20160620 海の都の物語―ヴェネツィア共和国の一千年〈上〉塩野七生


出版社 新潮社
発売日 2001/8/1

p50
「ヴェネツィアとフィレンツェは、性格のまるで違う二人の人間のようだ」
と書いたのは、フィレンツェの人マキャベリである。

p57
 九九一年(略)当時のヨーロッパ世界は、古代ローマ帝国の後継者をそれぞれ自任して、ことごとに争うビザンチン帝国と神聖ローマ帝国の両勢力にもまれる状態にあった。
 とくにヴェネツィアは、政治的にはビザンチン側に属しながら、地理的には神聖ローマ帝国に近いという特殊な立場にある。
p58
(元首(ドージェ)オルセオロ二世)就任一年後の九九二年五月、ビザンチン帝国とヴェネツィア共和国の間に一つの条約が結ばれた。(略)コンスタンティノープルの港に入港するヴェネツィア商船は、入港時に二ソルド金貨、出港時に一五ソルド金貨の寄港料金を払えばよいという項である。合計一七ソルド金貨だ。ジェノヴァをはじめとする他国の商船が(略)三〇ソルド金貨(略)だから、ヴェネツィア商船にかぎり、今後は一三ソルド金貨を節約できる。(略)
 ヴェネツィア側の義務は(略)内心は待っていたこと。広大な領土をもちながら、東はセルジュクトルコ、南はサラセンの侵略に悩んでいたビザンチン帝国は、西の防衛にヴェネツィア海軍を利用しようとした。しかし、ヴェネツィアにとっては、スラブとサラセンの海賊を蹴散らしてアドリア海の制海権を確立することが、国の発展には必要不可欠だった。
 若い元首(ドージェ)オルセオロ二世の、遠くに味方(ビザンチン帝国)を持つという外交は他にも役に立った。それからの西ヨーロッパを動乱の地にする皇帝派(ギベリン)と教皇派(グエルフ)の争いから、ヴェネツィアを守る役にも立った。もし、ヴェネツィア共和国が、神聖ローマ帝国側についていたならば避けられなかったにちがいない。

p64
これら(アドリア海)の陸地に築かれた守りと、海上をパトロールする軍船によって、ヴェネツィアは、アドリア海の〈警察〉の役目を果たした。〈警察〉の役目をするということは、大国になったということ。アドリア海はそれ以後、ヴェネツィア共和国がナポレオンによって崩壊する一八世紀の終わりまで、
「ゴルフォ・ディ・ヴェネツィア」
 ヴェネツィアの湾、と呼ばれるようになる。古い地図には、だから、アドリア海とは記されていない。

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