20170314 ニーチェみずからの時代と闘う者 ルドルフ・シュタイナー著

講義Ⅱ「霊学の光の中のフリードリヒ・ニーチェ」一九〇九年三月二〇日、ベルリンでの公開講義。『霊をどこに、どのように見出すのか』

p192
一八五八年から五九年
種の起源に関するダーウィンの研究が世に出ました。この著作によって、人間の眼差しは、進化に関して、もっぱら物質に釘づけにされてしまったのです。
更に同じこの時期に、私たちの宇宙空間の果ての物質の素材の認識を可能にする著作が出版されました。キルヒホッフとブンゼンによるスペクトル分析です。この時点になってはじめて、地上に見出せる素材は他の星々にも見出せる、と言うことが可能になりました。
更にフリードリヒ・テオドール・フィッシャーの美学の本も出版されました。この書は美の存在を下から基礎づけようとしています。それ以前には、美は上から、理念から説明されていました。
このイメージを更に完全なものにするために一八五九年、社会生活をもっぱら物質世界に閉じ込めようとする著書が出版されました。カール・マルクスの『政治的経済学批判』です。まさにこのような時代背景の下にニーチェは育ちました。
p195
原ギリシア人は、外なる自然のすべてが(略)調和的な叡知となって生き生きと自分の中に流れてくるのを感じていました。
※ほんとですか?
その時代のギリシア人は、この調和を根源の音楽として、そして神殿舞踊として表現しました。この原ギリシア人をニーチェはディオニュソス的人間と呼び、後のギリシア人をアポロン的人間と呼びました。
ニーチェは、ギリシア人がそこから力を汲み取ってきたところの〈原文化〉(by ido)、ギリシア文化やギリシア文化に影響を与えたより古い諸文化の大本になる〈原文化〉のことについては、何の知識も持っていなかったからです。
その〈原文化〉は、オルフェウスの秘儀とエレウシスの秘儀となって現れています。この秘儀は、叡知をあらわす神話や芸術の中にも表現されていますが、このことはニーチェの考察対象にはなっていませんでした。彼は秘儀参入者によって育まれた叡知のことについては、何も知りませんでした。(略)
こんにちの霊学が依拠しているあの根源の叡知の中に、ニーチェはみずからのディオニュソス的人間とアポロン的人間への解答を求めるべきだったのです。彼にとって謎であったものの答えを、彼はエレウシスの秘儀とオルフェウスの秘儀から取り出さなければならなかったのです。そうしたら彼は、芸術が直観力を育てること、学問と宗教が人間の心を敬虔な気持ちで充たす何かを求めていることを、きっと知ることができたでしょう。
宗教と芸術と学問は、古代秘儀の中では、まだ区別されていませんでした。
p197
ソクラテスが「徳は教えごとだ」という命題を提示したことは、ニーチェの心をいたく傷つけました。「古代ギリシア人は、何をなすべきか感じとっていた、正しいか正しくないか、などとたずねたりはしない」、ニーチェはそう思っていたのです。神とは縁のなくなった時代になってはじめて、「何が善なのかを学ぶことができるのか」、と問うことができるようになった、というのです。それ故ニーチェにとって、ソクラテスはギリシア時代の没落期の人間だったのです。
p198
ニーチェは、ショーペンハウアーという、実在の根源へ導くものへの予感をもった人間に出会いました。ショーペンハウアーは、人間の頭の中で表象されている抽象世界から存在の根源まで、人間の意志の中に脈打っている存在の深い根源にまで橋を渡すことのできた人でした。だからニーチェの真理探求に十分に応えてくれました。
そしてリヒャルト・ヴァーグナーは、ニーチェには、太古のギリシア文化の中から甦ってきた人間のように思えました。自らの傍らで血や肉をもった人間として存在しているこの稀有な人物のもとで自分を錬磨できるということは、ニーチェにとって、何という幸せなことだったでしょう。ほかの人にとっての外なる社会に相当するものが、ニーチェにとっては、リヒャルト・ヴァーグナーとの友情だったのです。この友情だけで十分だったのです。
『音楽の精神からの悲劇の誕生』(一八七二年、のち『悲劇の誕生あるいはギリシア精神と悲観論』)には、この時代のニーチェの思想世界が凝縮されて現れています。そのなかにはすでに全ニーチェが含まれています。そこにはすでに、アポロン的なものとディオニュソス的なものが論じられています。
更に『教育者としてのショーペンハウアー』(略)
それに続いて、『バイロイトにおけるリヒャルト・ヴァーグナー』(略)。

p203
ニーチェはオイゲン・デューリングの現実哲学を研究している。
p204
デューリングは『厳密科学の世界観・人生形成としての哲学の教程』で次のような問い。
「かつて存在した原子と分子の結合とまったく同一の結合が、いつか同じ仕方で繰り返されることがありうるだろうか」(略)
その時から(略)永劫回帰の理念がニーチェの中で生じた。(略)この理念は彼の悲劇になった。一度存在したことのあるすべては、同一の結びつきで、どんな細部も変わることなく、たとえどんなに時間がかかろうとも、何度でも繰り返して現れてくるに違いない。
p205
これは彼の魂の悲劇に属する感情でした。お前が体験しているすべての苦悩は、何度でも繰り返して、お前のところに戻ってくるだろう、という感情です。ニーチェは、回帰についてのデューリングの理念を通して(デューリング自身はこの理念を否定していますが)唯物主義の思想家になったのです。ニーチェにとって、唯物主義の理念の帰結は、この永劫回帰でしかなかったのです。

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