植民地に運ばれた。そして彼らを降ろすと船は新たな奴隷を仕入れるためまたアフリカに向かうのだった。この頃、ヨーロッパとアメリカでは新たな工場が続々と建設されており、大量の労働者が働いていた。砂糖が労働者の安くてかんたんなエネルギー源になるという発見は、この取り引きの原動力となった。この取り引きはさらに、産業化や都市化、資本主義の隆盛までも可能にした。

※砂糖が資本主義を生んだ。砂糖は資本主義の母。

一九世紀半ばになると砂糖はハチミツより安くなり、ハチミツに取って代わるようになった。

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