20160610 ボルジア家―悪徳と策謀の一族(四)~(七)

第四章 教皇アレクサンデル六世
第五章 アレクサンデルとチェーザレ
第六章 君主チェーザレ
第七章 ボルジア家の衰退とルクレツィア

第六章 君主チェーザレp202
p202
アエネアス・シルヴィウス・ピッコロミニ
※クザーヌスの大切な友人ピウス二世

p237
一五〇二年(略)
p239
 七月末にはアレクサンデル六世は息子チェーザレがウルビーノとカメリーノの支配者になったという知らせを受けた。(略)だが、ウルビーノにたいする卑劣な不意打ちは、ほかのイタリアの君主たちに大きな衝撃を与えた。フィレンツェ共和国は急いでニッコロ・マキャベリをウルビーノに派遣し、征服者の今後の計画を打診させた。このきわめて冷静な政治観察者の送った報告は、共和国を安心させてはくれなかった。

p248
 一五〇三年(略)八月始めに(略)例によって、市内にマラリア性の熱病が発生した。八月五日、肥満してはいるが、有能な枢機卿ボルジア・ランソル一世が死んだ。(略)
p249
教皇と彼の息子は数日後に発病した。(略)若くて丈夫なチェーザレは、頑強に病気に抵抗していた。八月一八日金曜日、アレクサンデルは懺悔をし(略)六時頃、アレクサンデル六世は意識を失い、晩祷の時刻に死んだ。

第七章 ボルジア家の衰退とルクレツィア p251

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