20160211 18歳から考える国家と「私」の行方 〈東巻〉: セイゴオ先生が語る歴史的現在 3講 松岡正剛

第三講 プロテスタントとリヴァイアサン
p98
信長は天文三年(一五三四)
秀吉は天文五年(一五三六)
家康は天文一一年(一五四二)
世界に君臨していた専制君主
エリザベス女王(エリザベス一世)一五三三年生まれで信長の一歳年上のお姉さん
ユーラシアをまたいだ地球の両端の小さな島国で、かたやエリザベスが、かたや信長が、ほぼ同い年で専制君主として国内統一に君臨していた。
(略)
エリザベスが全盛を誇る直前に黄金期を形成しつつあったスペインでは、フェリペ二世が君臨。エリザベスの六つ年上。欧州一の海運力の帝国。(略)フェリペ二世が還暦を迎えた六〇歳。一五八八年、エリザベスが五五歳、スペイン無敵艦隊アルマダがイギリスに負けた。
イギリスは「七つの海」を支配していった。
p99
ロシアのイワン四世。イワン雷帝。ソ連の映画監督エイゼンシュタイン『イワン雷帝』製作。オーソン・ウェルズ(*1)やジョン・フォード (*2) や黒澤明が影響を受けた。
 エイゼンシュタインは日本の歌舞伎のスペクタクル演出に影響を受けたという。

(*1) 『市民ケーン』と『第三の男』(キャロル・リード監督)。前者は監督としての代表作、後者は俳優としての代表作。
(*2) 西部劇の神様。『黄色いリボン』など多数。

p100
イワン雷帝が一五三〇年生まれで信長のわずか四つ上。
 インド、ムガール帝国のアクバル大帝。トルコ系イスラム王朝で、インド大陸史上最大の帝国。第三代がアクバル大帝で、一五四二年生まれなので、家康と同い年。
 アクバル大帝は北インド統一、デカン高原進出、諸宗教が混在してもやっていける「ディーネ・イーラヒー」という、一種の神聖宗教システムをつくった。ラージプートなどの在地勢力を効果的にとりこんだ。信長は延暦寺を焼き払ったが、アクバル大帝はヒンドゥー教に寛大だった。
(略)
一六世紀から一七世紀の専制君主たちは帝国をもち、世界を支配しようという野望をもち、宗教を仕切った。
p101
秀吉の朝鮮戦役は、中国を支配してアジア大陸を天皇と豊臣家で押さえようという計画。
 秀吉が甥の関白秀次にひそかに「唐入り」「国入り」計画書。まず後陽成天皇を「北京に移す」。日本の首都を北京に。秀次は「大唐の関白」に。つまり「中国の総理大臣」に。自分・秀吉は寧波(上海の南)あたりに住む。
 日本の帝位は若宮(良仁親王)か八条宮(智仁親王)に継がせる。政治は秀次の弟の羽柴秀保か宇喜多秀家(岡山城関連)にやらせる。朝鮮も羽柴秀勝が治める。日本・朝鮮・中国を支配。「東アジア豊臣王朝」構想。
 最近の研究では、信長も大陸進出の野望。

p102
イギリスの謎

コーヒーハウス
議会
背広
サッカー
イギリスがわからないと植民地主義がわからず、資本主義の確立がわからず、アメリカもわからない。米ソが二〇世紀の世界支配の覇権を争う前は、イギリスがチャンピオン。
p103
ところがイギリスがわかりにくい。
エリザベス女王までのイギリスと、エリザベス女王直後のイギリスがつかみにくい。
正確には「イングランド」。
(略)
イギリス以前。
古代ローマが領有していたブリタニアを放棄した地「ブリテン」。
その地に、五世紀ころからジュート人、アングル人、サクソン人が上陸。
日本の大和朝廷の萌芽と同じ頃。
 先住民ブリトン人をウェールズとかスコットランドに追いやって「七王国」が。この頃の物語が、「アーサー王伝説」として有名な聖杯伝説や円卓の騎士。
 その後もデーン人やノルマン人が来て、エセックスがアルフレッド大王やイングランドのクヌート大王。そのあとヴァイキングなどに荒らされ、教科書で有名なノルマンディー公ウィリアムスが、ヘースティングスの戦いでイングランドを支配してアングロ・ノルマン帝国をつくる。これがイギリスの国内統一。やっと一一世紀の一〇六六年。
p104
 最初は「フランスっぽい国」。アングロ・ノルマンのノルマンは「(フランスの)北の人」の意味。ノルマン人はもともとはスカンジナビアにいたゲルマン民族が南下してフランスに定住。そこでは「ノーマン・フレンチ」というフランス語方言。このノルマン人がイングランドに来て、ウェールズやアイルランドに広がった。だから、この時点ではイギリスはいわば北フランスの延長。
「ロビン・フッド」の原型物語が古いアングロ・サクソン語やケルト語で語られていた。「ロビン・フッド」の語り部たちは、ノーマン・フレンチに対する抵抗として、ロビン・フッドを昔言葉で語っていた。
 日本も大和朝廷に抵抗する各地の物語が、おおむね方言のまま『風土記』などに残っている。
 けれどロビン・フッドの言葉はマイナーのまま終わり、一二世紀以降に「古英語」として復活。当時はJKQWZのアルファベットはない。その後「中英語」を生み、一六世紀に近代英語としての「新英語」で、やっとエリザベス女王時代のシェイクスピアの英語になる。現在の英語はそこからさらに発展した新々英語。

p105
イギリスが活用したキリスト教
p106
六世紀には教皇グレゴリウスが派遣したアウグスチヌス(※科学をストップさせた)がイングランドに入って、アングロ・サクソンをキリスト教に改宗させている。そしてカンタベリー修道院を建てて、初代大僧正に。日本に仏教が定着した頃。
 このキリスト教がイギリスという国の確立に極めて特異な役割を果たす。日本の仏教の役割に近い。
「ノルマン的でフランス貴族的」
「アングロ・サクソン的でケルト的」
この対立を、キリスト教があいだをとって、国民的な統一観をつくっていく。
※よくわからんが、右派と左派を中道派がまとめるみたいな?
p106
「百年戦争」
イギリスはフランスを近親憎悪。「似て非なるもの」になりたかった。
フランスが太陽の国
イギリスは星の国
ルイ一四世「太陽王」
エリザベス女王「星界の女王」
イギリスは自分の国からフランスっぽさを消したい。いまでも「アングロマニア(アングロ野郎)」「ガロマニア(ガリヤ野郎)」となじりあう。英は仏を「オンドリ」と、仏は英を「ブルドッグ」とからかう。
 冗談ではない。英は自分たちを「ブリティッシュ」と言うのが好き。仏はわざと「イングリッシュ」と冷たく言う。互いに譲らない。
※日中韓みたいなもの。
p107
バルザック『谷間の百合』で「イギリスとフランスはいつだって敵どうしだ」。
ブレア首相の後継、労働党のゴードン・ブラウン「ブリティッシュネス」。国旗掲揚など愛国心の復活を試みた。
p107
 ともかく、エドワード三世からはじまる英仏間の百年戦争(一三三七~一四五三)で、封建貴族のパワーが落ちてにっちもさっちもいかなくなったイギリスのなかで、そこにわだかまる英仏的な対比性を緩和していたのがキリスト教。百年戦争はジャンヌダルクが登場して、英が仏を攻めきれなかった戦争。
※具体的にどのように「英仏的な対比性を緩和」していた?

p108
ヘンリー八世がアン・ブーリンに恋したので英国国教会(イギリスのナショナリズム)が生まれた

p113
イギリスに混入する「異質」エミグレ

p118
エミグレ──理念的移住
p119
一七世紀のヨーロッパは「理念的移住の時代」。

p121
一神教と多神教

p125
過激に改革、プロテスタント

p129
とどまった者のピューリタン革命(出て行ったのがピルグリムファーザーズ)

p132
『リヴァイアサン』──国家とは「人工人間」の集合

p138

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