20170411 紙の世界史 第1章 マーク・カーランスキー

序章
p9
社会のほうが、社会のなかで起こる変化に対応するためにテクノロジーを発達させている。例を挙げよう。紀元前二二〇年ごろの中国で始皇帝に仕えて活躍した蒙恬(もうてん)という武将は駱駝の毛から筆を作った。
※蒙恬は漫画「キングダム」にも登場。
蒙恬の発明に触発された中国の人々が突如として書画を始めたわけでも、書道が考案されたわけでもない。中国社会はすでに書記システムを確立していたが、より多くの文書を作成し、より意匠を凝らした文字を書きたいという喫緊の需要があり、それまで使ってきた、棒切れを墨にひたした道具ではその需要を満たせなかった。そこに蒙恬が文書と書の両方をより速く、より上質に仕上げることのできる道具(駱駝の毛で作った筆)を見いだしたのだ。

p15
千年以まえ、製紙は文明の指標とされていた。進んだ文明とは紙を作れる文明だった。一五〇四年、新世界に達したスペインの征服者エルナン・コルテスは、アステカ人と出会って大いに感動した。アステカ人は新世界最大の都市を建設し、高度な数学と天文学を発展させていたが、コルテスが最も感銘を受けたのは製紙の技術だ。スペイン人の彼にとって紙を作れる社会こそが文明社会なのだった。

第1章
p21
人類が地上に現れたのは五百万年から三百五十万年まえで、どの段階で人類と認めるかによって幅がある。いずれにせよ書くことが始まったのはわずか五千年まえだ。つまり、人間の歴史の九九・九パーセントは書くことをしないで生きてきた。さらに(略)短い期間では、読み書きの仕方を実際に知っていたのは少数のエリートだけという状況が続いた。
(略)人類の「生活の基本道具」と「話し言葉」は同時に発達してきたと考えられる。どちらも人間の脳がそれまでの一・三倍になった(略)結果として、百八十万年まえに登場した。(略)脳が拡大したことが、より組織化した社会の形成になり、今度は社会のほうが建造や狩猟に必要な「道具」を、そして「話し言葉」という飛躍的進歩を求めた。

p22 ※今度は「書き言葉」
人類学者は、人間は描くよりも先に話せるようになったとしている。紀元前五万年にはすでに線画が描かれていた。(略)フランスのラスコー洞窟に残る二千点の壁画が描かれたのは紀元前一万五千年ごろだ。スペインのアルタミラ洞窟には紀元前一万三千年ごろ(略)。
p23
意思の疎通をはかりたい、記録したいという衝動は原始の本能である。なぜか?
書字が発明されるよりずっとまえから、書くことによるコミュニケーションはあった。
モチェ(ペルー。インカ帝国以前にペルーに住んでいた人々)…点や線が彫られた豆。
アボリジニ(オーストラリア)…印入りの杖。
ヨルバ(ナイジェリア)…子安貝の貝殻。
p24
最初の書字は世界のさまざまな場所で個別に発達してきたというのが、おおかたの学者の見方だ。
(1)メソポタミアのシュメール人…紀元前三五〇〇年
(2)エジプト人…紀元前三〇〇〇年
(3)インダス川流域の人々…紀元前二五〇〇年
(4)クレタ島とギリシャの人々…紀元前一八〇〇年
(5)中国人…紀元前一四〇〇年
※周…紀元前1046年頃~紀元前256年
(6)フェニキア人…紀元前一〇〇〇年
(7)メキシコのサポテク人とミステク人…紀元前六〇〇年
(8)マヤ人(メキシコ南東部からグアテマラ、ベリーズなどいわゆるマヤ地域。メソアメリカ文明((マヤ、テオティワカン、アステカなど)
))…紀元前二五〇年
p25
(9)スワヒリ語(バンツー人)…十八世紀初頭
(略)
書くためのシステムが少なくとも九種、地球上の各地で独自に発達した。人類は「書くことを必要とする」地点に達した。
(略)
なぜ人は書くことを始めたのか。多くの文化で書く能力は神から授けられると信じられていた。(略)書くことを発達させたのはあくまでも、狩猟や遊牧の生活をやめて定住の農耕民となった人々だ。
書くことの起源は諸説あり、「商取引における会計を改善しようとして生まれた」という説が主力。農業が商業を生み、商業は数字を生む。話し言葉は意思疎通の効果的な手段だが、「計算」は「記憶」という義務を課し、さらにその上を求める。
p26
(具体的には)書くことを最初に始めたメソポタミアのシュメール人は会計に活用し、交易や経済の拡張に対応するべく(書き言葉を?ido)発達させた。ほかの点(天文学など)では先へ進んでいたインカ帝国で(書き言葉の)発達が遅れたのは、彼らが会計に使っていた、色分けされた紐の結び目「キープ」があまりにも有効だったため、書くシステムを生み出す必要がなかったという仮説がたてられている。
書くとは、もともとは線を粗く引くことだった。それから線で表すものがだんだんと抽象化していった。

p26_8~p30_3 シュメール人について。素晴らしい。わかりやすい。

p30_4~p37_3 パピルスの普及と羊皮紙の出現。おもにエジプト人について。

p37_5
シュメール語の大革新だった表音方式は広まり続け、やがて、発音可能なあらゆる文字を表す文字体系が創造されると、それにともなって、書くために必要な文字の数が大幅に減り、文字を書く方法も読む方法も一挙に容易になった。

p37
表音の概念をさらに進めたのがフェニキア人だった。(略)純然たる表音であり、なおかつ子音のみが(!ido)表記された。フェニキア人は商業を盛んにおこなったので、その文字体系は広まって(略)ヘブライ語、アラビア語、ギリシャ語、ラテン語と、多くの言語がフェニキア語から生まれた。

p38
ほとんどの言語はヘブライ語に書き換えることができた。それほど多様性をもった最初の言語体系だった。

p38
フェニキア人と数世紀にわたって商取引をしていたギリシャ人は、紀元前八世紀までに独自に変化した言語を発達させていた。母音表記のないフェニキア語は、母音を中心とした母語をもつギリシャ人には悩ましい言語だった。(略)ギリシャ人は、使われていない子音をなくしてギリシャ語の母音に割り振るという解決手段を講じた。(略)その後のヨーロッパの言語の規範が生まれた瞬間でもあった。

p39
エトルリア人は角が目立つ硬いエトルリア文字にギリシャ・アルファベットを導入した。その後ローマ人がエトルリア人からアルファベットを奪った(略)。ローマ・アルファベットは最終的には西洋世界の支配的な言語体系となる。

ギリシャ・アルファベットがホメロスの時代に登場したという事実から、それがホメロスの作品を文字で書き起こすという特殊な使命のもとに作りだされたと考える人もいる。にわかには信じがたいことだが、ホメロスは記載文学の歴史の分岐点なのだ。『イリアス』や『オデュッセイア』は、人が書くことを始めるまえにあった口承文芸だった。(略)口承文芸のリズムや反復や形容詞による補足は人の記憶の補助である。

p40
『イリアス』と『オデュッセイア』の物語は、ホメロスが最初に書いた紀元前八世紀から何世紀もさかのぼる時代からあったが、どういう経緯でこの二作が書かれたかはハッキリしておらず、ホメロス本人についてもほとんど知られていない。ホメロスという名前はエーゲ海のレスボス島の方言で「盲目」という意味なので、盲目の詩人だったといわれることが多いけれども、確証はない。いつごろ、どこに住んでいた人なのか、そもそも実在していたかどうかもわからない。
p41
ホメロスから三世紀後に登場したプラトンを代表とする書き手は、もはや詩の形式も口頭言語も用いずに抽象的な想念を明晰に表現した。(略)
哲学者ソクラテスは紀元前五世紀のアテナイに生き、弟子のプラトンはギリシャ社会が口授から記述の文化へと進展する紀元前四世紀まで生きた。
p42
ひとたび書かれた言葉はもはや人の内面からは発せられず、外部に置かれたものとなる。それゆえ、心からの真摯な言葉ではなくなり、そこにあった真実もある程度まで薄められる。そう考えたのはプラトンひとりではなかった。アリストテレスも「記憶は魂の書記官である」といった。
※ググるなんてまさにそうで、賢くなったような気がするだけ。ほんとに知りたいことは何か。永遠の魂はあるのか。この一点。

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