20181219 かくて行動経済学は生まれり マイケル・ルイス

20181219 かくて行動経済学は生まれり マイケル・ルイス
p12
自著『マネー・ボール』に対する二〇〇三年八月三十一日付の経済学者と法律学教授の書評は好意的かつ手厳しかった。
プロスポーツの市場は混乱しているので、その非効率性を逆手にとって、アスレチックスのような貧乏チームが潤沢な資金を持つチームの多くを出し抜けるのは興味深い現象だということについては、彼らも賛同してくれた。
しかし、と二人は続けていた。『マネー・ボール』の著者は、野球選手の市場がなぜ非効率的なのか、もっと深い理由があることを知らないようだ、と。それは人間の頭の中から生じている。そして、野球の専門家がなぜ選手を見誤るのか、またどんな分野の専門家でも、その人の頭の中でなぜ判断が歪められてしまうのかについては、すでに何年も前に説明がなされている。二人のイスラエル人心理学者、ダニエル・カーネマンとエイモス・トヴェルスキーによって。(略)
p13
何が二人の中東の男をとらえ、野球選手や投資や大統領候補者について判断するときの脳の働きについて、奥深い研究会へと向かわせたのか? そしてなぜ心理学者がノーベル経済学賞を受賞したのか? これから方っていこう。

第二章 ダニエル・カーネマンは信用しない
p63
カーネマン一家がエルサレムについたのは、また新たな戦いが始まる直前だった。一九四七年秋、パレスチナ問題の舞台はイギリスから国連に移され、国連は一一月二九日に、正式に二つの国家に分けるという決議を採択した。新しいユダヤ人国家はだいたいコネチカット州と同じくらいで、アラブ人国家はそれより少し小さかった。聖地であるエルサレムはどちらにも属さず、エルサレムに住む人はエルサレム〈市民〉となった。ただ実質的には、アラブ人のエルサレムとユダヤ人のエルサレムが存在し、住民たちは依然としてお互いを全力で殺しあっていた。
p64
「それまでとはまったく違っていた。戦っていたからだ。だから前よりよかった。わたしはヨーロッパにおけるユダヤ人国家という立場を憎んでいた。狩りにあうのはいやだった。ウサギではいたくなかった」
(略)
一九四八年一月のある晩、ダニエルは初めてユダヤ人の兵士を見て身を震わせた。アラブ人戦士がユダヤ人居住地を包囲していた。ユダヤ人戦士たちはダニエルの家の地下室から、居住地に残された人々を助けにいった。途中でアラブの羊飼いに会ったが、彼を撃たずに自由にしてやることにした。だがその羊飼いはユダヤ人が向かっていることをアラブ戦士に告げた。アラブ人国家戦士は待ち伏せして、三五人の若者全員を殺し、その体を切断した。ダニエルはなぜ三五人の若者がそんな決断をしたのか不思議に思った。「なぜ彼らが殺されたのかわかるかい? 一人の羊飼いを撃つことができなかったからだ」
p65
だが、どんな脅威が迫ってきてもダニエルは意に介さなかった。「五つのアラブ国家を負かそうだなんて、本当に信じがたいことだった。でもわたしたちは心配していなかった。自分に危険が差し迫っている感じはなかったんだ。多くの人が殺されていたし、いろいろなことがあった。しかしわたしにとって、第二次世界大戦のあとはピクニックみたいなものだった」。だが、彼の母親はまったく違う意見だったらしく、一四歳の息子を連れてエルサレムから逃げ出し、テルアビブへと向かった。
一九四八年五月一四日、イスラエルは主権国家として独立を宣言し、翌日、イギリス軍は撤退した。ヨルダン、シリア、エジプトの軍隊が攻撃してきて、イラクとレバノンからも部隊がやってきた。
p67
独立を求める戦いは十か月間続いた。コネチカット州くらいだった面積はニュージャージー州より少し大きくなった。その間にイスラエルの人口の一パーセントが殺されていた。一万人のアラブ人が殺され、七五万人のパレスチナ人が国を追われた。ダニエルの母は子どもを連れてエルサレムに戻った。

p73
一九五〇年代初頭、科学的な研究が可能であると考えられていたのは、生物がどのように行動するかだった。
その考え方は行動主義と呼ばれた。その帝王BFスキナーは第二次世界大戦中にキャリアをスタートし、アメリカ空軍に雇われて、ミサイルを誘導するべくハトを訓練する研究を行った。(略)
ハトでの成功に始まる、心理学の世界に大きな影響を与えた彼の研究者人生を支えていたのは、すべての動物の行動は思考や感情から生じるのではなく、外部から与えられる報酬と罰によって決定されるという考えだった。(略)そしてハトにはピンポンや、ピアノで『私を野球に連れてって』を弾くことを覚えさせた。
p76
ゲシュタルト心理学の中心にあるのは、行動主義者たちがあえて無視していた問題だった。すなわち脳はどのようにして意味を生み出すのか。感覚によって集められた断片を、どのようにして一貫した現実の像にまとめるのか。その像は世界が脳に押しつけるというよりも、むしろ脳が世界に押しつけているように思えることが多いのはなぜなのか。人はどうやってたくさんの記憶のかけらを、筋の通った一つの物語にまとめているのだろうか。目にしたものに対する理解が、そのときの状況によって変わってしまうのはなぜなのか。ヨーロッパでユダヤ人殲滅をもくるむ政党が権力の座に就いたとき、事態の深刻さを受け止めて逃亡したユダヤ人と、とどまって虐殺されたユダヤ人がいたのはなぜなのか。こうした疑問がダニエルを心理学の道へと進ませた。もし答えがあるとすれば、人間の頭の中でしか見つからない。
p81
軍隊での彼は、距離を置いた観察者ではいられなかった。正体を指揮していた時期について、ダニエルはのちにこう語っている。「フランスにいたときに自分にあった、自分は弱いという意識、身体的な弱さ、無能感といったものがあとかたもなく取りさられた」。軍隊に向いていなかったが、向いている場所をつくられた。彼は心理学部隊に配属された。
一九五四年当時のイスラエル軍の心理学部隊の特徴は心理学者がいないことだ。そのためヨーロッパから逃亡し、人生の長い期間を隠れて暮らしてきた二〇歳のダニエルが、イスラエル国防軍における心理学問題の専門家ということになっていた。
「彼はひょろりとしていて、不格好で、とても頭がよかったわ」と言うのは、同じ心理学部隊で働いていたタミー・ジヴだ。「わたしは一九歳で彼は二一歳でした。彼はわたしを口説こうとしていたみたいだけど、わたしは鈍すぎて気づきませんでした。彼はふつうの男ではなかったけど、みんなに好かれていました」。そして必要ともされていた。ただ、それがすぐに評価されたわけではない。

直感を廃除するとよりよい判断ができる p89
のちに大学教授になってから、ダニエルは学生にこう言うようになった。
「誰かが何かを一体とき、それが本当かどうかという疑問は持つな。それがどんなところに当てはまるかを考えなさい」。これは彼の知的直感であり、精神的ゴールへの第一歩だった。誰かが何を言っても、すぐさまけなすのではなく、その意味を理解しようとする。

第三章 エイモス・トヴェルスキーは発見する
p112
エイモスはその臨床心理学を医学でたとえた。一七世紀には、医者に行くことで症状はむしろ悪化した。一九世紀末には、医者に行ってよくなるか悪くなるかは五分五分だった。エイモスは臨床心理学は一七世紀の医学のようなものだと言い、それを裏付ける証拠もたくさん持っていた。

第五章 直感は間違える
p158
「人の直感は、統計的に正しい答えを導き出す」。長らく信じられてきたその通説を打ち破ったのは、ヘブライ大学で出会ったダニエルとエイモスの二人だった。たとえ統計学者でも、その直感に頼った判断はいとも簡単に間違うことを証明した二人の共同論文は、それまでの社会科学に反旗を翻した。
p160
ベイズの定理(トマス・ベイズにちなんで名付けられたこの定理は、一七六一年のベイズの死後、発見された)
p163
経済学者のミルトン・フリードマンは一九五三年の論文で、人はビリヤードの球を突くとき、物理学者がやるように、角度や球が受ける力を計算しているわけではないと述べている。ただ適切な方向に、適切な力を加えて突いているだけなのに、まるで物理学を知っているように見えるのだ。
※何が言いたい?
p170
一九四八年の独立戦争(第一次中東戦争)のときには、エルサレムで少年期を過ごしていた。(略)「わたしは、そのアラブ人たちも自分と同じ人間じゃないか、と思った。彼らが戦争を始めたわけじゃない。わたしが戦争を始めたわけでもない」。(略)それは忘れてしまったほうがいいことだった。(略)
一九五六年(第二次中東戦争の直前)に、政府がむこう五年、戦争はないと予測していた。エイモスが強く訴えていたのは、確率というのは既知のものではないということだ。きちんとした使い方は知られていなかった。
p171
『すばらしい講義だったけど、ぼくはひとことだって信じていない』
『判断と知覚がつながっていないなんてありえない。思考はばらばらの行為じゃないんだ』
p173
「悲観的だとわるいことを二度も経験することになる」と、エイモスはよく言っていた。一度は心配しているとき、二度目は本当に起こるときだ。
p174
(正反対に見える二人だが)もう一つ語っておくべきことがある。ダニエルとエイモスの共通点だ。(略)二人ともユダヤ人で、イスラエルに住み、神を信じていなかった。

p219
「われわれはよく、ある結果が生じる可能性はほとんど、あるいは絶対にないという判断をくだすが、それはその結果を引きおこす原因となる一連の出来事を想像できないからだ。欠陥は、わたしたちの想像力にある」
※過去の自分から逃れられないと誤判断してしまう。

第七章 人は物語を求める
p222
それは一九七二年の春、ユージーンでの生活が終わりに近づいていた頃、エイモスがダニエルと話した内容をメモしたものだった。

人は物語をつくって予測する。
人は予測をほとんどしない。すべて説明する。
人は好むと好まざるとにかかわらず、不確実な状況の中で生きている。
人はがんばれば将来がわかると信じている。
人は事実にあてはまればどんな説明も受け入れる。
予言は壁に書いてある。ただしそのインクは目に見えない。

人はときにすでに持っている情報を必死に手に入れようとして、
新しい知識を持つことを避ける。
人は確率論的な世界に放り出された決定論的な装置だ。(*1)
この組み合わせではサプライズが期待できる。
すでに起こっていることはすべて必然だったのだ。(*2)
***
(*1)仏教で言うところの「倒見(とうけん)」。人は不確かな世界を確かな世界と誤解する。
(*2)必然と人は考え、サプライズを感じる。しかしすべては偶然である。

p223
判断と予測は違う。
予測は不確実なことを含む判断である。(*)
「アドルフ・ヒトラーは雄弁家である」はただの判断であり、そこに不確実性が入り込む余地はない。
一方、「アドルフ・ヒトラーはいずれドイツ首相になる」は、少なくとも一九三三年一月三十日までは、不確実な出来事の予測であり、やがてそれが正しかったか間違っていたかがわかる。
***
(*)判断は現在、予測は未来。ゆえに当然、予測は不確実なことを含む判断、ということになる。

p230
スタンフォード大学の客員教授だったアーヴ・ビーダーマンは、ダニエルが一九七二年前半にスタンフォード大学で行ったヒューリスティックスとバイアスについての講義を聞いた。
「その講義のあと家に帰って、妻に『これはきっとノーベル経済学賞をとるぞ』と言ったのを覚えている。間違いないと思った。あれは経済人についての心理学理論だった。わたしは思ったね、これ以上のものがあるかって。どうして人が不合理なことや間違いをするのか、その理由がここにある。みんな人間の頭の内部の働きから来ているんだ」

p231
ビーダーマンはエイモスを説き伏せて、一九七二年の夏、オレゴンからイスラエルへ戻る途中でバッファローに寄ってもらった。(略)
エイモスは五回の講義を行ない、毎回違う話をした。それぞれが専門家集団に向けた講義だった。(略)
エイモスは五回の講義のうち三回は、彼とダニエルが発見したヒューリスティックスの一つずつにあて、もう一回は予測について話した。しかしビーダーマンの頭に残ったのは五番目の最後の回だった。「歴史についての解釈:不確実な状態での判断」とエイモスはタイトルをつけていた。彼はほんの短時間で、彼とダニエルがつくったレンズを通してみれば、人間の経験をまったく新し視点で見直せることを、部屋いっぱいに集まったプロの歴史家たちに示したのだ。※聞きたかった。
p232
家庭でも職場でも、一見すると不可解な状況に遭遇することはよくある。なぜある人がある行動をとるのかわからない、なぜこんな実験結果が出るのかわからないと。しかしたいていの場合、しばらくすると説明や仮説、事実の解釈が現れて、それらが理解可能で筋が通る、当たり前のものに思えるようになる。
同じ現象は知覚についても見られる。
人はランダムなデータでも、そこにあるパターンや動向を読み取るのが得意だ。
だが筋書き、説明、解釈を組み立てるスキルとは対照的に、可能性を計算したり、それらを厳しく評価したりする能力は著しく不足している。
いったんある仮説や解釈を受け入れると、その仮説を過剰に信じてしまい、見方を変えるのがとても難しくなる。

これに関して、エイモスは礼節を忘れなかった。ふだんのように「歴史の本はその大部分がでっちあげだと思うと、あまりのつまらなさに驚くほどだ」とは言わなかった。(略)
歴史研究家も例にもれず、彼とダニエルが説明したり認知バイアスに陥っているというのだ。(略)
いったん結果を知ると、まさに自分が予想したとおりだと思いやすい。「後知恵バイアス」である。(略)
p234
わたしたちはたいてい、あとになれば当然と思えることを予測できなかったと嘆く。(略)
歴史研究家は数々の偶然の出来事を、無理やり辻褄の合った話にまとめてきた。しかもそのことに気づいていない。エイモスはそれを「忍び寄る決定論」と呼んだ。(略)「エイモスの講義に出席していた歴史研究家たちは、終わったときみんな青くなっていた」。ビーダーマンは当時のことをそう語った。(略)ビーダーマンは、この研究は、不確実な状況が起こる確率を予測することを求められるあらゆる領域、つまり広範囲にわたる人間の活動に影響を及ぼすという確信を持った。(略)あまり知名度のないヘブライ大学で研究をしている二人が、どうやって外の世界に彼らの発見を広めることができるか、当時はまったくわからなかった。

第八章 まず医療の現場が注目した
p246
十七歳のレデルマイヤー
(代表性、利用可能性、係留)※三つのヒューリスティックス
レデルマイヤーが衝撃を受けたのは、人は間違えるという指摘ではない。人が間違えるのは当然だ! おもしろいのはその間違いが予測可能で系統的だということ。それらは人間の性質に根ざしているようだ。

p263
一九八二年の夏のある日、ブリティッシュ・コロンビア大学の教授になって三年目を迎えていたダニエルは、「幸福についての研究をする」(略)
ダニエルはずっと前から、何かの経験をしたとき自分がどんな感情を持つかを予測する能力(あるいはその無能ぶり)を知りたいと思っていた。(略)特に深く掘り下げたかったのは、

一、何をすれば幸せかという直感的な予測
二、実際に幸せと感じること

その二つの間の(彼自身も感じていた)ギャップだった。

p268
レデルマイヤーはデータを使って人間の行動の本当のパターンを見つけ、人の生、ときには死を支配する誤った認識を改めたいと思った。
「それ(人間の行動の本当のパターン)が本当に存在するのかわかっていなかった」

第九章 そして経済学も
p278
戦闘が終わってから何日もの間、エイモスはヤッファ・シンガーらとともに、アンケートに書かれた兵士の回答を読み続けた。シンガーは言った。「なぜイスラエルのために戦う人がいるのか尋ねた。あまりにも当たり前のことがわかった。彼らは友人たちのために戦っていたのだ。あるいは家族のため。国家のためではない。シオニズムのためでもない。そのときはっきりと目が覚めた思いだった。」

p279
あんた、爆弾か? おびえた兵士が尋ねた。
いや、エイモスだとエイモスが言った。
じゃあ、おれは死んでないな? 兵士が尋ねる。
死んでない。エイモスが答えた。

p280
一九七三年末、あるいは一九七四年の初めかも。ダニエルはある講演を行った。
タイトルは『知覚の限界と公共の意思決定』。
彼は冒頭、「情動やホルモン系統はジャングルのネズミと大して変わらないのに、いくつかボタンを押すだけですべての生命を破壊する能力を与えられた生物」について考えるのは厄介だと述べた。その頃終えたばかりの、人間の判断についてのエイモスとの共同研究をふまえると、「重大な決定は、現在も何千年前と同じように、権力を持つ立場にある少数の人間の直感と好みで行われている」。これはさらに厄介なことだと、彼は思った。意志決定者が、自分たちの頭の内部の働きを直視しようとせず、直感に頼り続けているために「社会全体の運命が、指導者が犯した、避けられたはずのいくつもの間違いによって決められているかのうせいが高い」からだ。
戦争が起こる前、ダニエルとエイモスは、人間の判断についてのカレラの研究が、現実世界の大きな決定に応用されるという、共通の希望を持っていた。(略)彼らは意志決定システムをつくるつもりだった。あらゆる決定を賭けとして考え、考えられる結果すべての数値を出すのだ。
たとえば人為的にハリケーンを操作するとき、風速を下げられる可能性は五〇%だが、本当に避難が必要な人たちに誤った安心感を与えてしまう可能性も五%ある。ではどうするべきか?
p281
意志決定について、結果(最終的に正しかったか間違っていたか)ではなく、そこへたどり着くまでの過程で評価するようになると。
※結果としてふりこんだことよりも、その捨て牌選ぶにいたった過程こそが大切だ。
ダニエルがイスラエルの聴衆に向かって言ったように、必要なのは「不確実なものとリスクに対する文化的な態度の変革」だった。

第一〇章 説明のしかたで選択は変わる
p308
「プラスよりマイナスの変化に敏感になるのは、きんせんてきな結果に限ったものではない」と、エイモスとダニエルは書いている。「これは快楽機械としてのにんげんという生物の、一般的な性質を反映している。ほとんどの人にとって、好ましいものを手に入れる幸せは、同じものを失う不幸せよりも小さいのだ」
苦痛に敏感なほうが生き残りやすいからだ。

p310
ほぼ見込のない(可能性ゼロに近い)ことのほうが感情(的な反応)は強くなる。
※役満とか?
そうなると、リスクの見方がふだんと逆になる。つまり、勝つ可能性がほとんどないときにリスクを負い、負ける可能性がほとんどないときにリスクを避けようとする。だからこそ人は宝くじも買うしほけんにも加入する。
「可能性を考え始めると、人は考えすぎてしまう」ダニエルは言う。「娘の帰りが遅くなると気になって、心配する必要などほとんどなくても頭がいっぱいになってしまう」。そうした心配を追い払うために、人は必要以上の金も支払うのだ。

p323
リチャード・セイラーはやめずにリストをつくり始めた。それは、人間は合理的だからそんなことはしないと経済学者が主張しているにもかかわらず、一般は人がふつうにしている不合理なことを集めたリストだ。そのトップにあげられたのは、不治の病に感染する千分の一の可能性を受け入れるには、やはり感染する確率が千分の一の状態で、同じ病気の治療薬に支払う額の百倍の金額を求めるということだった。
※人は死なないと思っているから。仏教でいう倒見。

p326
もし人が系統的に間違いをするなら、その間違いを無視することはできない。少数の人の不合理な行動を、多くの人の合理的な行動で埋め合わせできないのだ。人が系統的な間違いをするなら、市場も系統的な間違いをしてもおかしくない。
セイラーは『バリュー理論(エイモス&ダニエル?)』の原稿を人に頼んで送ってもらった。彼はすぐにその論文の本質を見抜いた。心理学が詰まったトラックが経済学の内部の聖域に突っ込んで爆発するかもしれない。その理論は見事で、抗いがたいものがあった。
その後すぐに「プロスペクト理論」として知られるようになるその理論は、セイラーのリストにあるほとんどのものを、経済学者が理解できる言語で説明していた。彼のリストにはプロスペクト理論が扱っていない項目(セルフコントロールがその代表)もあったが、そんなことは問題ではなかった。その論文は経済学理論に一発で穴を空け、心理学が入り込めるスペースをつくった。
「その論文の魔法で、それができることがわかった。心理学を内包する数学。その論文は経済学者なら存在証明と呼ぶものだった。人間の本質のほとんどをとらえていた」

第一一章 終わりの始まり
p345
第四のヒューリスティックス「反現実的感情」
p348
一九七九年一月初め、ダニエルはエイモス宛てに『時事通信取り消し(アンドゥーイング)プロジェクト』の状況と題したメモを書いた。

p353 「エイモスと共同研究を行なう時期は終わった」
一九七九年四月、エイモスはミシガン大学で二つの講演をした。(略)特筆すべきはエイモスだけではなくダニエルも招待されたということだった。(略)
p354
「すばらしいアイデアだ。あんなにたくさんのアイデアがどこから生まれるんだ?」とクライド・クームスが尋ねた。するとエイモスがこう答えた。「ぼくはああいうことは、ダニエルと話していない」(略)
ダニエルが思ったのは「エイモスが遠慮を知っていれば」だった。(略)「わたしはエイモスに、そのとき起きていることに関心を持ってほしかったが、彼は興味を持たなかったし、持つべきだとも思っていなかった」とダニエルは言う。

p362 第一二章 最後の共同研究
彼らの研究は各方面からの攻撃に。反撃のために再度二人は組むが、ダニエルはその途中でエイモスと縁を切る決意を固める。二人の関係が終わった直後、エイモスは医師から余命半年と宣告される。
p362
一九八四年、エイモスがイスラエルを訪れているとき、彼にマッカーサー天才賞を授与するという電話がかかってきた。(略)そこでエイモスの功績として取り上げられたのは、ダニエルと共同で行なった研究だけだった。しかしそこにダニエルの名前はなかった。

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