続ヴェネツィアの石

p8
一四世紀のヴェネツィア宮殿か、それとも、幻想的で立派な都市の光景
ルーアン
アントワープ
ケルン
ニュルンベルク
を、出来るだけリアルなイメージで。そののちに、現代の住宅建築への感受性が今も変わらず独特な様式で表現されている通りへ。例えば、ロンドンなら、ハーレー通り、ベイカー通り、ガウアー通りを歩いてみる。そして過去と現在の光景を比べて、ヨーロッパ人の心にこんな大きな変化を引きおこした原因は何かを考える。
ルネサンスの建築家が、ヴェネツィア大運河からロンドンのガウアー通りまでをつくった。その原因と段階は? 以前にゴシックの本質を考えたように、ルネサンスの本質を考えてみよう。

p9
芸術の退廃は、すべての時代で同じ。贅沢な装飾、精緻を凝らした仕上げ、微に入り細をうがった浅はかな奇想が、真実の思想と手練の技に取って代わる。なぜゴシックが滅びたか。

p26
拡大しつつあった知識によって、裏づけられ洗練された精妙な趣味が新しい流派の最初の模範例となった。イタリア全土に新しい一つの様式が勃興し、「一五〇〇年代様式=一六世紀様式」として今では一般に知られる。この様式は、不世出の巨匠たち(ミケランジェロ、ラファエロ、レオナルド)に先導された彫刻・絵画を生んだ。だが建築は挫折した。建築では、完璧はあり得なかったし、完全に成し遂げることは出来もしなかった。なぜなら、古典崇拝熱が建築形態の最良の様式(ゴシック様式)を破壊したからだ。

p27
一五世紀において、一段と強く求められるようになった古典文献への回帰は、建築に関しては、ゴシック系全体を排除することにつながった。お払い箱にされたのは、

一、尖塔アーチ
二、陰影のある穹窿(きゅうりゅう。円天井)
三、群柱
四、天突く尖塔

構造で許されたものは次にあげたものくらい。

五、角柱または円柱を伴う円形アーチの上に柱から柱へと渡された無装飾の大梁
六、破風屋根
七、ペジメント(*)

幸運にもローマに残っていた二つの建築形態は許容された。

八、キューポラ(小円屋根)
九、室内の半円筒形丸天井

(*)ペディメント(pediment)とは西洋建築における切妻屋根の、妻側屋根下部と水平材に囲まれた三角形の部分である。日本建築の「破風(はふ)」 に該当する。

p57
ローマ・ルネサンスは、純粋で完全な形態を取った様式として、次の建築物で代表される。

一、ヴェネツィアのグリマーニ宮殿。建築サンミケーレ。
二、ヴィチェンツァの公会堂。建築パッラーディオ。
三、ローマのサンピエトロ大聖堂。建築ミケランジェロ。
四、ロンドンのセントポール寺院とホワイトホール。レンとイニゴー・ジョーンズの合作。

ローマルネサンス派はゴシック派への対抗流派。

p60 ルネサンス派の誤りは、学識と芸術が同じであり、前者の進歩は必然後者の完成になると考えたこと。学識の進歩は九九パーセント、芸術の後退になる。※強引。自分の決めた定義を譲らないのだろう。

p63 神はあらゆる人に適した天職を与えて創造した。※これが嘘だ。

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