パスタと麺の歴史 KANTHA SHELKE

p61 一五世紀まで、パスタは家庭で作られていた。一六~一七世紀は、パスタ作りがしだいに「家庭での作業」から「商業事業」へと変わっていった時期だ。

p76 レオナルド・ダ・ヴィンチは、画家や化学者よりも料理人といわれるほうを好み、折を見てレストランを開き、パスタ作りの工業化にも挑んだことがわかっている。ダ・ヴィンチは機械とダイス(鋳型)を使って、ラザーニャの生地からタリエリーニ、つまりリボン状のパスタを作った。ダ・ヴィンチの『アトランティコ手稿 Codex Atlanticus』に描かれているのは、パスタ用ダイスの最初期の図のひとつだ。

p90 トマトはスペイン人コンキスタドール(コロンブスのアメリカ大陸発見以後、一攫千金を夢見て赴いた探検家たちの総称)によって、ペルーからヨーロッパの植物学者にもたらされた。この学者たちは一五五〇年代にポモ・ドーロ(金色のリンゴ。トマトのこと)について記し、これをソースに使用することを推奨した。だが、ナポリのスペイン総督のシェフ、アントニオ・ラティーニが『現代の執事 La scalco alla moderna』でアッラ・スパニョーラ(スペイン風ソース。トマトソースのこと)のレシピを発表したのはその一世紀後の一六九二年。トマトソースとパスタの組み合わせが初めて登場するのは、さらに一世紀のちの一七九〇年にローマのシェフ、フランチェスコ・レオナルディが著した料理書『現代のアピキウス L’Apicio moderno』だった。

p98 イタリアの将軍であり政治家だったジュゼッペ・ガリバルディ(一八〇七~八二)は、イタリアを統一するのはスパゲッティだろうと予言し、それは的中した。パスタはイタリア人をひとつにまとめたのにとどまらず、どの国の料理よりも、世界という戦場でより多くの人々を制圧した。イタリア人批評家、ジュゼッペ・プレッツオリーニはこう問わずにはいられなかった。「スパゲッティにくらべれば、ダンテの栄光などどれほどのものだろうか」

●アメリカに渡ったパスタ

パスタが初めてアメリカに渡るきっかけを作ったのは、政治家、哲学者、発明家、作家、建築家として著名なルネサンス的教養人、アメリカ合衆国第三代大統領トマス・ジェファーソンだった。ジェファーソン大統領は、興味をひいたことはすべて自分で試さずにはいられなかった。時計もマッチも、ブドウ栽培も、パスタもそうだ。ジェファーソンは一七八四年から八九年(フランス革命)にかけてフランス大使としてパリに駐在し、この間にパスタのとりこになった。

一七九〇年、ジェファーソンがフランスのル・アーブルから送ったマカロニふた箱がアメリカに到着しており、これが、一世紀ほどのちの、アメリカによるパスタの大量購入のはじまりだとされる。

一七九三年、ジェファーソンの邸宅とプランテーションがあるヴァージニア州モンティチェロに、ナポリで購入したマカロニ製造器が届いた。

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