20170728マヤ・アステカ・インカ 神々の起源と宇宙人

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古代中南米史年表
■前一〇世紀
・メキシコ湾岸地方にオルメカ文明成立。内陸やマヤ文明に影響を与えた。
・アンデス地域(ペルー北部)にチャビン文化成立。
■六世紀
・ユカタン半島にマヤ文明がおこる(~一四世紀)。各地に都市と階級が成立し、神殿、ピラミッド、象形文字をもった。都市同盟も結成され、二十進法、精密なマヤ暦も発達した。
■一二世紀
・メキシコ高原にアステカ文明おこる(~一六世紀)。マヤ文明を継承し、神殿、ピラミッド、神聖文字、太陽暦をもつ。首都テノチティトラン。
■一三世紀
ペルーにインカ帝国おこる(~一六世紀)。太陽の化身である王(インカ)を頂点とするピラミッド型社会。神殿、宮殿、灌漑施設、道路などを建設。一五世紀には大統一国家へと発展。首都クスコ。
■一四九二年
コロンブスが西インド諸島のサン=サルバドル島に到着。
■一五二一年
スペイン人コルテス、アステカ文明を滅ぼす。
■一五三三年
スペイン人ピサロ、インカ帝国を滅ぼす。

p37
■一五〇四年
一一月七日、最後の航海からコロンブスはスペインに帰ってきた。関節炎を発症し、昔の面影もなかった。その月が終わる前に、イサベラ女王は死んだ。フェルナンド王は、コロンブスがお気に入りだったが、さすがにコロンブスを引退させた。そして他の者に、コロンブスが用意した最後のメモに基づいて行動するように命じた。
p38
「西インド諸島のヒスパニオラ島から、必要なすべての金が両陛下のもとに運ばれるでしょう」
コロンブスはこう言って、今ではハイチとドミニカ共和国に分割されている、この島の将来性を約束した。
■一五〇六年
五月二〇日、スペインのバリャドリッドでコロンブスは死んだ。
ヒスパニオラ島では、スペインからの移住者たちが現地のインディオを奴隷として使い、驚くほどたくさんの金を採掘することに成功した。二〇年足らずの間に、このヒスパニオラ島の金から得たスペインの財宝は、五〇万ダカットにも達した。
p40
■一五一九年
フェルナンド・コルテスは、十一隻の大艦隊をひきいて、キューバを出発した。乗組員は六百名を数え、多数の高価で貴重な馬もひきつれていた。コルテスはユカタン湾に沿って進んだ。彼はベースキャンプを設けて、ベラクルスと名づけた。この地方は今でもそう呼ばれている。
p41
ベラクルスで仰天することに出会った。アステカの統治者の使者たちが挨拶に現れ、すばらしい贈り物をしたのじゃ。
「馬車の車輪のような大きさの、太陽のように丸い形をした、ひとつの円盤があった。その上には、多くの種類の絵があったが、そのすべてが金でつくられた見事なものだった。後で、その金の重さを量った人の話によれば、その価値は当時で一万ドルを超えるほどのものだった。
それからもうひとつ、もっと大きい円盤があり、それは月をかたどった銀製のものだった。
さらに、あふれんばかりの金の粒で一杯のヘルメットや、ケツアール鳥という、尾の長い珍しい鳥の羽毛で編んだ頭飾りもあった」
これらの記念品は、いまでもウィーンの民俗学博物館に保存されている。
これらの品々は、統治者モクテスマ王から、アステカの「羽毛の蛇」の神、ケツアルコアトルへの贈り物じゃ。この神ケツアルコアトルは、むかし「戦の神」によってアステカの国からどうしても去ることになった、アステカの大恩人じゃった。神ケツアルコアトルは、ユカタン半島に渡り、それから「1リード」の自分の誕生日には帰ってくると誓い、東に向かって船出した。アステカの暦では、年数のサイクルは五十二年ごとに完結する。そのため、帰ってくると約束した年、「1リード」は五十二年に一度訪れる。キリスト教のカレンダーにすれば、その年は、一三六三年、一四一五年、一四六七年、そして一五一九年ということになる。まさしく、コルテスが海の東から現れ、アステカについた年が一五一九年だった。恐ろしいまでの偶然じゃ。神ケツアルコアトルのように、ひげを生やしてヘルメットをかぶり、その上、伝説どおりの白い肌をしたコルテスたちの姿は、まさしく神の予言が果たされたものと思われたのじゃ。
このあとのことは話したくない。悲しすぎる。結論だけ語ろう。

p46
■一五二一年
八月、コルテスは、当時のアステカの首都テノチティトラン(現メキシコ・シティ)を攻撃した。アステカ族は滅びた。
そうそう、画家アルブレヒト・デューラーはアステカの財宝を見て、次のように書き残している。
「この品々はすべて貴重なもので、貨幣にして一〇万ギルダーの価値にもなるほどだ。しかし、私は自分の生涯を通じて、この品々のように心をときめかせてくれたものを見たことがない。
なぜなら、この財宝の中には驚くほど芸術的なものがあったからだ。私はこうした遠い国々の人たちの繊細な芸術的才能にすっかり驚嘆した。私は、こうした財宝を目の当たりにして、そのすばらしさに言葉もなかった」
しかしスペイン王(*)にとっては金としての意味しかなかった。王は命じた。
「すべて溶かして金塊・銀塊にせよ」
六〇万ペソにおよぶ金が奪われ、金塊になったそうじゃ。

(*)カルロス一世。神聖ローマ帝国の皇帝カール一世。フェルナンド王の孫。

p50
■一五三一年
フランシスコ・ピサロをはじめとする多くの人たちは、ペルーを黄金のエルドラドだとにらんでいた。征服地域の総司令官と統治者の称号などの特権をスペイン王室から正式に認められてから、ピサロは約二百名の部下をひきいて、ペルーに向かってパナマ基地を出港した。たどり着いたのはインカ帝国の首都クスコ。
このあとのことは話したくない。悲しすぎる。結論だけ語ろう。
アステカのモクテスマ王と同じ運命がインカの王アタワルパに訪れた。

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