20160225 ボルジア家―悪徳と策謀の一族(一)

マリオン ジョンソン 著
海保 真夫 翻訳
出版社 中央公論社
発売日 1987/7/1

第一章 ボルジア家の始まり──ローマを目指して

p7
 ボルジア一族興隆の始祖アロンソ・デ・ボルハ(ボルジアはイタリア化した名)は、五人きょうだいのただ一人の男子として一三七八年に生まれた。(略)
p9
利益のあがる職業、たとえば貿易商、小売商、職人などは、「改宗者たち」のものだった。キリスト教社会に同化したムーア人やユダヤ人のこと。(略)だが郷士の選ぶべき道は、古い諺にあるように「教会か海か王家」。(略)
 アロンソ・デ・ボルハは軍職を避けた。(略)教会法および民事法専攻の学生として、十四歳でレリダの大学に登録されている。
p10
 新領土に力を広めていくにつれ、国王は配下の騎士たちが膂力に秀でてはいても、能率的な行政をおこなう素質や訓練をまったく欠いているのに気がついた。したがって家柄のよい頭脳明晰な学生にとって、出世の機会は十分に存在した。王の行政府は、論理学の訓練を受け、ラテン語と近代諸国語に熟達し、実務の知識を多少備えた男にポストを用意しており、また教会も、教会法に通じた優れた法律家を諸手を上げて歓迎した。(略)
p11
 アロンソは教会法と民事法の博士号を獲得した後、講師としてレリダに止まった。三十歳に達する頃、次第に地位が向上し始め、一四〇八年にレリダ司教区の査定人および執行官となり、三年後に僧会議員に任命された。このとき下級聖職者の資格を授与された可能性が大きい。ただし正式に司祭に叙品されるのは十八年後( 一四二六年 )のことである。

※一四〇八年(一休数え一五歳)
p22
和尚が十五歳の作とつたえられるこんな漢詩がある。
春衣して花に宿る
しゅんいしてはなにやどる
(『一休』水上勉)

p11
アロンソは早くから人びとの注目を集めていた。聖ビンセント・フェツレルが彼の才能に目をとめ、「有徳の人間が到達しうる最高の権威が彼の将来に横たわっている」と予言したと伝えられている。聖ペテロの後継者の地位、すなわち法王(教皇)の座のことか。
p12
 当時、教会ははなはだしい混乱状態。明らかに法王は「有徳の人間の持つ権威」に欠けていた。アロンソの生まれた一三七八年は、大分裂(一三七八~一四一四年。ローマとアヴィニヨンにそれぞれ法王(教皇)がいて反目)の開始。
※ 足利義満が幕府を室町に移す(花の御所)

西欧諸国の利害対立
統一キリスト教世界という理想は引き裂かれ
法王は民族主義の台頭と諸王の露骨な利欲に直面して、無力。
※教皇も利欲だろ。

すでに十四世紀の初頭に、フランス王(イケメンのシャルル四世だっけ?)が教皇を南仏のアヴィニヨンに連行。「バビロニアの幽囚」。
 グレゴリウス十一世が死去し、一三七八年に枢機卿一同による教皇選出の会議コンクラーヴェが教皇庁に開催されたとき、ローマ市内には暴動発生。
暴徒はヴァチカンの壁を叩き、「俺たちにローマ人の教皇をよこせ。さもないとお前たちを皆殺しにするぞ」と叫んだ。騒々しい恥知らずな談合の後、震え上がった枢機卿たちはローマ人ではないにせよ、少なくともイタリア人の教皇、ウルバヌス六世を選んだ。この猛々しい老人は正直な善意の人物ですこぶる精力的。彼は教会の腐敗を根絶し、諸王、特にフランス王の干渉を排して教皇の権威を回復しようと固く決意していた。だが、その方法たるや自然の猛威そのもので、落雷のごとく気まぐれで破壊的だった。シエナの聖女カテリーナのように、教皇の方針を支持する善良な人びとでさえ、彼の荒っぽさと不手際とには唖然とさせられた。
p13
 ウルバヌス六世はたちまち教皇庁内部のフランス派の敵意を買った。彼はフランスのアミアン市の有力な枢機卿をつかまえて、怠け者の悪党と公然と罵った。聖女カテリーナはこの性急な老人に、「救い主の御名にかけて、どうか教皇様にはその激しいご気性を和らげてくださいまし」と懇願した。だが、いかなる忠告も効き目がなかった。荒れ狂う非妥協的な教皇に直面して、フランス派は反乱を計画した。一三七八年八月、フランス軍に守られた十三人の枢機卿は、ウルバヌス六世の選出を無効と宣言し、かわりにクレメンス七世を教皇に指名。フランス派に擁立されたクレメンスは直ちにアヴィニヨンに退いた。
 かくして二人の教皇が君臨する大分裂の時代。短期間だが、三人が鼎立という事態さえ出現。各国の君主は自国の利益に基づいて、アヴィニヨンとローマのいずれかを支持。スペインはアヴィニヨン派。一三九四年(※一休誕生)には自国のペドロ・デ・ルーナがこの対立教皇に選ばれ、ベネディクト十三世を名乗る。この「月光教皇」(ルーナはローマ神話の月の女神)の背後で、法律家としてその手腕を注目され始めるのがアロンソ・デ・ボルハ。彼に最初の寺禄(*1)を与えたのもベネディクト。
(*1) 寺院に給付された禄。
p14
 この二人を和解させるべく、ドイツのコンスタンツで宗教会議が開かれたとき(*2)、アロンソも一四一六年にレリダ司教区の代表に選ばれて、派遣されることになったが、実際には出席していない。というのは、同年に即位した若いアラゴン国王アルフォンソ五世が、この宗教会議の趣旨に反対していたから。かわりにアロンソはバルセロナに行き、アルフォンソ五世の主宰するアラゴン教会の会合に出席した。翌一四一七年、アロンソはレリダ司教区より微妙な財政上の交渉を依頼され、再び国王のもとに。
p16
彼がこの任務を巧みに処理したことは間違いない。アルフォンソ五世はこの法律家の才能に強い印象を受けたのだろう。直ちにアロンソを自分の近臣のひとりに加え、秘書に起用している。
 障害は存在したが、コンスタンツの宗教会議は、対立しあう教皇たち全員(いまやその数は三人)の罷免を決定。その後のコンクラーヴェで、ローマ貴族のオットーネ・コロンナ枢機卿が教皇に選ばれ、マルチネス五世を名乗る。しかしスペイン人のペドロ・デ・ルーナは宗教会議の決定を受け付けず、依然としてベネディクト十三世を称して、アラゴンにある海に突き出たペニュスコラ城に閉じこもった。

(*2) コンスタンツ公会議(コンスタンツこうかいぎ)は1414年から1418年にかけてドイツのコンスタンツで開催されたカトリック教会の公会議。3人の対立教皇を廃し、一人の正統なローマ教皇を立てることで教会大分裂(シスマ)を終結させた。またジョン・ウィクリフと、その影響を受けたヤン・フスを有罪とした。コンスタンツ公会議は教皇権が失墜した中で、公会議主義者が主導した唯一の公会議となった。(Wikipedia)

対立教皇の存在はアラゴン国王アルフォンソ五世にとって頭痛の種。いまだ二十歳。新秘書アロンソ・デ・ボルハに期待。
p17
アロンソの忠誠は?
ローマ教皇に従い、統一キリスト教世界の実現をめざすのか。
(地元アラゴンの)スペイン教会の繁栄(=ベネディクト十三世支持)なのか。
権力と歳入の増大を図ってしばしば教会と衝突する新主人アラゴン国王アルフォンソ五世に味方か。
アロンソは法律家。現実的。目前の任務の遂行に全力。
 ローマ教皇の使節アディマリ枢機卿がスペイン到着、対立教皇ベネディクト十三世の廃位をせまったとき、アルフォンソ五世とアロンソは打合せ済み。
p18
アラゴン国王はスペイン教会の基金管理でローマ教皇と争い中。この問題の答えにより、対立教皇にたいするアラゴン国王の態度も決まる。(略)
※三つ巴。ややこしい。

p19
行き詰まり。イタリア人らしい解決方法が実施されたという噂。
p20
七月の暑い夏の日、対立教皇ベネディクトは好物の甘いものを食べて眠りについたが、激痛で目覚め、嘔吐。だが、十日間ほど生死の境をさまよった後、徐々に回復。(略)
 毒殺容疑者と共犯の修道僧はとらえられ(略)死刑。
p21
「毒殺はイタリア特有の重要な風習のひとつだ」この事件の裁判のある傍聴者が一四一八年十月二十二日付けの手紙には詳細とともにそう書かれている。
 アルフォンソ五世はこの事件に強いショックを受けたと表明。
 教皇使節アディマリは慌てふためきながらスペインを去る。
 対立教皇ベネディクトは(略)一四二二年に世を去るまで孤独な支配を守った。
 アルフォンソ ※後日
p22
 アロンソ ※後日

※身内をひたすら栄えさせる衝動。

p33
アルフォンソ王の浪費
ポッジョ・ブラッチョリーニなどは、イタリア精神史に名を残した。
だが、芸術の庇護に金貨で年に二万フロリン

p34
法王マルチネス五世、一四三一年に死去。後継者エウゲニウス四世、バーゼル宗教会議と争い。(略)
一四三九年、フィレンツェに新たな宗教会議には、アロンソもバレンシア司教区およびアラゴン使節団の代表として、会議に出席した。(略)
p35
一四四二年、アルフォンソ王はついにナポリ王座獲得。頑固なエウゲニウス法王ももはや承認を拒めなかった。(略)
一四四三年、法王使節のスカランポ枢機卿とアラゴン国王の大臣アロンソはテッラチーナで会談。互いに了解。エウゲニウス法王はアルフォンソ五世をナポリ王と認め、アルフォンソもエウゲニウスを法王と承認。またアルフォンソは後にミラノ公となるフランチェスコ・スフォルツァから法王領を守ることを約束。当時スフォルツァは中部イタリアを急速に戦場にかえつつあった。法王はまたアルフォンソ王に、テッラチーナとベネヴェントの両都市の終身領主権を下賜した。
 アロンソ・デ・ボルハは、一四四四年、ローマのサンティ・クワトロ・コロナティ教会の司祭枢機卿に任命され、枢機卿会の一員に。

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