20170329 世界で最も美しい量子物理の物語 第1~2章

第1章 ニュートン的モーメント

p24
ウィリアム・ブレイクはニュートンが成し遂げた偉業に敬意を払っていたが、ニュートンの機械的世界観と、それがもたらした機械の優位性については、強く非難した。ブレイクの嫌悪がどれほどのものだったかは、「芸術は生命の樹であり、科学は死の樹である」という彼のモットーからもうかがえる。

p26
一七世紀のヨーロッパは、恐怖と混乱のなかにあった。この世紀、ほぼ毎年、どこかで戦争があった。(略)世界は神秘的な力と不可思議な現象によって動かされ、謎めいたかたちで進行していた。聖書は時間には始まりがあり、やがて終わるとしていたが、現在を説明するには役に立たなかった。世界は、いくつかの部分を持つ超自然的な生物のように見え、ほとんどの人にとって、そんなものを理解するなど無理だった。(略)王や聖職者たちは、自分たちは神の意志を理解していると主張していたが、それ以外の人々にとって、世界は予測できず、手に負えない、畏怖すべきものだった。政治的な事柄には王族が絶対的な権力をふるい、日常生活のあらゆる面は、領主や聖職者が支配していた。
第一次インクジェット内戦が始まった一六四二年に生まれたニュートンは、このような世界を変えるうえで最も大きな貢献をした人物である。彼は人類に与えられた贈り物だった。彼の母はクリスマスの日に彼を生み、彼の父(農夫だった)はその数ヶ月前に亡くなっていた。青年時代、ニュートンは同じ年頃のものたちが好むスポーツや娯楽を軽蔑し、風車、水時計、凧などの機械ものをつくったり、近所の薬屋の書庫で本を読んだりして時間を過ごした。ケンブリッジ大学トリニティカレッジ在学中(一六六一~六五)には、新しい哲学、物理学そして数学を独力で学んだ。ヨーロッパ中の学者たちが探求していた新しい学問だ。
一六六五年、ペストがロンドンを襲った。住民の五人に一人が亡くなり、ロンドンは壊滅状態になったため、ニュートンはリンカーンシャーにあった母の農場に引きこもった。否応なく休まされたわけだが、おかげで邪魔されずに研究に打ち込むことができるようになった。その結果彼の頭脳の中には、物理学、天文学、光学、数学の分野で、重要で根本的な発見の萌芽がいくつも生まれた。一方で彼は、錬金術、賢者の石(錬金術師たちが捜し求めた、あらゆる物を金に変え、病気を治す力を持つと信じられていた石)、そして黙示録をはじめとする聖書の文章など、今の科学者たちなら軽蔑してしまうような、あれこれのテーマについても研究を行った。
彼の偉大な発見のひとつが、微積分法、すなわち、変化を扱うことのできる数学手法だ。これはつまり、あるxという量を、ごくわずか増やしたり減らしたりすると、別のyという量が増えたり減ったりするという状況を正確に記述できる手法である。ニュートンは微積分法を使って、三つの運動法則を構築した。これらの法則こそ、『世界は完全に予測可能な力によって支配された、統一性のある開かれた総合的なものである』という彼の世界観の基盤だ。『世界は巨大な機械で、神なしでも機能しつづけ、王や聖職者のみならず、すべての人間が、それがいかに働いているかを理解できる』という世界観をもたらすうえで、ニュートンは大きな貢献を行った。

p31
ニュートン的な世界は、単純で、エレガントで、しかもわかりやすかったので、安心できる美しいものと受け止められた。地球と天空は、異なるものでできている離れた場所ではなく、ひとつの宇宙、「ユニ」バースの、別々の部分だと考えられるようになった。その宇宙では、空間も時間も法則も、ひとつであり、どこでも同じであり、また、どの尺度でもそれらは同じだった。(略)世界は、宇宙規模の舞台、あるいは、ビリヤード台で、そこでは物体がさまざまな力によって押されたり引かれたりしていた。
p32
すべての出来事には原因があった。物がどのように、なぜ変化するかを理解することは、それらの物が、どのように、なぜ運動するかを理解することだった。歴史のなかで初めて、人々は世界を『本物の統一性と一貫性を、そして論理さえも、持ったものだ』と見なすようになった。
ニュートン的な世界はまた、確実で予測可能でもあった。有名な言葉が、フランスの数学者兼天文学者のピエール=シモン・ラプラス(一七四九~一八二七)の一節。
「ならばわれわれは(後日)」
p33
ニュートンの死後数百年経って原子論が誕生したあとは、同じことを原子や分子にも行うことができた。力学モデルはすべて数学的に表現することができた。(略)運動法則も、数学的に捉えることができた。たとえば、二つの物体の間に働く引力は、ただひとつの方程式に表現できる。「ある定数に、その二つの物体の質量の積を掛け、両者の距離の二乗で割ったもの」イコール「両者の間の引力」という表現だ。
この数学的表現は、二つの物体が何であって、どこにあろうと、また、両者がどれだけ離れていようが、成り立つ。このような法則を理解することで私たちは、人間を月に送り、宇宙船を太陽系の果てまで送ることができる。
最後にニュートン的世界は、人間の行動に触れることなく理解できる。アリストテレスにとっては(後日)。
p34
ニュートン的世界はひとつのステージだが、『そこで動くのは質量だけであり、それら質量を動かすのは力だけ』なのだ。(略)科学者は、自分の行う観測から「自分を除外する」ことができ、彼らが獲得する知識から彼ら自身を除外することができる。
(略)
それは、迷信(特殊な、アニミズム的な力や能力への信仰)を弱体化させた。それは、神が新しい役割を担うことを意味していた。神を信じていたニュートンは、(後日)。だがそれは裏目に出た。(後日)まるで神そのものが自らの法則に支配されているようだった。
※神罰がなくなるからね。
機械の製作者(神)は、その製作物(世界)が委託(人に)されてしまえばもはや必要なかった。「なぜ」の質問にすべて力学的・数学的な答えが存在するという事実は、宗教を信じる人々を守勢に追い込んだ。
にもかかわらず、ニュートンは、文学や音楽から政治理論、哲学、そして神学に至るまで、文化のほぼすべての領域に対して、強力で決定的な影響をあたえた。
(後日。政治思想家。トマス・ジェファーソンなど)
p36
(後日。無限。因果律。イマヌエル・カント。彼は「物自体」を「現象」に対立する概念として導入。)

第2章 ピクセル化された世界

p62
プランクは、物質は光を選択的にのみ吸収・放出できると仮定すれば、帝国研究所のデータを包括できる方程式を作成できることに気づいた。光は特定の量のエネルギーの整数倍でのみ吸収・放出されるのだ。(略)
p63
プランクの考え方に注目する者はほとんどいなかった。例外の一人が、五年後にこれを取り上げた、アルベルト・アインシュタインという二六歳の、当時は無名の特許庁職員だった男だ。やがて彼にノーベル賞をもたらした、光電効果に関する有名な論文で、アインシュタインは、光のエネルギー〈そのもの〉がプランク定数hの整数倍という飛び飛びの値しか取らない(つまり、光のエネルギーは「量子」からなる)という大胆な説を提案し、これによってプランクの式を説明した。光の量子はのちに「光子」と呼ばれるようになった。つまり、量子は、プランクが考えていたような数学的トリックではなく、物理的な実在(リアリティ)だったのだ。これはアインシュタインが友人に書き送ったように、「極めて革命的」だった。

p73
一九三〇年の暮れ、ニューヨーク・タイムズ
※後日 ルクレティウス

p75
一九四七年、彼の生涯の最後の年、マックス・プランクは
科学の世界から 言い張った。 ※後日

p76
マックス・プランク、量子を提案する

一八八二年、トーマス・エジソンは、マンハッタンに住む数十人に一一〇ボルトを供給できる電気ネットワークを作り上げ、電気を広く分配するにはどうすればよいか、基本的なやり方を示してみせた。
二年後、アイルランド人の血をひくイギリス人、チャールズ・パーソンズが、最初の蒸気タービンを製作し、発電機につなげて、大量の電気を安価に生み出し、ネットワークに供給する方法のあらましを世に示した。

蒸気タービン

p77
このような電気ネットワークによって機能するさまざまな装置のひとつが電球だった。電球の背後には、『すべての物体は、熱とともに、ある範囲の振動数の光(可視光も、それ以外の光も)を放射する』という原理がある。
(略)
どんな物質でも、同じ温度では同じスペクトルの光を放射する。
スペクトル…物理学で光を、プリズムなど分光器を通した時(光の成分の波長によって屈折率が違うため)できる、虹(にじ)のような色の帯。波長の順に並ぶ。広く一般に、ある組成のものを分解した成分を、一定量の大小によって並べたもの。
※スペクトル=波長、か?

p77
ドイツの帝国物理研究所は、黒体放射を測定し、温度と高振動数での光放射の関係についてデータを収集する目的で、特殊な炉を建造した。帝国研究所の理論家ウィルヘルム・ヴィーン(一八六四~一九二八)は、各温度で放射される電磁放射の分布を記述する方程式をまとめあげた。(略)
p78
プランクは、このヴィーンの法則に満足できなかった。(略)
p79
新しい式を導出し、一九〇〇年一〇月一九日のベルリン物理学会で発表した。(略)
p81
だがプランクは、まだ満足できなかった。プランクの新しい式も(略)当てずっぽうに過ぎなかった。またもや彼は黒体放射を検討しなおしにかかった。(略)
p82
プランクの式は、振動数が小さい側の古典物理と、振動数が大きい側のヴィーンの式とのあいだに収まって、両者を滑らかにつないでいることがわかる。(略)
プランクはこれを、一九〇〇年一二月一四日にベルリン・アカデミーで発表した。(略)「プランク定数」が史上初めて印刷物の中に登場する。(略)
p83
e=hv(または、この基本的な量を整数倍したe=nhv)という式こそ、世界を構築している最も基本的な方程式のひとつである。(略)これは、ある振動数で振動する共鳴子は、古典物理学でのように任意のエネルギーを持つことが許されていないだけでなく、許されたエネルギーはhvの整数倍という、離散的な値のみだと言っている。

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