20170810 コペルニクス革命 ~三章p151

p13 第一章 古代における二つの球の宇宙
p13
■一五四三年
ニコラス・コペルニクスはそれまで地球は動かないとされていたが、太陽が動かないとすることによって、天体の動きをより「正確」に、より「単純」にしようと提案した。一世紀後には、少なくとも天文学においては、太陽は地球に代わって惑星運動の中心になり、地球はその唯一無二という天文学上の地位を失って、運動する惑星の一員となった。
p14
コペルニクスの惑星理論と太陽中心の宇宙観は、中世から近代西洋社会への時代の流れの中で力を持った。なぜなら彼の考えは、「人間と宇宙および神」との関係に影響を与えたからじゃ。
素朴な宇宙論における天p19
太陽の見かけの運動p24
恒星p30
運動する星としての太陽p39
科学的宇宙論の誕生 二つの球の宇宙p46
p51
『ティマイオス(プラトン)』
造物主(神)は次のように考えた。まず第一に、宇宙はできるだけ完全で、完全な諸部分から成る生きものでなければならず、しかも、ただひとつでなければならない。他にもそれに似たものを生み出すだけのものが残っていてはいけない。さらにまた年老いたり病気になったりしてはいけない。(略)そこで造物主は、中心からあらゆる方向において等しい距離をもつ球体を作りあげた。それはあらゆる形のなかで最も完全で、自己が自己に完全に似たものであった。(は?)なぜなら造物主は、似ているものは似ていないものよりも千倍も美しいと考えたから。

二つの球の宇宙における太陽p57
概念図式の機能p60
p68
惑星としての地球…コペルニクスの宇宙
特別な中心としての地球…二つの球の宇宙(地球(内球)と天球(外球))
(略)
二つの球の宇宙は、コペルニクスの宇宙の生みの親。
古代における二つの球の宇宙の競争相手p69

p74 第二章 惑星の問題
惑星の見かけの運動p74
p74
太陽と恒星だけが肉眼で見える天体物体なら、私たちは今でも二つの球の宇宙という考えを信じていただろう。
実際コペルニクスの死後半世紀以上たって望遠鏡が発明されるまで人々はそれを信じていた。
惑星が「コペルニクス革命」の原因。

p79
内惑星(水星、金星)はどちらも、明けの明星として現れているものと宵の明星として現れているものが同一の惑星だとは考えられていなかった。
何千年もの間、金星は夜明け直前に東に出ているときと、それから数週間後、日没直後に西の地平線の少し上に再び見えるようになったときとで、それぞれ別の名前を持っていた。

p81
なにゆえ惑星は逆行するのか。これはプラトンからコペルニクスまで二千年間の問題。

惑星の位置p82
同心球の理論p88
周天円と導円p94 ※詳しくは述べない
プトレマイオスの天文学p101

p109
これまで述べてきた数学的工夫はすべてが一気に、すなわちプトレマイオス一人によって開発されたものではない。(*)
(*)アポロニオスは主周天円や離心円、ヒッパルコスは副周天円など。プトレマイオス自身はエカントという工夫を付け加えた。
p110
しかしプトレマイオスの貢献は大きかった。著書に『アルマゲスト』。古代天文学の集大成。
p111
コペルニクスは二つの球の宇宙を攻撃はしなかった。究極的には打ち倒したが。コペルニクスが攻撃し、天文学革命の出発点となったのは、エカントのような、いくつかの明らかにどうでもいいような数学的末梢に対してだった。

科学的確信の解剖学p111
p112
プトレマイオスのさまざまな工夫(*)は、理論と観測の正確な一致にはたどり着いていない。
(*)導円、周天円、エカントなど。
コペルニクスはこの問題に取り組んだ。

p118 第三章 アリストテレスにおける二つの球の宇宙
アリストテレスの宇宙p118
p120
プラトンの宇宙と同じように、アリストテレスの宇宙もその外側には何物の存在も許さない。しかしアリストテレスは宇宙の内側については「階層」としてプラトンよりはるかに詳しく述べている。
内側にはエーテルという元素がつまっており、同心球の殻となり巨大な中空の球をつくっている。
球の外側の表面は「恒星天球」の外側。
球の内側の表面は一番低い惑星「月」を運んでいる。
p121
アリストテレスはエーテルでできている透明な殻は五十五個あるという。
五十五個の殻は、巨大な天の時計仕掛けとして、全体がいっしょに回転する。回転力を与えるのが「恒星天球」だという。
宇宙に隙間はないのだから、すべての球はくっつき合っており、球の上を球がこすっている。それで全体が動くのだという。
※七つの同心球という単語は五十五と矛盾?
https://kotobank.jp/word/%E5%90%8C%E5%BF%83%E7%90%83%E8%AA%AC-103745

アリストテレスはまたこう言う。
恒星天球は、そのすぐ内側の殻、すなわち土星を動かしている七つの同心球(*)の殻のうちで一番外側の殻を動かしていた。その殻は同じ土星の殻のうちその内側にある次の殻を動かしていた。
以下同様にして最後にはその運動は月を運んでいる殻のうちで一番下にある球へと伝えられた。
この球がエーテルでできている殻のうちで一番内側のもの、すなわち天イコール月上界(げつじょうかい)の下限。
数学的天文学の立場から「同心天球」に取って代わった「周天円と導円の組合せ」は、アリストテレスが唱えたような透明な球とは合わなかった。
結果として、周天円の運動を〔時計仕掛けのように力学的に〕説明しようとはアリストテレス以降ほとんどされなくなった。また透明な球が本当にあるのかという疑問が時おり投げかけられた。たとえばプトレマイオスがそれを信じていたのかどうかは彼の本『アルマゲスト』を読んでも分からない。
(*)写真あり。p86
p125
諸天球は静的な領域。しかし、地上界が乱されないことはけっしてない。それは回転している月の天球(の殻?)と接触しており、この境界の運動はその下の「火」の層をいつも圧迫している。(*)そして四つの元素をぶっつけ合わせ混ぜ合わせ月下界全体に混在させるような流れを作り出している。
(*)四元素の層は下から「土」「水」「空気」。「火」。アリストテレスの説。
一番はじめは恒星天球からもたらされる一連の圧迫が、各元素をいろいろな比に混ぜ合わせる。その比にしたがい、地上の物質のすべては生み出される。
p127
コペルニクスがやろうとしたのは、動いている地球のまわりに、アリストテレスの宇宙をつくること。彼は失敗した。アリストテレスの世界をつくるどころか、彼によってアリストテレスの世界は崩壊した。「世界の中心で止まっている地球」という考え方は、アリストテレスの世界の大切な考え方のひとつだったから。

アリストテレスの運動の法則p127
アリストテレスの充満p133
p135
アリストテレスは「真空ぎらい」だった。彼は言う。物質と空間は不可分である。ゆえに空間はそれだけではけっして存在しない。
したがって、一杯につまった宇宙という考え方は、古代社会では当たり前だった。
アリストテレスは、これを恒星天球の運動についての説明にも使っている。
天のあるいは地の殻のどれかひとつが空虚(真空。何もない空間)で置き換えられたら、その殻の内側の全運動が止まる。殻と殻のこすり合いですべての運動は起こる。空虚は、その運動を断ち切る。
※要するにアリストテレスの宇宙は、真空が存在せず、有限。
p138
コペルニクスは、真空の存在を信じていたわけではないし、宇宙の無限を信じていたわけでもない。彼が試みたのはアリストテレスとプトレマイオスの宇宙の特徴をできるだけ温存すること。
しかしコペルニクスは、地球を自転させることによって、恒星天球の運動を止め、その働きを奪った。
さらにコペルニクスは、地球を公転させることによって、天球の大きさをとても大きくすることが必要になった。
しかし止まった天球など意味がない。コペルニクスの後継者はすぐに天球を壊し、全空間に星を散りばめ、星の間に真空の存在を認めた。そしてわれわれの太陽系のはるかかなたに別の世界があり、そこには別の知的生命体が住んでいるという夢を描いた。
天の尊厳p139
p141
アリストテレスとキリスト教の重なり合い。この結果、宇宙は、宗教的意味も持つようになった。
地獄は幾何学的中心にあり、神の聖座は恒星天球の向こう側、天使が各惑星の天球を回転させている。
しかし天の尊厳は、占星術に通じる。占星術という科学はキリスト教的アリストテレス主義の宇宙論より古い。占星術は天文学者に強い影響を与えた。そのせいで天文学者は「地球は唯一無二のものだ」という考え方に縛りつけられた。
p142
彗星とか食などの天の規則性の崩壊は、古代から普通ではない恵みか災害の前兆と考えられた。天が確実に支配しているという明確な証拠が観測できる地上の出来事がある。
すなわち、太陽が蟹座にあるときは暑く、山羊座にあるときは寒い。潮の変化は月の変化を追っている、など。
アリストテレスが、天体は地上の変化を生み出す(天球の摩擦による駆動)としたことから、次のように言われた。
天体の未来の位置を予測することは、人間や国家の未来を予測する能力を人間にもたらす。
p143
古代からルネサンスまでの間に開発された「惑星の位置の表」と「位置を予測する複雑な計算技術」は、占星術にとって一番必要なものだった。
プトレマイオスの『アルマゲスト』は古代天文学の集大成だが、彼は『テトラビブロス』という占星術の本によっても有名だった。
ルネサンス後期のティコ・ブラーエやケプラーは、コペルニクスの考えを今日のような形式に近づけた。彼らのようなヨーロッパの天文学者を財政的に支えていたのは、彼らの星占いのおかげ。
※しかし地球が動けば、占星術は破綻する。地上と天上という関係がなくなるから。地球が惑星として動くのならば、地獄(や天国)は従来の場所を失う。
p144
この意味で、コペルニクス革命は単に地球と太陽の位置交換ではなかった。彼の提案は百年にわたる長く激しい抵抗の末に普及する。では、地獄や天国あるいは神や悪魔は従来の場所からいったいどこに引っ越したのか? それはまた機会があれば話をしようかのう。ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ。

全体としてのアリストテレスの世界観p144
p146
よく次のように言われる。中世の科学者はアリストテレスの本を盲信したから「重い物は軽い物より早く落ちる」という彼の言葉を長い間うけいれてきた。
そして次のように言う。近代科学が始まったのは、ガリレオがピサの斜塔から落とした重い物と軽い物が同時に地面に当たるのを観測したときだ、と。
しかしこれは本当は間違いじゃ。
日常生活の経験ではアリストテレスが見たように「重い物の方が軽い物より早く落ちる」。羽毛と石は同時に落ちるかね?
ガリレオが「重い物も軽い物も同時に落ちる」という法則を得たのは、観測からではなく、むしろ論理からじゃ。多分、ガリレオはピサの斜塔で実験などしていない。やったのは彼にたいするクレーマーのひとりじゃ。結果はアリストテレスを支持するものだった。重い物が早く落ちたのさ。
p151
アリストテレスは「空間」にたいして次のように考えた。
火や土のような物体の移動は、場所が何であるかをはっきり示すだけではなく、それが何らかの影響を与えるということもはっきり示す。
なぜならば、物体は、それぞれ自らの場所に運ばれるからである。ある物は上へ、ある物は下へ。
火とか何か軽い物が運ばれていくところが「上」、土とか何か重い物が運ばれていくところが「下」である。(アリストテレス『自然学』)
つまり、空間は火や土に力を与える。そしてその力は、それら(火や土)をあるべき場所(上や下)まで運動させる。こういうことじゃな。
われわれはコペルニクス革命を受け継いでいる。ということはアリストテレスの空間にたいする考え方は捨てたはず。しかしアリストテレスの「空間が物体に力を与える」という考え方は受け入れがたくはない。偶然だろうが、アインシュタインが一般相対性理論で示した空間にたいする考え方は、重要な点でニュートンよりもアリストテレスに近い。さらに、アインシュタインの宇宙は有限らしい…という点でも、アリストテレスの宇宙に似ている。
何が言いたいか。要するにアリストテレスの世界観は競争者のものと比べ、はるかに生の知覚による証拠とよりよく一致した。それが中世後半にアリストテレスが大きな力をもった理由のひとつじゃ。
いまわれわれが見なければならないのは、そのアリストテレスの力に何が起こって、コペルニクス革命を導いたのか。そういうことじゃ。

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