茶の歴史 HELEN SABERI

p8 茶、それはカメリアシネンシスという常緑低木の葉を乾燥させて、沸騰した湯で抽出した飲み物。その歴史の物語は、儀式と宗教、冒険と貿易、密輸と革命、文学と社会変動によって彩られている。

p13 チャノキは、中国種、アッサム種、カンボジア種に大別。

p34 一三世紀後半にモンゴル帝国(元)が大陸を征服すると喫茶の習慣は衰退。マルコポーロの旅行記には茶に関する記述はない。

お茶は明代(一三六八~一六四四)に復活する。沸かした湯で散茶を煎じる方法が普及し、茶葉を発酵させた黒茶(発酵茶。日本では紅茶。日本の緑茶は不発酵茶)が開発され、茶道具が芸術の域にまで高められたのもこの時代。

p36 ヨーロッパとの茶の交易も始まった。

p40 中国には、相手の女性の家に茶を贈る古い習慣が今も残っている。茶を受け取ってもらえれば婚約が成立する。チャノキは接ぎ木できず、苗木から育てるしかないと考えられていた。そのため忠誠、調和、不変を表すとされ、永遠に続く結婚の最高の象徴とされている。

p45 第三章 日本、朝鮮、台湾の茶

「茶道」の作法は、元は仏僧たちの儀式。僧たちは、達磨(*)の肖像画の前で抹茶をひとつの椀から回し飲みしたという。

一五世紀後半、禅僧であった村田珠光(一四二二~一五〇二)は、茶の点て方、飲み方と、謙虚や平穏といった精神性を組み合わせた茶の作法を考案し、それが現代の茶道の礎となった。

一六世紀、茶聖といわれた千利休(一五二二~九一)は、村田珠光が考えた佗茶精神を発展させた。茶の作法は簡素化された。利休は重要なこととして次の七則を挙げた。

茶は服のよきように点て

炭は湯の沸くように置き

花は野にあるように

夏は涼しく冬暖かに

刻限は早めに

降らずとも傘の用意

相客に心せよ

(*)面壁九年の修行の途中、眠気を断つために瞼を切り取って捨てた。そこからチャノキが生えた。

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