20170804 太陽よ、汝は動かず 第一部 アーミティジ

第一部 コペルニクス以前の天文学
1 序論
p3
一四七三年、コペルニクスはトルンの町で生まれた。トルンは古い地図にはドイツ名で載っているが、今ではポーランドに属している。
p4
コペルニクスが生きていた頃、誰もが地球は宇宙の中心にあって動かず、太陽をふくめて月や星や惑星はすべて地球の周りに円を描いてめぐっているものと信じていた。コペルニクスはそれをひっくり返した。彼は次のように主張した。
一、太陽はすべてのものの中心にあって動かない。
二、地球は一個の天体で、太陽の周りを一年に一度回転する。(公転)
三、惑星(*)も、それぞれの周期で太陽の周りを回転する。
四、地球は一日に一度回転する。(自転)
コペルニクスより遥か昔の思想家たちの一人か二人は、彼と同じ提案をしていた。その意味ではコペルニクスの貢献は、「発見」ではなく「選択」ともいえる。古代からの伝統である地球中心説は、一五四三年にコペルニクスが死んでから、ほぼ一世紀半過ぎてから太陽中心説に席を譲ることになる。

2 人類の冒険p6

3 天空の外観p10
p10
人類がはじめて自分たちをとりまく世界に注意を向け始めたとき、彼らは天空に見えるものから非常に強い印象を受けた。彼らは太陽や月や星の神を信じたことは不思議ではない。それから彼らはそれらの天体がどんな規則で動くのか、なぜそういう運動をするのかを考え始めた。

4 最初の天文学者p15
p16
天体の科学について最も早い痕跡は現在のイラクと呼ばれる地域に住んでいたバビロニア人じゃ。そこには紀元前三〇〇〇年の頃すでに文明が栄えた。
天空の観測は僧たちが行なった。彼らは大都市の寺院の近くに建てられた「ジグラット」と呼ばれる観測塔から空を眺めた。僧たちは主に新月を注意して観測した。それがはじめて西に現れるのが、次の月(month)の始まる標(しるし)だった。彼らはまた惑星たちの運動を、それらが他の惑星や明るい星の近くを通過する時刻に注意して観測した。彼らは彗星、つまり「髪の毛星」を見つけた。そのめったにない出現は単純な恐怖を人々に与えた。彼らはまた蝕(*)にも注意をはらった。
なぜ彼らは、天空に起こっている事柄を観測したのか? そうすることで「未来が予言できる」と信じていたからじゃ。
NHKで映像化もされた「守り人シリーズ(*)」にも〔星よみ〕として登場する人たちがいた。日蝕や彗星の出現は、戦争や飢饉や疫病が迫っていることを意味したかもしれない。王や市民たちに向かって何が起ころうとしているのか警告することは僧たちの義務だった。地上の出来事が天上のしるしで予言できる。この信念は、のちに「占星術」と呼ばれた。太陽、月、惑星などの天体があらゆる人間の運命に影響をおよぼすと信じられた。個人の全人生が、その人が生まれた瞬間に空にあった惑星たちの位置によって決まると信じられた。まあ、現代でも一部の人々はいまだに信じているようじゃな。
バビロニア人はなぜそう信じたのか、わかるかい? たとえば彼らは太陽が常に恒星天の中ほどをめぐっていることに気がついた。一本の帯のようにのびている細長いエリアの中に常に太陽はいたのさ。バビロニア人はこのエリアを十二等分し、一つ一つに星座をあてはめた。現代でもあるじゃろう? 獅子座とか乙女座とか。あれさ。あれは数千年前にバビロニア人が考えたのさ。ギリシャ人も彼らにならって、黄道十二宮と呼んだ。
さあ、では天体が何らかの力を持っていると人々が信じた理由を話そう。
※ここに蟹座で夏、山羊座で冬の話挿入。
(*)しょく。太陽や月が暗くなること。月が地球と太陽の間を通過したり、地球が月と太陽の間を通過したりするときに起こる。
(*)もりびとシリーズ。原作は上橋菜穂子。
5 ギリシャ人の登場p18
p18削除
p21削除

6 科学の始まりp21

7 サモスのピタゴラスp26
p27
なんだ、この世界? これは永遠の問いじゃ。紀元前六世紀にも、ギリシャ人の思想家たちがこの問題に取り組んだ。彼らはすべての物が同じ素材でできていると仮定した。そしてそれが何であるかを見つけようとした。ある者は、水だと言った。ある者は、空気だと言った。また別のある者は、火だと言った。
しかしまったく違ったギリシャ人がいた。彼は考えた。大切なことは、「何か」ではなく「どれだけか」だと考えた。数えて測ることが世界を理解するための手がかりになるのだ、と。その人の名はピタゴラス。紀元前六世紀にエーゲ海にあるサモス島で生まれたらしい。彼は若い頃エジプトや東方諸国を旅して学んだ。放浪の旅から帰ると、彼は南イタリアのクロトンで若者を集め宗教団体をつくった。本は書かず、口伝えで教えていた。彼の教えを漏らして報いに死んだ教団員の話が残っている。
どんなことを教えていたのか? ピタゴラスは糸を鳴らして出る音の実験を行なった。
※『コペルニクス革命』から引用。
この発見は、数学的な規則がこの世界においては重要なのだとピタゴラスに確信させた。彼は「数」こそが、すべての物をつくっている究極の物質だと考えたそうじゃ。
p29
ピタゴラスは地球が、宇宙空間に浮かぶ一つの球体であることを人類で最初に教えた。彼はさらに太陽や月の運動にも説明を与えた。五個の惑星の運動についても説明をしようとしたが、惑星の運動は複雑だったので、うまくいかなかった。
p30
重要なことは、ピタゴラスが「天体の複雑な運動は、たくさんの円運動の組み合わせである」という考え方を広めたことじゃ。一七世紀まで、二千年以上、ピタゴラスのこの考えは支持されていた。
紀元前五世紀末のフィロラオスというピタゴラスの後継者の一人は、宇宙の中心は、地球ではなくて一つの巨大な中心火であると考えた。そしてフィロラオスは、対地球という神秘な天体が、地球と中心火の間の軌道を回っている。
中心火は太陽ではない。したがってフィロラオスは太陽中心説ではない。しかし地球が他の惑星たちとともに宇宙の中心を回っていると考えた最初の人であるとは言える。
第4図フィロラオスの体系

8 哲学者p31
p31
ギリシャの哲学者たちは後になると人間がどのように考えたり行動すべきであるかに関心を寄せ始めた。これについて最も力のあった人物は、紀元前五世紀にアテネに住んでいたソクラテスじゃ。そして彼の弟子がプラトンさ。
p33
プラトンは現実はただの影で、天体やわれわれが身近に見る物は研究する値打ちがないと考えた。この態度によって、ヨーロッパでは約二千年にわたって実験や観測が軽視された。前にも書いたが、アウグスチヌスとプラトンのせいじゃな。
プラトンはピタゴラスの中心火の考えを無視した。プラトンは宇宙を地球中心の広大な球として、地球の周りを太陽や月や惑星たちが円運動している、と考えた。ただしプラトンは惑星たちには円運動が当てはまらないことを知っていた。

9 アリストテレスp34
プラトンの有名な弟子がアリストテレス(前三八四~三二二)じゃ。彼の父はマケドニアの宮廷医だった。彼自身は後にアレクサンダー大王となった王子の家庭教師だった。彼はアテネでプラトンに学び、やがてアリストテレスは自分も教師となってアテネに住んだ。
p35
アリストテレスの宇宙は十七世紀にいたるまで広く受け入れられた。それはコペルニクスが戦わなければならなかった相手じゃ。なので少々説明しておこう。
アリストテレスは、宇宙を有限の球とした。宇宙の中心は地球の大地(土)で、その外側は水の層、その外側は空気の層、その外側は月までも広がっている火の層だった。その外側には太陽や月や惑星たちを運動させているそれぞれの球があった。一番外側の球には、星が銀の飾りボタンのように作りつけられていた。まあロシアのマトリョーシカみたいなもんじゃ。星の球の中に、土星の球があり、その中に木星の球があり、その中に火星の球があり、その中に…と続き、最後は地球の大地じゃ。
但し、月の球の内側と外側では全然ちがう。その内側ではすべてのものは土、水、風(空気)、火の四元素からできていた。これらは絶えずほかの元素に変化するものとされた。ゆえにわれわれは、変化と崩壊の世界に住んでいる。ところが月の外側の世界は、第五の元素エーテル(*)でできている。エーテルは運動すること以外にはどんな変化もしない。
四元素の下等な地上世界と清らかな天界。これはヨーロッパ人の心の中にきわめて固く持ちつづけられ、十九世紀にいたるまで完全には捨てられなかった。
(*)現代において化学者や医者が用いるエーテルや、電波が伝わると想定された媒質とは混同せぬこと。
p36
アリストテレスは四元素のついてこう言う。
一、土と水は下に向かう。
二、風(空気)と火は上に向かう。
より上等な元素エーテルについてはこう言う。
三、直線に沿って運動するよりも、ぐるぐると円を描く円運動の方がはるかに上等な運動である。なぜなら、直線運動は宇宙の境界やその自然な静止点まできたときに停まらねばならない。しかし円運動をする物体(たとえば太陽や月などの天体)は永遠に運動できる。ゆえに、円運動はエーテルに属する。
現代のわれわれにしてみれば、全然納得できない。それはわれわれが学校教育を受けたからじゃ。アリストテレスのこよ理屈は二千年間ずっと信じられてきた。

10 ギリシャ天文学p37
p38
ピタゴラスは、アリストテレスとは違う意見だったな。さっき話したように「大地(地球)は空間に浮かぶ一個の球体である」といった。十六世紀の初めにマゼランの船が世界一周するまで、ピタゴラスが正しかったことは証明されなかった。
アリストテレスが死んだころから、ギリシャの学問の中心は、アレクサンダー大王がエジプトの地中海沿岸に建設されたアレクサンドリア市に移った。
p39
ギリシャ人は、天空がガラスのような物質でできた球で、それに星々が銀のボタンのように固定されているのだと人々の頭に刻みつけた。ギリシャ人は、月は太陽の光で輝くこと、月食は地球が月と太陽の中間にきたときであること、そのほか多くのことを学び知った。
しかしギリシャの天文学者たちの問題は「惑星運動」だった。
ギリシャ惑星論は次のように発展した。ただしこの場合の惑星は、太陽と月もふくむぞ。
一、惑星は地球の周りを円運動する。
第5図 最も簡単な惑星論
この仮定は太陽について観測された運動とはよく合う。
月の運動についてはあまりよく合わない。
他の惑星たちの運動とはまったく合わない。
これはピタゴラスの理論だったな。それはプラトンによって取り上げられ、さらにアリストテレスが採用した。
二、惑星の円軌道の中心は地球から少し外れている(離心円)
第6図 離心円
離心円と呼ばれたもので、太陽の見かけの運動を表すにはきわめて効果的だった。
三、周天円と誘導円
第7図 周天円と誘導円
これについては図を見てもらうだけにしておこう。
p42
実は金星と水星の性質を研究した紀元前四世紀のヘラクレイデス(前三九〇?~三一〇?)は中心にあって動かないのは太陽で、その周りを地球や惑星たちが回っているかもしれないと考えた。
p43
さらに紀元前三世紀に、ピタゴラスと同じサモス島出身のアリスタルコス(前三一〇?~二三〇?)はそれをさらに進めた。彼は「古代のコペルニクス」と呼ばれている。
しかし地球が動くという考え方は、アリストテレスの学問で教育された人々には合わなかった。アリスタルコスの太陽中心の惑星論は、千八百年の後にコペルニクスが現れるまで問題にされなかった。
p43
地球中心の惑星論は、ロドスのヒッパルコス(紀元前二世紀。前一九〇?~一二五?)とアレクサンドリアのプトレマイオス(紀元後二世紀。年代不詳)の手できわめて詳しく仕上げられた。それは、惑星たちの位置が予言できるような星表の基礎となった。ギリシャ天文学のすべてはプトレマイオスの有名な『アルマゲスト(*)』と呼ばれる本に残されている。
(*)「集成」の意味。

11 間の幾世紀p45
p45
プトレマイオスが住んでいたアレキサンドリアは、当時、ローマ帝国の一部じゃった。四世紀の初め、ローマ帝国はキリスト教の国になった。
四世紀の終わりからゲルマン人がローマ帝国に流れ込み、彼らはキリスト教徒となった。これから暗黒時代と呼ばれる時期に入る。この時期、ある人々は地球が球形であることを否定さえした。南半球の人はこぼれ落ちるという理由じゃ。その後、プラトンの本が発見され、ヨーロッパ人に宇宙の姿をイメージさせた。それは十六世紀の終わりまで大きく変わることはなかった。コペルニクスの時代じゃな。
ヨーロッパ人は宇宙は閉じた空間であり、一つの球と考えた。それはあまり遠くない過去に神の手で創られたもので、全自然界は人間のために存在する。またそれはあまり遠くない未来に破滅することを運命づけられている。地球は宇宙の中心であり、大地の内部には地獄があった。前に話したダンテの『神曲』を思い出しておくれ。宇宙の外側は、神と聖者が住む天界だった。天を運行する星たちは、地上の出来事を支配したり、影響を与えたりすると信じられていた。
p47
この暗黒時代の間に、七世紀にムハンマド()によって建設された新王国(イスラム帝国)が成長した。アラビア人たちは各地を征服した。東はインドから、西はエジプトや北アフリカを経て現在のスペインにまでも進んだ。アラビア人たちはやがて定住して、自分たちがアラビア語に翻訳した古代世界の本を学び始めた。その中には、プトレマイオスの『アルマゲスト』やアリストテレスの本が含まれていた。
p48
スペインにはキリスト教徒とイスラム教徒の境界があった。またシチリア島にももう一つの境界があった。西暦一〇〇〇年頃から以後、古代の学問はイスラム教徒からキリスト教徒へと流れた。ときには命の危険を冒して貴重な本を手に入れたフランスやイギリスの学者たちの多くのスリルに満ちた物語が残っている。それは長くなるので省くよ。
このようにして十二世紀、ヨーロッパのキリスト教徒の学者たちはプトレマイオスの『アルマゲスト』とアリストテレスの本を手に入れた。アリストテレスの論理学は今でも素晴らしいものじゃ。しかし彼の物理学や天文学は絶望的なまでに間違っている。当時のヨーロッパ人はそれがわからなかった。ちなみにアリストテレスの論理学を使って教会や大学において、スコラ哲学がつくられた。前にトマス・アクイナス(*)のときに話したからこれも詳しいことは省くよ。

12 コペルニクスの時代
p54
十六世紀初め頃のヨーロッパの様子を見てみよう。コペルニクスが生きた時代じゃな。少し前の時代まで、ヨーロッパは小さな国のかたまりだった。そして海外貿易によって大きくなった商業都市があった。農民たちは金もうけのために商業都市へ行きたがったが、貴族たちは許さなかった。これは現代のどこかの国と似ておるな。貴族たちは自分たち同士で、あるいは金持ちの商業都市に対して戦争を行なった。商業都市たちは身を守るために互いに同盟を組んだ。このような同盟で、最も古く、最も広かったのは、北部ヨーロッパの八つの都市が組んだ「ハンザ同盟」じゃ。コペルニクスもこれらの都市のいくつかとは深い関係があったんじゃ。
少し前からヨーロッパでは、貴族たちと商人たちが分裂していったが、ローマ教会はキリスト教国の全部をまとめたスーパー国家をつくっていた。それは以前から教皇と枢機卿たちによって支配されていた。教皇や枢機卿には司教がなる。司教は管区を持つ。管区とは彼の国だと思えばよい。ちなみに管区をさらに細かく分けたものを教区といい、教区を治める者を司祭という。まあざっくりと言えばそんな感じじゃ。ヨーロッパのどの国でも聖職者は一般の住民が守らなければならなかったルールを免ぜられていた。教会は教育を支配していた。誰でも教会が認めないことは教えることができなかった。それをやって殺された者もいた。これは前にジョン・ウィクリフやヤン・フスのときに話したから省くよ。教会はまた個人の冠婚葬祭を支配していた。教会はだんだん腐ってきた。お金と引き換えに罪を許すという「免罪符」を販売しはじめた。これも前に話したな。司祭たちは自分勝手で怠け者で無知だった。教皇たちは時にはひどく邪悪な生活を送った。その時代の戦争に、気の向くままにあちらについたりこちらについたりした。
p52
コペルニクスの時代になって、こうした状態は壊れかけていた。ヨーロッパのほぼ現在の大きな国家にまとまりつつあった。労働者の移動も少しずつ自由になり、小さな内戦もなくなってきた。
まるで現代のイギリスEU離脱のように、この頃、イングランド(まあイギリス)や北部ヨーロッパは、ローマ教会から離脱した。狙いは三つ。
一、お金がローマに流れるのを防ぎ、自分たちが儲ける。(経済)
二、自分の国の司祭たちにも法律を守らせる。そのことにより統一を強化する。(政治)
三、新約聖書の教えに帰る。(文化)
ルネサンスや宗教改革と呼ばれたこの運動は、中世を近代に変換した。
一四五三年、コペルニクスが生まれる少し前、イスラム教徒のオスマントルコ帝国はコンスタンティノープルを占領し、東ローマ帝国は滅びた。ギリシャの学者たちは古代の学問の本を持ってイタリアに逃げ込んだ。だからイタリアはルネサンスの中心になったのじゃ。それはコペルニクスがイタリアに十年間滞在していた間に、彼に強い影響を与えた。ちなみに一四九二年、コロンブスがアメリカを発見したとき、コペルニクスは十九歳じゃ。

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第二部 人と業績
13 家系と出生
14 少年時代
p62
15 クラカウ
p64
p68
p71
16 ボロニアおよびローマ
p72
p73
p74
p75
p76
p77
p78
17 パドヴァとフェラーラ
p79
p80
p81
p82
p84
p85
18 ハイルスベルク城
p86
p87
p88
p89
p90
p91
12 人文主義者コペルニクス
p92
p93
20 フラウエンブルクとアレンスタイン
p95
p96
p97
21 観測家としてのコペルニクス
p98
p99
p100
p102
p103
22 改暦
p104
p105
p106
23 戦争
p106
p107
p108
p109
24 通貨の病気
p110
p111
p112
p113
25 晩年
p115
p116
p117
p118
p119
p120
26 医者としてのコペルニクス
p121
p122
p123
p124
p125
p126
p127
28 不滅への門出
p128
p129
p130
p131
29 「回転論」
p132
p133
p134
p135
30 序文
p136
p137
p138
p139
p140
p141
31 地球の運動
p143
p144
p145
p146
p148
32 宇宙の大きさ
p149
p150
p151
p152
p153
33 人間コペルニクス
p155
p156
p158
第三部 コペルニクス説の勝利
34 最初の反作用
p160
p161
p163
35 イギリスにおけるコペルニクス説
p164
p165
p166
p167
36 境界のない宇宙
p169
p170
p171
37 新星と大観測家
p172
p173
p175
p177
38 遊星はどんな運動をするか
p178
p180
p181
39 新しい力学
p183
p185
40 証人台に立った望遠鏡
p188
41 挑戦
p190

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