20161206 アントニウスとクレオパトラ

p27
​アレクサンドロスが死去した時、明確で有望な後継者がいれば、これは問題にならなかったかもしれない。
異母兄弟アッリダイオスがいたが、無能力者とみなされていたために生きることを許されているような人物だった。にもかからわず王とされたのである。アレクサンドロスの最後の妻ロクサネは、バクトリアの首長の娘(現在のアフガニスタンの出身ということになる)で、夫が死んだ時には妊娠していた。前三二二年に生まれた男の子はアレクサンドロス四世と名づけられ、ただちに共治者である王とされた。こうして帝国は二人の君主が共治することになったが、ひとりは幼児、もうひとりは無能だったのである。実権を握っていたのは、上級将校と高官のグループで、ほとんどはこの間バビロニアにいた。
ペルディッカスという名の将軍が摂政に任じられた。死の数か月前にアレクサンドロスはこの男に印章付指輪を手渡していたと言われている。この征服者は死に際に、自分の帝国は「最強の者」が引き継ぐように、また、「親しい友人たちは私のために葬送競技会を開催するように」と言い残したと言われている。もし本当にこのような言葉を口にしたとすれば、それは、常にホメロスの叙事詩「イリアス」の写本を枕の下に置いて寝ていた男の、英雄時代への憧れから出たものなのだろう。あるいは避けがたい現実を悟っていたのかもしれない。たとえ遅まきながら成人した者を後継者に指名したとしても、彼の帝国の統一が保たれたかどうかは疑わしい
当初は皆ペルディッカスに協力しつつも、お互いの猜疑心と恐怖心が高まるなかで、それぞれ自分の権力基盤を固めようとした。最有力者たちは、地方統治者である太守(サトラップ)の地位を得た。彼らは君主と摂政に忠実であり、その命に従うはずであった。アレクサンドロスの遠縁にあたり当時四十代前半だったプトレマイオスは、本人の希望でエジプトの太守に任ぜられている。じきに、ペルディッカスは武力によってしか太守たちを従わせられないことを悟ったが、彼自身とその軍がどこへでも同時に行けるわけではなかった。前三二一年に彼はプトレマイオスに対して軍を進めたが、ナイル渡河に失敗して惨めな結果に終わった。

ローマ
マケドニア(ギリシャ)
セレウコス朝シリア
プトレマイオス朝エジプト
カルタゴ…ハンニバル

政務官(執政官コンスル)
元老院
民会

p42
富がイタリアに流入すると貧富の差が拡大した。

p90
ローマのアレクサンドロス(ポンペイウス)
前八三年
ポンペイウスは異端児的な将軍。私費で編成した軍を率いてスッラに加勢したこの年、彼が最初に目立つ存在になった。

p92
前七〇年
ポンペイウスは執政官に選出された。同僚はクラッスス。彼は、剣闘士スパルタクスに率いられた奴隷反乱を鎮圧したばかり。両執政官の仲は悪かった。クラッススの方が十歳年長。(略)二人ともこれから十年以上、ローマ国家の中で最も影響力が大きく、最も裕福な人物であり続ける。(略)

p93
前六五年
クラッススは監察官に就任し、エジプトを分割可能なローマの公有地と宣言させようと動き始めていた。カエサル(まだ三十代だが大変な野心家)もこの件に絡んでいる。

p94
ポンペイウスとクラッススを秘密協定によって提携させようと、最初に思いついたのはカエサルだったらしい。「第一回三頭政治」。クラッススもポンペイウスも単独では望むものを手にできなかった。協働し、そしてカエサルを前五九年の執政官とすることで、三者ははるかに対抗しづらい存在に。(略)

p95
前五九年
カエサルが通過させた法により、ついにアウレテス(エジプト王プトレマイオス十二世?)は公的承認を得て、「ローマ国民の友にして同盟者」の名を手にした。これは途方もなく高くついた。六千タラントンの支払約束。エジプト年収の半分を超える。大半はポンペイウスとカエサルに流れた。

p118
クロディウス本人は、女だけの祭りが行われていたユリウス・カエサルの邸宅に、女装して忍び込んだのが発覚した事件で有名になった。人々はカエサルの妻との情事を疑っていた。クロディウスは瀆神罪で訴追されたが、カエサルは被告に不利な証言をするのを拒否している。にもかかわらず妻と離縁し、理由を尋ねられると、
「カエサルの妻たる者、疑われてはならない」
と答えた話は有名。
クロディウスは名門家系出身のフルウィアと結婚した。この女性とアントニウスの情事が噂になっている。そんな事実はなかったと思われるが、後年この二人は結婚することになる。理由はなんであれ、やがてアントニウスはクロディウスと絶交する。

p123
前五七年
ガビニウスが、属州シリア担当執政官代行(プロコンスル)となった。(略)彼は、ギリシアを通り任地へ向かう途上、二十六歳になっていたアントニウスを自分のスタッフに採用したようだ。わかっている限り、アントニウスにとってこれが最初の公的任官である。彼には軍務、公務の経験はなかった。それでも元老院議員の息子、執政官の孫、そしてアントニウス家の人間である。彼は、当初提示された下級の役職でガビニウスに従うのを拒否した。かわりにガビニウスの軍の騎兵全体もしくは一部の指揮を要求し、得ている。詳細は不明だが、彼の地位はおそらく騎兵隊長(プラエフェクトゥス・エクィトゥム)であろう。四〇〇ないし五〇〇騎から成る騎兵大隊(アラ)一個、あるいは数個大隊を指揮することができる地位である。クラッススの長男プブリウスが同じ頃、同様の資格でユリウス・カエサルに仕えている。

p202
カエサル軍は、最近の戦いで被害を被っていなかった地方を進軍することになり、それまでよりはるかにたやすく補給品を集めることができた。ゴンフィの町が受け入れを拒否すると、カエサルはこの町を強襲し、兵士たちに酒に酔ったまま好きなように略奪し破壊することを許可した。これが彼らの士気と健康を回復することになった。また、これが恐るべき見せしめとなって、行軍途上にある他の町々はカエサル軍を歓迎するようになったのである。

p207
大ポンペイウスがエジプトへやってきた。しかし、征服者としてではなく、逃亡者としてだった。

p208
プトレマイオス政府は、自らの権力を保証している人と物(ガビニウス軍)を奪い取られてしまうリスクを冒すことになる。しかもポンペイウスが再び敗北する可能性も大いにあり、そうなれば勝者が自分たちに好意的であろうはずはない。むしろ、これはカエサルの好意を勝ち取る好機なのではないか。

p268
オクタウィアヌスは、(略)カエサルの勝利記念競技会を個人的に主催し、再び借金をして費用を出している。この祭典の最中に彗星が出現した。通常は凶兆とみなされるのだが、オクタウィアヌスはこれを、カエサルが天に昇り神となった印だと人々を説得してしまった。それによって、八月には十九歳となるこの若者は、単にカエサルではなく神なるユリウスの子となったのである。
※オクタウィアヌスはカエサルの姪の子

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