20170825 ハイデガー『存在と時間』入門 轟孝夫

p5
『存在と時間』は一九二七年四月、ハイデガーが三七歳のときに出版された。
弟子ハンス・ゲオルク・ガダマー
ハンナ・アーレント
ジャン=ポール・サルトル
モーリス・メルロ=ポンティ
エマニュエル・レヴィナス
ミシェル・フーコー
ジャック・デリダ
ジル・ドゥルーズ

序論p25
p35
ハイデガーの「存在の意味は時間である」というテーゼは、こうした「現前性」としての存在了解の可能性があることを示唆している。
※時間に縛られない「存在」があるかもしれない。ハイデガーはそう言っているのか? 宗教またはオカルトだね。永遠の存在がある、と?

p36
まさにこの(※時間に縛られない)「存在」が、「存在と時間」という観点から、(※西洋哲学全般の)伝統的存在論における現前性としての存在とは異なった仕方で特徴づけられる。
※これがハイデガーの特徴。過去のすべての哲学に抜け落ちていた視点の提供、か。

p45
ハイデガーは南ドイツ出身のカトリック信徒として、もともと神学研究から出発。途中、哲学に転向。一九二〇年代になってもなおパウロ(一〇?~六七)やアウグスティヌス(三五四~四三〇)に即して宗教的経験の(※回心?)現象学的分析をしている。しかしその頃から、アリストテレスに没頭。アリストテレス人間学に立脚。表向きは宗教色を払拭した中立的な現存在分析をするようになった。

p47
『存在と時間』では、存在了解について
一、存在を単に現前性とする
二、将来と過去も含んだ重層的な現象とする
一が非本来性、二が本来性。

p49
仏教とよく似ている。
大乗仏教は、すべてのものが相互に依存しあっているという「空性(くうしょう)」を強調。他方でこう指摘する。人間は本性上、事物をそうした相互関係から切り離して実体と捉え、そのように実体とされた事物に執着する存在である。しかも仏教は、こうしたことの洞察が「悟り」という宗教的な覚醒(※キリスト教の回心に相等?)とされる。

p50
日本人とハイデガーの接触はきわめて早い。
一九二七年『存在と時間』の刊行前から
田辺元
九鬼周造
三木清(田辺元の弟子)
などがハイデガーのもとで学んでいた。
九鬼周造は帰国後、京都帝国大学の講義でいち早く紹介。「実存」という訳語は彼がそのとき「現実存在」という言葉を縮めて用いた。
和辻哲郎

p53
ハイデガーの師エトムント・フッサールの現象学
ディルタイ
ベルクソンなどの生の哲学
キルケゴール
ニーチェの実存哲学
プラトン
アリストテレスなどのギリシャ哲学
アウグスティヌス
ルターなどのキリスト教教義学
デカルト
カント
ヘーゲルなどの近代哲学に対する言及が『存在と時間』には見られる。

第一章p75
p84
ハイデガーがアーレントと出会い、「不倫」関係を持ったのも、このマールブルク大学在任中の出来事である。
p84
ハイパーインフレ
一九二三年
ドイツを襲ったハイパーインフレでハイデガーのアリストテレス論は延期。
一九二四年
四月二十日、当時マールブルクに滞在し、ハイデガーのもとで学んでいた三木清は森(羽仁)五郎宛て書簡で「一昨日ハイデガー教授の話では、いよいよアリストテレスを出版するらしい。それで今学期はアウグスチヌスの講義はやめてアリストテレスを講義する」
p86

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