20170709 コペルニクス博士 ジョン・バンヴィル

コペルニクスは早くに母を亡くしている。父を十歳のときに亡くしたから、母の死はそれ以前。
p11
神様がお母さんを、その優しい腕の中から落としてしまった。
p12
彼女は死んで天国に行き、もはやお母さんではないのだと彼(コペルニクス)は告げられた。だがもしそれが本当ならここに残っているこのもの(死体)は何なのか?
それは運び去られ、埋葬され、やがて彼は自分を悩ませていたものが何であったかを忘れた。

p19
子供だけで市壁の外に出ることは禁じられていた。そこは貧乏人、癩病患者、そしてユダヤ人と背教者の世界である。ニコラスはその世界を恐れていた。
「どこに行くの? あそこに行っちゃいけないんだよ! ねえアンドレアス兄さん、あそこに行っちゃ駄目だって言われてるじゃないか!」

p34
エジプト人の宇宙
ギリシャ人の歌う天球
ピタゴラス
ヘラクレイデス地動説の先駆
(略)
クラウディウス・プトレマイオスの天体理論
p35
プラトン『ティマイオス』
アリストテレス五十五個の水晶のような天球の動き
ピタゴラス世界は巨大な竪琴。惑星軌道はその弦
p36
ニコラス・クザーヌス宇宙は中心がどこにもない無限の天球。スコラ哲学の桎梏を打ち破り、近代哲学への道を開いたと言われる。

p41
イタリアから、イギリスから、そしてロッテルダムから押し寄せてきた新思想の波
スコラ学者とユマニスト
ポルトガル人はインド諸島への航路を開拓しながら、恐ろしく巨大なアフリカの存在を明らかに
スペインからの風の便りによれば、大洋の西には広大な新大陸がある

p50
レギオモンターヌス(一四三六~七六。ドイツの天文学者)

p52
パラケルスス

p53
最近あのオランダ人(エラスムス)

p54
地球の大きさに関してプトレマイオスが間違っていたことはコロンブスが証明しました
(略)
君は唯名論者だよ。
私が信じているのは名前ではなくて物です。
プトレマイオスの理論によって現象は守られている
健全なる精神とアリストテレスを大事にしなきゃいけない
p58
フラウエンブルク(ドイツ)

ゲオルク・レティクス

クラクフは、ポーランド南部にある都市で、マウォポルスカ県の県都。 ポーランドで最も歴史ある都市の一つであり、17世紀初頭にワルシャワに遷都するまではクラクフがポーランド王国の首都であった。ポーランドの工業、文化の主要な中心地でもある。

p59
一四九六年の復活祭の日、ニコラス聖堂参事会員とその兄は巡礼者たちに交じってクラクフのフロリアン門を出た。

p66
兄弟はボローニャで大学に入学
※ボローニャはイタリアの都市。フィレンツェの北、ヴェネツィアの南西、ミラノの南東、ジェノヴァの東。

p75
偉大公(マニフィコ。ロレンツォ・デ・メディチ。一四四九~九二)
※コペルニクスは聖堂参事会員として兄アンドレアスと共にボローニャ大学へ。

p76
ジローラモ・サヴォナローラ()焼き殺された。プラトンを背徳の源と非難した。

p78
チェーザレの天宮図を作ったんだ。力の権化と呼ばれているあの男のね。
ルカ・グアリコ、我等が若君の星は?
※チェーザレはまだ生きている。
三十過ぎて破滅しそうだが、その辺はよくわからない。軍を率いてロンバルディーとロマーニャで勝利し、スフォルツァの女狐(カテリーナ・スフォルツァ。一四六三~一五〇九。イモラ城主)は痛い目にあうだろう。戦の星はフランスには気をつけろと告げている。

p79
ここには自分の心と響き合うものは何一つない。彼はイタリアの真ん中に放り出された小さなプロシア人に過ぎなかった。

p89
ニコラス・コペルニクスは二度とノヴァーラの家には寄りつかず、彼の講義にも出ることはなかった。クリスマスを待たずに、彼はボローニャに永劫の別れを告げた。
p90
■一五〇〇年
二月には教皇の息子のチェーザレがロマーニャから凱旋し、街路を行進する軍の先頭に立って馬にまたがる彼は民衆の喝采を浴びた。(略)まるで魔王が狂った群衆に称えられているかのようだった。
時は一五〇〇年、聖年を迎えたローマの姿であった。
(略)
コペルニクス兄弟(ニコラスとアンドレアス)は、ルーカス伯父の指示に従って首都ローマに引っ越した。(略)
七月、ルクレチア・ボルジア(一四八〇~一五一九。チェーザレの妹)の夫であるビシュリエ公アルフォンソがサンピエトロ寺院の石段の上で襲撃された。この暴行事件の首謀者としてチェーザレの名が囁かれた。数週間後、この噂を裏づけるように、チェーザレの家来であるドン・ミケロットがバチカン宮殿内のアルフォンソの病室に押し入り、寝ていた公爵の首を締めるという事件が起こった。

p134
ルーカス司教(コペルニクスの伯父)「大した侍医(コペルニクスのこと)を選んで(略)」
(略)
パドヴァでは死体を器用に切り裂く術を学んだ(略)
イタリアから帰った彼は、聖堂参事会のメンバーとしての義務を遂行すべく、いったんフラウエンブルクに(略)今度は無期限の休暇を申請してたやすく許可を得ると、トルンへ。姉カタリーナとその亭主は長年にわたりルーカス司教を口説いて、聖アンヌ通りの家を買い取り、クラクフからそこへ移り住んでいた。この夫婦の許に身を寄せたのは愚の骨頂。そしてルーカス司教から命令。城の侍医としてただちにハイルスベルクに。コペルニクスは三十三歳。
六十歳のルーカス司教は冷酷な君子として、ヨーロッパの政治的策謀の巨大な網の中からエルムラント(※小さな国?)を助け出すという仕事にその並外れた精力を注ぎ込んだ。
(略)
「お前(コペルニクス)はドイツ人ではない。いや、ポーランド人でもなければプロシア人でもない。お前は間違いなくエルムラント人だ。覚えておけ」
p140
「無礼者め。ポーランド王の御前だぞ!」
p141
ジギスムント王
ヤゲロ(ポーランドの王朝名)風の頭
王は寒さに耐えながら、クラクフからプロシアまで長い旅をしてきた(略)彼が変装していた理由は、司教同様、チュートン騎士団(異教民族を圧迫して中世ドイツの東方進出に力を尽くした宗教騎士団。※山門宗徒だね。)(略)
かつてプロシア全土を支配し、今では東方に追いやられたチュートン騎士団が、ドイツ(※? どこ?)の助力を得て王領プロシアに向かって西進してきた。王領プロシアは、ヤゲロ王朝との馴れ合い的な同盟から、バルト沿岸の重要な拠点をポーランドに与えていた。この激動の三角形の中心に位置するエルムラントは四方から圧迫。その不安定な独立は、ポーランドからもチュートン騎士団からも脅かされる。
p143
「チュートン騎士団をポーランドの南の国境に送って、邪教徒のトルコ人から領土を守るために戦わせればいいんです」
沈黙。ルーカス司教の失敗。ポーランド人二人(王と大使)の脅えた目。
p147
兄アンドレアスは梅毒。
p151
「この野郎、言え! どう思っているんだ!」
「僕は」コッペルニーク聖堂参事会員(コペルニクス)は静かに言った。「世界はくだらないものだと思う」
梅毒に犯された兄アンドレアスは杖を下ろし、そして笑みを浮かべてうなずいた。それは至福を味わう人間の表情にも似ていた。「それが聞きたかったんだ。これで出て行ける」
p159
夜のうちにコッペルニーク聖堂参事会員はフラウエンブルクに向かって出発した。彼は独りであった。従者マックスは後に残ってアンドレアスの世話をする道を選んだ。

p182
ルター

p187
■一五一六年
チュートン騎士団
アルブレヒト団長

p191
■一五一九年
春、ポーランドのジギスムント王はチュートン騎士団がポーランドの脅威という亡きルーカス・ワッツェルロート司教が生前言っていたことを理解したらしく、和平会談のためにチュートン騎士団アルブレヒト団長をトルンに呼んだ。アルブレヒトは断る。ポーランドは戦時体制を敷いてプロシアに進軍。全面戦争の危機。ここに至ってチュートン騎士団は、小国エルムラントの司教に自分たちとポーランド王ジギスムントの間を取り持って欲しいと言い出した。しかし既に司教フォン・ロサイネンの病状は相当悪化。そのため、小国エルムラントが戦場になることを予期したフラウエンブルク聖堂参事会は、交戦国間の仲介役を務めることを決めた。司教の代わりにティーデマン・ギーゼ司祭とコッペルニーク監督官をケーニヒスベルクに向かわせる。

p209
■一五二四年
アンナ・シリングス
「ニコラス・コッペルニーク聖堂参事会員は、私の親戚です!」
p211
この頃、五十一歳のコペルニクスの上には国事がのしかかっていた。ポーランド人とチュートン騎士団が戦争を始めるとすぐにフラウエンブルク聖堂参事会は丸ごと王領プロシアに、特にダンチッヒとトルンに逃げた。コペルニクスは戦場の真っ只中とも言えるアレンシュタイン城へ行き、監督官の職に就いた。
■一五二一年
停戦協定
同年四月、フォン・ロサイネン司教の命を受けて筆頭書記官としてフラウエンブルクに戻り、エルムラントの国政の再構成。
■一五二三年
一月、フォン・ロサイネン司教没。聖堂参事会は、戦争のために混乱した司教区の統治を引き継がねばならなかった。参事会は再びコペルニクスを頼みにして彼を筆頭行政官に。新司教が十月に就任するまで彼はその職務を遂行した。この間、彼はポーランド王の依頼により、プロシアの劣悪な貨幣制度を改正するための緻密で複雑な『貨幣鋳造論』を書いた。
(略)
p217
クザーヌス『博学なる無知について』
(略)
p221
■一五三九年
※アンナ・シリングスがもとでコペルニクスは司祭にふさわしくないと手紙。
エルムラントにとって道は二つに一つ。この国がプロシア領となってルター派を信奉するか、あるいはポーランド領となってカトリックを信奉するか。
貴兄の伯父様(ルーカス司教)が築き上げ、守ってきた自治は今や奪われようとしている。ポーランドに屈する以外、生きる術はない。ところがフラウエンブルク聖堂参事会は、愚かにもスカルテティを司祭に選んだ。背後にはエルムラントをローマの直接支配下におけると考えている教皇庁の一派が。私はホジウスを推さざるを得ない。あの女性を追い出さないとスカルテティと共に破滅しますぞ。
一五四〇年三月一三日
ハイルスベルクにて
エルムラント司教ヨハンネス・ダンティスクス
※スカルテティは追放。コペルニクスはアンナ・シリングスを追い出せない。様子見。
#
Wikipediaコペルニクス
死没1543年5月24日(満70歳没)
フロムボルク、
ヴァルミア司教領、
ポーランド王領プロシア、ヤギェウォ朝ポーランド王国
#

p226
第三部 ※コペルニクスの本を出版したレーティクスの晩年のモノローグという体裁。

p254
『天球の回転について 数学の専門家のための』

p265
私(レーティクスまたはフォン・ラウヘン)が書くことになった『最初の解説』は、出版以来三十六年、大いに名声を博してきた。(有名になったのは、彼コペルニクスの方なのだ!)
p267
■一五三九年九月二十三日
『最初の解説』が完成。

p271
■一五四〇年
二月、ダンチッヒで、『解説』の最初の版が刷り上がった。
p284
夏の終わり、私レーティクスはフラウエンブルクに。シリングスはまだ一緒。ダンティスクスは相変わらず彼女の退去を求めていた。我々三人はまた塔の中で暮らすはめに。(略)
一年以上も彼と暮らし、原稿の写しを取る許可を得た。(略)
楕円形の軌道の可能性に触れたあの馬鹿げた文は削除した。楕円形の軌道だって? 馬鹿な!
※しかし現代では惑星の軌道は楕円形だと知られている。

p292
「(略)見ることと知覚することは違う!(略)」
※肉体の視覚と、心の視覚。悟り。仏教の世界だね。回心と言えばキリスト教か。
p293
「言葉の限界を知るには、わざと馬鹿になって、言葉はそれ以上の何かを意味しているのだと言い張ってみるがいい。言葉は中々面白い手品のようなものであり、我々の幻想を守り抜いてくれるものだとね。いつか時計の砂が尽き、忽然と真実を知らされる日が来るよ。人生なんてものは」彼はにやりと笑った。「神のはらわたの中をちょっとばかり旅するようなものだ」
※亡き兄アンドレアスの台詞。
「ルターはこの真理に気づいていながら、勇気がなかった。何とか否定しようとした。」
(略)
「民衆は私が地球を縮小させ、ただの惑星の一つに貶めてしまったと思うだろう。そして彼らは世界を軽蔑し始め、何かが死に、その死の中からまた死が生まれ出る。わしの言っていることがわからんだろう、レーティクス? 君は馬鹿だよ。皆と同じく。わしと同じく。」

p307
コペルニクスは太陽を宇宙の中心に据えたと誰もが思っているだろう。そうではない。彼の理論における宇宙の中心は太陽ではなく、地球の軌道の中心であり、それが太陽の直径の三倍の距離だけ太陽から隔たった所にあると、『回転の書(天球の回転について)』にはっきりと書かれている。(略)
すべての中心には何もないということを、世界は混沌を中心として回っているということを証明する。

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