『砂糖の歴史』Andrew F.Smith

『砂糖の歴史』Andrew F.Smith

p7 人間は甘いものに魅せられる。当然だ。『砂糖の歴史』Andrew F.Smith人間の舌の表面には一万の味蕾(みらい。味を感じる器官)があり、そのすべてに甘味を感じとる働きがあるから。甘いものを食べると、味蕾は神経伝達物質を出し、それが脳内の快楽中枢を刺激する。それに反応した脳が内在性カンナビノイド(脳内に存在するマリファナ類似物質)をつくりだし、食欲が増す。

母乳のカロリーの四〇パーセントは乳糖(ラクトース)に含まれる。乳糖は二糖類で、ブドウ糖(基礎栄養)に変化しやすい。乳糖の甘味のために赤ん坊はどんどん母乳を飲む。

甘いものは単一炭水化物が豊富。唾液は単一炭水化物を分解をうながし、栄養素の存在を消化器官に知らせる。

人間は数千年も、果物や野菜を品種改良して食べものに甘味を加えてきた。

一、穀物から麦芽糖(マルトース)

二、ブドウからブドウ糖(グルコース)

三、果物やベリー類、トウモロコシから果糖(フルクトース)

四、サトウキビやテンサイから蔗糖(スクロース)

また、ミツバチを使ってハチミツを集める方法も考え出し、これは新大陸アメリカ発見以前の旧世界ヨーロッパで最初の重要な甘味料となった。

しかし、ここ五〇〇年間で最も使われてきたのは砂糖、つまり蔗糖(C12H22O11)。これはふたつの単糖(ブドウ糖と果糖)が化学結合してできる二糖類。ブドウ糖と果糖は消化の過程で分離する。

ブドウ糖は小腸で吸収され、血液によって各器官に運ばれ、そこでエネルギーに変わる。余分なブドウ糖は脂肪細胞に蓄えられる。

果糖は自然界で最も甘く、肝臓で酵素によってブドウ糖に変えられる。

蔗糖はほとんどの植物に含まれる。最も濃縮された形で含んでいるのがイネ🌾科のサトウキビ。

p24 第二章 新世界の砂糖づくり

一四七八年、クリストファー・コロンブスはジェノバにあるイタリアの会社の代理人をしていて、砂糖の買い付けのためにマデイラ諸島を訪れた。彼は大西洋の島々や、そこで盛んだった製糖業のことをよく知っていた。最初の妻の父親はポルトサント島の総督だった。妻の死後、コロンブスが再婚した相手の家族は、マデイラ諸島に砂糖農園を持っていた。カリブ海への最初の航海(※一四九二年新大陸発見のことを著者は言っているのか?)からスペインに戻ったコロンブスには、自分が探検してきた島々でサトウキビが栽培できるという確信があった。

一四九三年、カリブ海への二回目の航海に出た際に、コロンブスはカナリア諸島に寄り、そこで手に入れたサトウキビの苗をカリブ海のイスパニョーラ島(現在のハイチとドミニカ共和国)に移植した。コロンブスやほかのスペインの探検家たち(※ピサロやコルテス?)は、島々に植民地をつくった。

一五〇八年、プエルトリコ

一五〇九年、ジャマイカ

一五一一年、キューバ

p26 これらの島々のほかにも、植民地をもつヨーロッパの国々によってサトウキビが植えられるようになる。

一五一六年、スペインにとってイスパニョーラ島は新世界で最も重要な砂糖の産地となっていたが、この年、この島からスペインに砂糖が輸出されている。三〇年の間に、「強力な製糖所や四頭の馬で動かす製糖所」ができた。(略)しかし、スペイン人に奴隷にされた人々の絶え間ない争い、ヨーロッパ人が持ちこんだ伝染病の流行などが原因で、ヨーロッパ人がやってきてからわずか一世紀で、これらの島々の先住民の八〇~九〇パーセントが死んだ。こうしてカリブ海諸島の製糖業は衰えた。

ポルトガルの植民地ブラジルは別の道を歩んだ。一五〇〇年、ブラジルに上陸したポルトガル人(※カブラルら)は、沿岸に交易所をつくった。ブラジルもサトウキビ栽培に理想的な場所。気候最適、ボイラー用の燃料や水は豊富、土地はいくらでも、奴隷にできる先住民も。

一五二〇年、砂糖プランテーションが海岸沿いに建てられた。

一五四八年、ペルナンブコで六つの砂糖プランテーションが稼働。

一五八三年、砂糖プランテーションの数は六六に。

p28 一六世紀後半、砂糖はブラジルで最も重要な輸出品になり、大西洋の残りの産地の生産量の合計を超えた。ブラジル以外の製糖業は廃れていった。こうしてブラジルは世界の砂糖生産農家中心地となった。

p29 ●精製糖 ヨーロッパの都市で精製の仕上げをすることによって、精製業者は植民地だけではなくでは母国にも利益をもたらすことができた。この点は、当時の経済哲学である重商主義を反映している。つまり、植民地を母国に原材料を供給するための場所としつつ、さらに母国で作って製品を植民地に輸出して金儲けをする、という考え方。

p30 一六世紀のヨーロッパで精製糖業が一番盛んだったのは(現在はベルギーの)アントワープ。もともとアントワープは、ポルトガルやスペインの植民地から運ばれる砂糖の取引と精製の中心地だった。砂糖のおかげで、アントワープはヨーロッパで最も豊かな都市、そして二番目に大きな都市となった。(※一番は?)

一五七六年、スペイン軍の略奪により、アントワープの砂糖の取引は壊滅的に。その隙に、ロンドン、ブリストル(イギリス西部)、ボルドー(フランス南西部)、アムステルダムなど、ヨーロッパの他の都市が精製糖業に乗り出し、とみのながれは一気に変わった。

p36 イギリスの砂糖法がアメリカを独立させた。

一七二五年、ニューヨークに最初の製糖所

一七三三年、糖蜜法(イギリス)。不徹底。アメリカは密輸公然。

一七五六年、七年戦争(~六三)。イギリス、広大な植民地を獲得。維持に金が必要。

一七六四年、砂糖法。金を得るため。アメリカは糖蜜法では公然だった密輸ができなくなり、抵抗。

一七七五年、アメリカ独立戦争。

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