20150802 魔術と占星術 (ヘルメス叢書)

魔術と占星術 (ヘルメス叢書)
アルフレッド モーリー
Alfred Maury 原著
有田 忠郎 翻訳
出版社: 白水社
発売日: 1993/10/1

p13
 人間は(略)特殊なやり方と呪文を通じて、物理的な力を自分の欲望と計画に従うよう強制し得ると考えた。(略)
 古代人は(宇宙や自然の)諸現象を、不変かつ必然的な、常に活動し常に計測可能な法則の結果とは見なさず、もっぱら精霊ないし神々の恣意的で浮動的な意志に従属するものとみて、その作用こそ自然現象の発動因だと考えた。(略)
 宗教が、嘆願と祈りによって獲得できると信じたものを、魔術は呪力と呪文と祓いによって得ようとした。

p47
(略)ギリシャの国に魔術mageiaという言葉自体を持ちこんだのは、ダリウスとクセルクセスが遠征に随行させた祭司たちであった。

※アッシリア…メソポタミア北部
※カルデア…メソポタミア南東部。 カルデア人は紀元前7世紀に新バビロニア王国を建国した。

p48
(略)セレウコス朝が、神政政治には不向きなギリシャの政治諸原理をアッシリアに導入したとき、またギリシャ神話の介入が古い東洋的神話を変質させ、帝国の首都がバビロニアからセレウケイアに移されたとき、カルデアの魔術師は信用を失った。(略)アッシリアの祭司たちは四散しはじめ、彼らのうち何人かはギリシャや小アジアに一旗あげに出かけた。(略)アポテレスマティケーつまり天体の影響に関する学問が、ギリシャ人の間に流行しはじめた。「カルデア人」という語は占星術師とか占い師の同義語となった。
p49
 エジプトの魔術や占星術も、ギリシャ人の間に入ってきた。この二国の教義はひとつの教義集に融合し、ついには「占星術」という名を得るに至った。(略)その時代は、往時の神々に対する信仰が傾きかけ(略)哲学がその土台をゆるがせた信仰にかわる信仰を東方に求めていたのである。

※人間はどうしても神様を信じたい。

p49
エジプトやアジアから取り入れられた思想が、オルフェウスという仮名のもとに流布し、それよりは素朴で詩的なホメロスの伝説に接ぎ木されていた。往時の荘重で単純な盛儀にかわって、東洋的神秘主義に色濃く染まった儀式がなされるようになり、単に庶民的陽気さのかしましく自由な表現でしかなかったものにかわって、狂信的心酔が現れた。

※エジプト+ペルシャ=ギリシャ

第4章 ローマとローマ帝国における魔術 p53
p54
腸卜僧の知識よりはもっと確かな知識をカルデア人が持ち合わせているのではないかというひとびとの期待もあって、カルデア人たちは永遠の都ローマに礼を尽くして迎えられたのである。(略)ローマにはカルデア人がはびこり、ギリシャ哲学の学徒を自任する者もひとりならずカルデア人に相談に駆けつける始末であった。

第6章 魔術および占星術に対するキリスト教の戦い
p74
聖バシリウスおよび聖アウグスチヌスは、雄弁を駆使して占星学者たちに抗議し、『使徒憲章』やいろいろな公会議は、あらゆる種類の卜占術を破門にした。その上、占星術は、キリスト教の摂理の理論と完全に対立するある種の宿命論をともなっていた。(略)伝説によれば、悪意の天使たちが占星術をハムに教え、他方天文学は、善良な天使たちによって、セツ、エノクおよびアブラハムに啓示された。

第7章 中世における魔術と占星術
p117
ハリケーンや嵐は、地上に向かって猛り狂う悪霊たちの仕業であると、昔ながらに考えられていた。一三世紀の偉大な神学者聖トマス・アクィナスはこの考えを受け入れているが、これは、彼が呪いの実在性を認めていたのとまったく同断である。

p123
 ダンテは『地獄篇』の中で、冥界の一圏内に占星術師と卜占師を登場させた。そして、彼らの罪深い好奇心が、奇怪にも体をねじまげられるという刑罰を受けるのをまのあたりにし、彼を襲った憐れみの念に対して、詩人は彼の案内者につぎのように語らせている。

神の審判にむかいて憐れみを起こす者あらば、
これより大いなる罪びとあらんや
(地獄篇 第二〇歌、二九行、三〇行)

第9章 ルネサンスより現代に至る魔術と占星術
p135
古代に対する嗜好は、スコラ哲学によって空白状態に追いやられ(ていたが)、ルネサンスになると再び蘇った。(略)ホメロス、ヴェルギリウス、プラトン、キケロ、プルタルコスらの言葉の美しさは、(略)異端扱いされた(略)一傾向を復活させた。(略)一四五七年に没したロレンツォ・ヴァルラ、その二年後に没したポッジョ・ブラッチョリーニ、フィレンツェのジャノッツィ・マネッティ、ヴェネチアのヘルモラオ・バルバロ、アンジェロ・ポリツィアーノ、なかでもマルシリオ・フィチーノ。このようなひとびとはプラトン派・ストア派哲学の教説を帰り咲かせた。
p136
この時代にはまだ、自然の法則は(略)十分に知られていず、物理学者といえども、当時は相変わらず、いささか魔術師的側面をもっていた。(略)アルベルトゥス・マグヌス、ロジャー・ベーコン、アルノルド・デ・ヴィラノヴァ、ライムンドゥス・ルルスらの魔法使いとしての評判も、そんなところに由来する。

p140
最高法院は厳しい態度を崩さなかった。魔術の領分は、生理学、化学、あるいは医学のために、日一日と分割されていったにもかかわらず、一八世紀中葉まで、その現実性は支持された(一七一八年、ボルドー最高法院の判決により、一人の魔術師が焚殺されている)。

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