20151128天才力: 三巨匠と激動のルネサンス/ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエッロ はじめに

天才力: 三巨匠と激動のルネサンス/ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエッロ
雨宮 紀子
出版社: 世界文化社
発売日: 2013/3/2

はじめに p6
p6
 ルネサンスは人間の新生であり、再生ととらえられている。一五世紀にイタリアの各地で起こっていたルネサンスの動きは、一六世紀には頂点に達して、ヨーロッパ中に広がった。ルネサンスを伝えたのは、世界と人間の発見という新しい世界観を示すような芸術家、探検家、発見者たちだった。一五世紀のその中心地はフィレンツェだった。
※神が死に始めた。生活の中から神が消えていく。食前の祈り、日曜日の朝の教会。しつけの台詞「神様が罰を与えるぞ」などなど。

■一四五二年
 レオナルド・ダ・ヴィンチが誕生。そのころから、フィレンツェは事実上メディチ家の支配下にあった。(略)レオナルドはルネサンスのさなかに生まれ、それを完成させ、終わらせたともいえる。
 この時代になってそれまで卑下されていた芸術家が知的にも社会的にも尊敬されるようになった。
※もう一冊のレオナルドの本の冒頭の話。ミラノ公が二〇〇〇ドゥカートと嘘をつく。

 レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロの三人は芸術家のなかの芸術家として特別な地位におかれ、かれらの作品はローマ教皇やヨーロッパ中の王や貴族から欲しがられるようになる。
 三人の中でレオナルド・ダ・ヴィンチには聖地(ホームグランド)がない。ミケランジェロにはローマのシスティナ礼拝堂 (*1) があり、ラファエロにはバチカン宮殿 (*2) の「ラファエロの間」があるが、レオナルドはミラノに剥落の激しい「最後の晩餐」を残しただけだ。その生涯はフィレンツェとミラノを行ったり来たりと、ローマからフランスへの移住で終わり、一カ所に定住しなかったからだ。
(*1) システィーナ礼拝堂は、ローマ教皇の公邸バチカン宮殿にある礼拝堂。サン・ピエトロ大聖堂北隣に位置するその建物とともに、ミケランジェロ、ボッティチェッリ、ペルジーノ、ピントゥリッキオら、盛期ルネサンスを代表する芸術家たちが内装に描いた数々の装飾絵画作品で世界的に有名な礼拝堂。
(*2) バチカン宮殿(ばちかん きゅうでん、Palazzi Apostolici, Palazzi Vaticaniとも)は、バチカン市国内のサン・ピエトロ大聖堂に隣接するローマ教皇の住居。

■1503年8月18日アレクサンデル六世死去

■一五〇四年 秋
 真筆と認められるレオナルドの作品数は少ないが、ミラノからフィレンツェに帰ってきたことで、盛期ルネサンスに与えた影響は決定的だった。
 それは、一五〇四年の秋に始まる。

■一五〇五年から〇八年
 ミケランジェロもラファエロもローマに移り、ローマ教皇(*1)につかえて代表的な傑作を制作するが、盛期ルネサンスは黄昏を迎える。
(*1) ユリウス二世。ボルジア家の宿敵ジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ。

■1507年3月12日チェーザレボルジア死去

■一五一九年
 レオナルドは死んだ。
■一五二〇年
 ラファエロは死んだ。美術史ではその年が盛期ルネサンスの終焉といわれる。

 ラファエロの死後はマニエリスムになり、技巧が高度に発展して洗練され、定型化してくるのが特徴だが、ミケランジェロにとっては内面の葛藤や時代の緊張感を反映させた表現手段になっている。
※具体的には?
その背景に、イタリアでも宗教改革に影響された改革派が活動し、異端審問による激しい弾圧があった。ミケランジェロは時代の良心ともいわれるようにこの信仰の改革をめぐって煩悶した。
 この点で宗教心をもっていなかったレオナルドとは異なり、この信仰の違いが二人の間の対立や敵意になったともいわれる。

 トスカーナ地方では同時代人から先駆者として認められていたが、代表作といわれる作品三、四点もレオナルドはフランスに持って行ったため、何世紀もの間、一般の目には触れられなかった。大量の手稿もあちこちのコレクションに眠るままになっていた。

■一五五〇年
 その生涯も謎だらけのために多くの伝説や神話が創られた。その始まりは、ジョルジョ・ヴァザーリが一五五〇年に出版した『芸術家列伝』の中で、レオナルドが「フランス王の腕に抱かれたまま息を引き取った」という記述である。ヴァザーリのこの本はルネサンス時代の芸術や芸術家について知ることができる史料として用いられてきたが、この話はウソだとわかっている。また、有名な「ラ・ジョコンダ(モナ・リザ)」の絵も、かれがモデルについて書いたためにモナ・リザとして広まったが、謎はいまだに多い。
p8
 ヴァザーリといえば、フィレンツェ政庁舎(パラッツォ・ヴェッキオ)の「五百人広間」の東壁に一六世紀後半にフレスコ画を描いたが、その壁の下に未完で放棄されたレオナルドのフレスコ画「アンギアーリの戦い」の何かが残っていることが最近の調査でわかった。(略)一五〇〇年代初頭の戦闘画が、どういう状態かわからないにしても残っているかもしれないと期待が高まっている。

■一五六四年
 ミケランジェロは一五六四年まで生きたが、それはイタリア最大の危機の時代といえる。新航路の発見で貿易の中心は地中海から大西洋岸に移り、経済は衰退した。北ヨーロッパでは強力な中央集権国家が成立しつつあったが、イタリアではまだ都市国家が抗争を続けて分裂していた。ローマ教会の退廃に異議を唱えるプロテスタントの宗教革命が起こり、ヨーロッパに吹き荒れた。宗教改革が北ヨーロッパのルネサンスだったという論もある。

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