20170811 コペルニクス革命 四章

第四章 伝統の改鋳 アリストテレスからコペルニクス革命へ p153
一三世紀までのヨーロッパの科学と学問p153
p156
プトレマイオスの本のタイトルとして知られる「アルマゲスト」は、ギリシャ語ではない。九世紀のイスラム教の翻訳者がつけたアラビア語じゃ。ヨーロッパ人が古代の知識をイスラム世界のなかに再発見するのは、一〇世紀に始まった。そして一二世紀ルネサンスで最高潮に達する。一一世紀後半には、アラビア語からギリシャ語に新しく翻訳された古代の本についての講義を聴くために、何人かの教師のもとにはヨーロッパ各地から学生が非公式に集まってきた。一二および一三世紀には、これらの集団は公式に大学となった。
p157
ヨーロッパ人が広く利用した最初の天文表は一一世紀にトレド(*現スペインの都市)から持ち込まれたもの。プトレマイオスの『アルマゲスト』やアリストテレスの天文学や物理学の本のほとんどは、一二世紀にラテン語に訳された。コペルニクスはそれらを一五世紀の末に大学で学んだ。
p160
古代天文学の宇宙論は、アリストテレスを頂点とするギリシャが生み出した。アレクサンダーのギリシャ征服後にヘレニズム文明が現れた。ヘレニズム文明に属するヒッパルコスやプトレマイオスの天文学は、アリストテレスの死後二世紀ちょっとで最盛期を迎えた。
天文学と教会p162
p163
カトリック教会は中世とルネサンスの時期、ヨーロッパの知識を支配していた。当時の学者は教会の聖職者で、大学は教会の付属だった。
p164
初期の教父の大物アウグスティヌス(*巻で登場)はこう書いている。
「宗教についてわれわれが信じていることは何か、と問われた場合、ギリシャ人の学者のように、事物の本性を探るということは必要ない。(略)キリスト教徒にとっては、その存在が神に由来しないものはひとつとしてない、と信じるだけで十分である。」
アウグスティヌスが、ヨーロッパ人が知ることを止めた犯人じゃな。
p167
しかし一二世紀には「事物の本性」(天も地も含めてじゃ)が再び熱心に研究されるようになった。
p168
新しいキリスト教あるいはヨーロッパの宇宙は、圧倒的にアリストテレスのそれだった。
アリストテレスの学問をまとめるのに多大な貢献をした聖トマス・アクイナス(一二二五~七四 *巻で登場)じゃ。これは前に話したのう。
p170
ところで、トマス・アクイナスの『神学大全(しんがくたいぜん)』には次のように書かれている。
*
天に上っていくというのはキリストにふさわしくないことに思える。すなわちアリストテレスは『天体論』の第二巻で、「最も良い状態にあるものは、何も行為をしなくてもよい」と述べている。ところでキリストは最も良い状態にある。したがってキリストは何も行為をしなくてもよい。しかし昇天は運動である。したがって昇天はキリストにふさわしくない。
*
p171
昇天はキリスト教史の中でいろいろな問題を起こした唯一のもの。一番すぐれた神学者と言われるアクイナスの『神学大全(しんがくたいぜん)』はキリスト教徒の知識の集大成であり、一二巻におよぶ膨大なものだが、その中には、いたるところにアリストテレスの名前が現れる。多くのこのような本を通じて古代の、とくにアリストテレスの学問は西洋思想の基本として復活した。

p172
一三世紀のアクイナスは、キリスト教と古代ギリシャの知識とは両立可能だとハッキリ言っていた。彼らはアリストテレスを正統だとした。
アクイナスが亡くなる頃生まれたダンテ(一二六五~一三二一)の叙事詩『神曲』は、一四世紀のキリスト教徒が考えていた宇宙を詩人が旅する物語じゃ。
旅の出発地点は丸い地球の表面。そこから地球の奥へ。地獄の九つの環を通っていく。なぜ九つかって? 天球が九つ(*地球、月、水星、金星、太陽、火星、木星、土星、恒星)あるから合わせたんじゃろうなあ。到達する所が宇宙の中心、悪魔やその軍隊の住み家。次に地上から天へと伸びる煉獄。最後に九つの天の領域。そしてついにダンテは最高天にある神のいる場所に。
このように『神曲』は、文字通り、アリストテレスの宇宙に、キリスト教の神をくっつけたものじゃ。

スコラ哲学とアリストテレス批判p176
p177
コペルニクスの前兆として、一四世紀のニコラス・オレーム(一三二三~八二。シャルル五世の側近 巻で登場)がいる。アリストテレスの『天体論』についてのオレームは批判的じゃ。特に地球の特殊性について。例を挙げよう。
p178
アリストテレスは言う。宇宙に地球が二つあれば、それはともに宇宙の中心に落ちてゆき、そして合体するだろう。オレームは言う。この論証は無効である。なぜならば…というように詳しいことは省くが、オレームはアリストテレスに対して無効宣言しているのじゃ。そしてオレームが他の並みの学者と違っていたのは代わりの命題を示したことじゃ。それらは一六および一七世紀の新しい宇宙論(地球は唯一でもなければ宇宙の中心に位置するわけでもない)にとって必要なものだった。オレームは、アリストテレスの地球の特殊性に対して異議申し立てをしたのじゃ。これは、コペルニクス、ガリレオ、デカルトそしてニュートラルにも共通している。
p178
オレームは地球の回転を信じていない、少なくとも自分は信じていないと言っている。しかし彼はこうも言う。
「地球が静止しているか、回転しているかは、信仰に基づいて選ぶべきだ」
まあ、つまり、今の段階ではどちらとも言えない。…と、オレームは言っている。当時はキリスト教がキツかったから、こんな言い方になったんじゃろうがな。彼はまたこう言っている。
「なめらかに動いているボート上の人が、自分が乗っているボートAと同じように動く第二のボートBしか見えないとする。ならば、彼にはどちらのボートも動いていないように見えるだろう」
p180
これは、コペルニクスやガリレオの本のなかで大きな役割を果たした「相対論」と言うべき主張じゃ。さらにオレームは言う。
「東へ動いている船に乗っている人が、手を下の方に伸ばしたとする。そのとき彼の手は船のマストに対して平行な直線を描く。ならば、彼には、自分の手は垂直運動をした、としか見えないだろう」
コペルニクスを支持したガリレオの有名な『天文対話』はこんな論証でいっぱいじゃ。
p182
熱狂的に迎えられたアリストテレスが徐々に捨てられていく。最も重要なのは、落体につちて。
ここで「インペトゥス理論」について。(*)インペトゥス理論
インペトゥスとはある種の勢い。投射体の運動を説明するための理論。
この理論が最初に提唱されたのは、神がどうやって天を回転させ始めたのかを説明するため。すなわちインペトゥス理論イコール創造論にもなる。
p183
アリストテレスの物理学の弱点は何か? ひとつは投射体の運動にたいする(ひどい)説明じゃ。インペトゥス理論は、その上に築かれた。アリストテレスは言う。
「石は外から力が与えられないかぎり、静止したままかあるいは地球の中心に向かう直線運動を続ける」
これは大多数の現象にたいする説明としては自然なものだった。しかし投射物体(石や矢など、投げられた物)の運動とは一致しない。投げる、という力が与えられたのに地球の中心に向かわない。アリストテレスは次のように言い訳している。
「投射物体が投射器から離れた後もその運動を継続させる力の源泉は何か? それは、投射物体によって乱された空気である」
まあ、これ以上は言うまい。アリストテレスほどの人が本気でこう思っていたはずはない。偉そうに言うが…苦しかったろうよ。
p184
この議論が解決され、アリストテレスの修正がされたのは一四世紀のこと。
p184
解決したのはオレームの師ジャン・ビュリダンの本『自然学八巻の問題集』(スコラ哲学的科学書の典型的なタイトル)。彼はこう言う。
p186
「投射器は、投射物体を動かす際に、それにある種の〔勢い(インペトゥス)〕あるいは動力を込めている。その〔勢い〕は、投射器が押す方向に投射物体を動かす。
しかし、空気の抵抗のため、また投射物体の重さのため、この〔勢い〕はたえず弱まる。
それゆえ、投射物体の運動はたえず遅くなってゆき、ついに〔勢い〕は消滅して、投射物体の重さがこれに勝ち、投射物体をそのあるべき場所に降下させる」
まるで今の高校の物理の教科書じゃな。
一四世紀の終わりまでにはインペトゥス力学が、アリストテレスの動力学に取って代わった。これは長く続いた。インペトゥス力学は、コペルニクスが学んだパドヴァ大学で教えられていたし、ガリレオはピサで彼の師ボナミコから学んだ。二人ともその理論を使った。インペトゥス理論は「コペルニクス革命」において本質的役割を演じた。

p187
師ビュリダンと同じようにオレームもインペトゥス理論を信じていた。この理論は「地上の物体を後方へ飛ばさずに地球は回転できる」ということ。
p188
ビュリダンの本ではじめて「天と地球が同じ法則に支配されている」という可能性が示された。アリストテレスにおいては、天と地球と法則は異なるとされていた。弟子のオレームはそれをさらに発展させた。彼は言った。
「神が世界を創ったとき、神はそれらに運動のある種の質と力を込めた。それは、神が地上の物に重さを込めたのと同じである。それは、人が時計を作り、それが自動で動くようにしているのと全く同じである」
これで、アリストテレスの月上界(天)と月下界(地球)の二分法は破壊された。
p189
一、地球の運動の可能性
二、天と地球の法則の統合(一部)
この二つが、「インペトゥス理論」から「コペルニクス革命」への貢献だった。
一六世紀にコペルニクスが残したものは、地球(惑星)の運動の数学的描写だけ。彼自身がこう言っている。
「惑星が運動を行う〔理由〕はうまく説明できない」
つまり、はじめ彼の天文学は数学にはなっていたが、物理にはなってなかった。もっと簡単に言えば〔どのように〕は説明できたが、〔なぜ〕は説明できなかった。それは一七世紀のニュートンを待たねばならん。

コペルニクスの時代の天文学p191
p193
コペルニクスと同世代のヨーロッパ人にとっては、惑星の天文学は新しい分野だった。
彼が生きていたのは中世ではなかった。彼の生涯(一四七三~一五四三)はルネサンスおよび宗教改革の全盛期の数十年と重なっている。また、封建的君主制に代わる国家体制をつくろうとして、王制に反対する人々によって生み出された動乱の時代だった。さらに、そんなヨーロッパを、再びイスラム教徒が併合しそうな危険もあった時代じゃ。
新しい上流階級である商人たちが教会や地主といった古くからの上流階級のライバルとなり始めた。ルターやカルヴィンはカトリックに対する反乱を指導して、はじめて成功させた。
p194
ルネサンスは航海と探検の時代だった。コペルニクスが生まれる五年前に、ポルトガル人によるアフリカ沿岸の航海が始められており、それがヨーロッパ人の欲望と想像力を刺激した。
航海の成功のためには天文学の知識が必要だった。初期のポルトガルの指導者航海王ヘンリー(エンリケ航海王子)は、ヨーロッパで一番古い天文台のひとつを作った。
コペルニクスが一九歳のときのコロンブスのアメリカ大陸の発見は初期の頂点であり、新しい探検の始まりとなった。
この過程で人々は、古代の地球に関する知識がめちゃくちゃに間違っていることを知らされた。とくにプトレマイオスじゃ。プトレマイオスは古代最高の天文学者であり、占星術師であり、地理学者でもあったからのう。

*後日移動場所検討20180810
この激動の時代、コペルニクス革命は最初は全然「革命」とは見なされなかった。

p195
暦改革の運動を忘れてはいかんな。暦の研究は、当時の計算技術が不十分だと天文学者たちに示していた。ユリウス暦の積み重なった誤りはもっと前から知られていた。暦改革の案は三百年前の一三世紀からあったが、現実的になるのはコペルニクスの生きた時代である一六世紀になってからだった。一六世紀のはじめに、コペルニクスは暦改革についてローマ教会から意見を求められた。コペルニクスは言った。
「改革は延期すべきだ。第一に、数学者たちは太陽と月の運動について全く確かでない。したがって彼らは一年の長さを導き出すことも観測することもできない。暦改革には天文学の改革が必要だ」
コペルニクスは彼の本『回転について』の序文の最後で、彼の新しい理論は新しい暦を可能にするかもしれない、と言っている。事実、一五八二年にはじめて採用されたグレゴリウス暦は、コペルニクスの研究に基づいたものだった。この暦は現代も使われている。あなたが「今日は○月○日だな」と言うとき、そのルーツはコペルニクスじゃ。
p197
ルネサンスのひとつに人文主義(ヒューマニズム)がある。科学運動ではなかった。しばしばアリストテレス、スコラ哲学者、大学と対立した。彼らのよりどころは再発見された文学の古典。彼らは科学には反対。ペトラルカはアウグスティヌスを思い出させるこんなことを言っている。
「動物、鳥、魚そして爬虫類の本性をよく知ることにどんな利益があるのか。それはわれわれの幸福な生活のどんな助けにもならない。またわれわれは、人類の本性について何も知らないし、われわれがどこからきたのか、あるいはどこへ行くのか、も知らない」。
p198
人文学者は科学を止められなかった。人文主義者の特徴は、超俗性。それは、コペルニクス、ガリレオそしてケプラーのようなルネサンスの学者に、反アリストテレスの考えを持たせた。次の二つだ。
一、自然界に単純な数学的および幾何学的な規則性を発見する。
二、太陽を宇宙のすべての生命力の源泉として捉える。
人文主義者の超俗性はある人物の哲学に由来する。それはアウグスティヌスたちに大きな影響を与えていたが、一二世紀にアリストテレスが復活したことにより、一時的に影が薄くなっていた。その人物が誰かわかるかい? そう、プラトンじゃ。
p199
プラトンはしばしばこの世の物事を、時間と空間を超えて存在する永遠世界の不完全な影にすぎない、と片づけている。新プラトン主義者も、超越的な実在しか認めなかった。新プラトン主義者は、堕落しやすいこの世界から、純粋精神の永遠世界へとジャンプする。どうしてそんなジャンプができるのか? なんと、数学によって、じゃ。
新プラトン主義者にとって数学は、不完全なこの世界のなかに永遠の実在を例証する。幾何学の三角形や円はイデア(形相。理想の永遠実在)の原型だった。それらはこの世界のどこにも存在しない。精神をのぞいては。
…なんちゅうかのう…。「精神」はどこにあるとプラトンは思っていたのかのう? いまの科学なら前頭前野(ぜんとうぜんや。大脳の一部)と答えるじゃろうな。
ピタゴラスもまたこの世界は、数学的に構成された世界の影である、と言った。彼らは長さの比が一、四分の三、三分の二、二分の一となっている弦は和音を作り出すことを発見。新プラトン主義の数学的傾向はピタゴラスに起因するとも言われる。

p200
プラトンは、イデアを探し求めるためのトレーニングあるいは修行として数学が必要だと強く言っている。彼の学校アカデメイアの扉には、こう書かれていた。「幾何学を知らぬ者、入るべからず」。新プラトン主義者は、さらに突っ込んでいった。彼らは数学のなかに神と宇宙の鍵を見つけた。五世紀の新プラトン主義者プロクロスはこう言う。
「見かけの図形に先立つのは生きている図形。和音に先立つのは理想的な調和の比。円運動をする物体に先立つのは不可視の球。これらは永遠に知的に存在する。プラトンは、数学的イデア(形相)から精神の起源を導いた。〔存在するすべてのとのの原因〕を精神のなかに見つけた。」
p201
新プラトン主義は、コペルニクスの偉大な後継者ケプラーにいっそう強く現れている。単純な数の関係をさがすことがケプラーの本の大部分を貫く。
p202
〔存在するすべてのものの原因〕、すなわち新プラトン主義の神は自己をコピーする生殖能力を持つ。その大きな力は、神から生まれ出るイデア(形相)の多様性によって示されている。この多産の神は太陽によって象徴されていた。一五世紀の人文主義者でフィレンツェの新プラトン主義の中心人物マルシリオ・フィチノは、『太陽について』でこう言う。
「神の本性を、太陽の光以上に表しているものはない。」
p203
プロクロスと同じくフィチノも、科学から遠い。フィチノは、太陽は一番最初に天の中心に創り出された、と書いている。これはプトレマイオスとは両立しない。新プラトン主義がもたらしたこの状況は、コペルニクスが太陽中心の新しい宇宙を考え出すのに役立った。
p204
コペルニクスのよりどころは新プラトン主義。
「中央に太陽が静止している。ある人は宇宙の瞳と呼んだ。ある人は宇宙の心と呼んだ。ある人は宇宙の支配者と呼んだ。トリスメギストスは、すべてを見るもの、と呼んだ。ソフォクレスのエレクトラは、すべてを見るもの、と呼んだ。」
p206
新プラトン主義者にとってアリストテレスの宇宙の有限性は、神の無限性と矛盾。ルネサンスになって、神の無限の創造力が再び強調されたことは、コペルニクスを生み出したとも言える。それは一七世紀にニュートンの無限空間につながる。

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