20170921 将軍の料理番 小早川涼

p193
明暦三年(一六五七)、江戸城本丸を焼け落ちさせた振り袖火事では、十万人を超す死者が出て、江戸市中の大半が燃えた。
明和九年(一七七二)の大火では死者は一万五千近く、行方不明者が四千人。
大名火消しができ、町火消しができ、その町火消しに竜吐水などの火消し道具が行き渡って、江戸の火事の被害はずいぶんましになった。(略)明和の火事は付け火が原因だった。このときの下手人は、火元となった目黒行人坂の大円寺を破門になった真秀という名の坊主で、当時の火付盗賊改だった長谷川平蔵に捕らえられている。
p200

葛飾北斎といえば、江戸市中にとどまらず諸藩にも名を轟かせる人気の浮世絵師である。曲亭馬琴の著作『椿説弓張月』が売れたのも北斎の挿絵があってこそと、もっぱらの評判だ。(略)
「この葛飾北斎を師とも慕っておる若手の絵師に、歌川広重というのがおるのです。弱冠、二十五歳かそこらながら、なかなか才のある者でして。(略)本名を安藤重右衛門というて、昨日からの噂で火付けの嫌疑をかけられておる定火消同心なのです」

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くらやみ坂の料理番 学研M文庫
p232
水野和泉守は、松平定信に心酔している。
文化九年(一八一二)白河楽翁(松平定信)は家督を嫡男に譲って〈浴恩園〉に隠居したが、白河藩の実権はまだ翁が握っているとも聞く。

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