トウガラシの歴史 HEATHER ARNDT ANDERSON

『トウガラシの歴史』 HEATHER ARNDT ANDERSON

p7 太陽が地球の娘と恋に落ちた。マヤ民族の神話だ。太陽は娘をさらい、亀の甲羅の中に幽閉した。娘の身を案じる父親は吹き矢で武装し、太陽へと向かった。だが卑劣な太陽は前もって父親の吹き矢にトウガラシの粉を詰めておいた。父親が太陽にねらいを定めて深く息を吸いこむと、肺にトウガラシの粉が大量に入った。激しく咳きこみながらも、父親は自分の命と引き換えに吹き矢を放った。父親の吹き矢は太陽に突き刺さり、太陽は花嫁を取り落とした。娘は地球に落下し、海面にぶつかると鏡が割れるように粉々になった。すると海の魚たちがせっせと破片をつなぎ合わせて娘を元の姿に戻した。魚たちは引き網の中に整列して娘を太陽のもとへ送り届けようとした。ところが太陽はトウガラシの詰まった矢が刺さったためにとても熱くなっており、魚たちは近づくことすらできなかった。太陽は仕方なく娘を空に放置した。娘は月になった。キラキラ光る網の中の魚たちは、天の川になった。

トウガラシは何千年にもわたってメソアメリカに住む人々から崇拝されてきたが、世界から熱い注目を浴びるようになったのはほんの五〇〇年ほど前、スペイン人がアメリカ大陸探検によって多数のナス科の植物を発見し、ヨーロッパに持ち帰ってからである。ナス科の親戚であるジャガイモやトマトは一足先に歴史の表舞台へ出ていったが、トウガラシは身を潜め、光が当たるときを待っていた。

p11 トウガラシ属は正確に言えばナス科。数十の種があり、その下位の栽培品種は四〇〇以上。

p12 トウガラシの栽培品種五種。

一、アンヌーム種…ピーマン、ハラペーニョ、パプリカ

二、チャイネンセ種…ハバネロ、スコッチボンネット

三、フルテッセンス種…キダチトウガラシ

四、バッカートゥム種…アヒ・アマリージョ

五、プベッセンス種…ロコト

p63 第三章 世界への伝播 ●コロンブス交換 一四九三年、新世界アメリカ大陸へ二度目の上陸を果たしたクリストファー・コロンブスは、先住民の辛い食べ物が未知の食材で味付けされていることに気づいた。その発見をスペインに報告し、トウガラシによってかなりの利益を得ることができると書き留めている。

p65 ●ヨーロッパ p66 一五一三年、スペイン人紳士ゴンザロ・フェルナンデス・デ・オビエド・イ・バルデスは、スペインとイタリアではトウガラシは食材として一般的に使われていると書いている。また、肉や魚に対する調味料として「美味なる黒コショウ」よりも優れている、と断言している。

p73 ●ハンガリー イタリア半島はスペインと近いために、新世界アメリカ大陸の食べ物はわりと簡単に広まった。しかし、それ以外のヨーロッパの地域が新しい刺激的なナス科の野菜すなわちトウガラシに出会うには、オスマントルコ帝国の助けが必要になる。

一五三八年、インドのポルトガル領ディーウ島の奇襲に成功したあと、トルコ人はそこでトウガラシを発見して熱狂した。オスマントルコはインドから行く先々にトウガラシを持ちこんだ。ブルガリアからハンガリーにも伝えた。ハンガリー人のテーブルには、黒コショウではなく塩とトウガラシが常備されるようになった。

p74 一五六九年、流行仕掛け人の貴族マルギット・セキーが自宅の菜園にパプリカを植えてからは、特にトウガラシはハンガリー人の台所に置かれるようになっていった。

p80 ピロシェ・アラニョイとエリョス・ピスタは、つぶしたパプリカと塩だけで作った、ハンガリーで最も人気のあるペーストだ。南ヨーロッパでは、トウガラシをコリアンダー、クミン、ブルー・フェヌグリークといっしょに細かく砕いた、アジカという複雑な味の辛い調味料が大変人気がある。アジカは、パンや焼いた肉につけて楽しまれている。バルカン地方では、どの料理にもアイバルと呼ばれるマイルドな赤トウガラシで作った調味料が入る。

p90 ●アジア コロンブスが船に新世界アメリカ大陸の作物と奴隷を積みこんでいた頃、ポルトガル人の探検家ヴァスコ・ダ・ガマは自分の使命を実行していた。香辛料貿易で勝つためには、ダ・ガマはコロンブスより先にアジアに到着していなければならなかった。

一四九八年、ダ・ガマがインド到達を果たした。

一五〇〇年、もうひとりのポルトガル人探検家ペドロ・アルヴァレス・カブラルがブラジルへ到着し、この豊かな熱帯の不思議の国はポルトガル王マヌエル一世の領土だと宣言した。こうしてインドとブラジルへのふたつの直接航路を獲得したポルトガルは、コロンブスがほんの数年前にやったことと同じように多くの恩恵をヨーロッパに与えることになる。ありがたいことにオスマントルコ帝国はポルトガルの行動にたいして関心を示さなかったので、ポルトガルはほとんど好きなようにやれた。

p91 ポルトガルの船に積まれたトウガラシは、インド、タイ、中国、さらには朝鮮半島まで、あっという間にアジアに広まり、これらの国の料理を変えた。

p92 わずか数十年でトウガラシはアジアの食生活にあまりにもすんなり定着したので、当のヨーロッパ人探検家たちでさえ、トウガラシはインド原産なのか新世界アメリカ大陸から入ってきたものなのかあやしくなるほどだった。

p95 ドイツ人植物学者レオンハルト・フックスは、トウガラシはインド原産だと信じていた。一五四二年、彼の著書『植物誌』によれば、四〇種類ほどのインドの郷土料理は、ほとんどすべてトウガラシを使って伝統料理に複雑さを加えている。

●インド トウガラシは、カレーをはじめとするインド料理すべてを変えた。一六世紀以前は、インドの調味料で最も強い香辛料と言えばせいぜいコショウだった。南インド人はコショウ好きだったが、トウガラシがコショウを追い抜くのに時間はかからなかった。

p95 トウガラシは南インドの料理に欠かせないものとなり、たとえばピクルスが町の自慢であるグントゥールでは、トウガラシでチリオイルに漬けたピクルスさえ作っている。

p94 一六世紀半ばのドイツ、イギリス、オランダのトウガラシのほとんどは、インドからもたらされた。今もインドはトウガラシの世界主要生産国だ。

p107 ●日本 一五四三年、ポルトガルが初めて日本と接触した。一六世紀末までには本格的に貿易が開始。ポルトガルが日本にジャガイモ、天ぷら、砂糖(これにより南蛮菓子が生まれた)を伝えたときにトウガラシも持ちこまれた可能性が高い。それから一世紀も経たないうちに、江戸の香辛料販売者が七味唐辛子を開発した。

この香りのよい調味料には、生産者によって多少の違いはあるが、赤トウガラシ、乾燥させたミカン🍊の皮、海苔、白ゴマと黒ゴマ(時には麻の実)、山椒、生姜の粉末などが組み合わせて使われる。日本では「唐辛子」は食卓に常備され、温かい蕎麦や饂飩、それに一九世紀後半の明治維新以降人気メニューとなった牛丼に振りかけると最高だ。

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