20150606ヨーロッパ中世史(概要)~作成中~

■~9世紀

【800 カール大帝戴冠】

476年、西ローマ帝国滅亡byゲルマン人傭兵隊長オドアケル。東ゴート王国、都ラベンナ(ベネチアの南、フィレンツェの北東。アドリア海沿岸)。
http://www.kobemantoman.jp/sub/111.htm

メロヴィング朝481-751(フランク王国その1)
481年にクローヴィスがフランク諸族を統一してメロヴィング朝フランク王国を建国。
カロリング朝751-840(フランク王国その2)
8世紀前半の宮宰カール・マルテルは、イベリア半島からヨーロッパ進出を図っていたイスラーム勢力(ウマイヤ朝)をトゥール・ポワティエ間の戦いで撃破。
当時、聖像禁止令などをめぐり東ローマ皇帝(ビザンツ皇帝)との対立を深めていたローマ教皇。カール・マルテルの子ピピン3世(小ピピン)は、ローマ教皇の支持にも助けられて、カロリング朝フランク王国を創始。返礼として、北イタリアのラヴェンナ(東ゴート~ランゴバルト王国)を教皇に寄進、ローマ教皇領の起源。
800年、その息子シャルルマーニュ(カール大帝)、ローマ教皇レオ3世からローマ皇帝の冠を受けた。
カール大帝は、降伏したザクセン人の指導者ウィドゥキントを改宗させ、ザクセン公に。文化推進、カロリングルネサンス。

843年、ヴェルダン条約によってフランク王国の所領が三分割。
870年、メルセン条約で、現在のフランス・ドイツ・イタリアの礎となる西フランク王国、東フランク王国、イタリア王国が成立。


■10世紀

【962 オットー1世初代神聖ローマ皇帝】

911年、西フランク王シャルル3世、ノルマン人のロロにノルマンディー公国。(のちにイングランド征服)

ザクセン朝919~1024(ドイツ。神聖ローマ帝国)
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%83%B3%E5%85%AC%E5%9B%BD
919年、ハインリヒ1世、ドイツ王(ザクセン朝)。
962年、息子オットー1世、 初代神聖ローマ皇帝に。教皇ヨハネス12世より。

カペー朝987-1328(フランス)
※後のヴァロワ朝やブルボン朝、オルレアン朝はカペー家の分族。
987年、パリ伯ロベール家のユーグ・カペーがカペー朝を創始。


■11世紀

【1077 ハインリヒ4世カノッサの屈辱】

1016年、デーン人(ノルマン人の一派)クヌート王、イングランド征服。死後アングロ=サクソン王家復活。

ザリエル朝1024-1125(ドイツ。神聖ローマ帝国)
1024年、皇帝ハインリヒ2世(ザクセン朝)は後継ぎなく没。同年、ドイツ聖俗諸侯は全員一致でザリエル家を選ぶ。以後、約100年、ザリエル朝としてドイツ王および神聖ローマ皇帝を世襲した。

ノルマン朝1066~1135(イギリス)
1066年、ギヨームはイングランド王ウィリアム1世として戴冠。フランス王臣下にしてイングランド王。その後の英仏関係は紛糾。
http://rhode.s17.xrea.com/report2.htm

1077年、ハインリヒ4世(ドイツ。ザリエル朝)、カノッサの屈辱。叙任権闘争。皇帝vs教皇(ドイツ神聖ローマ皇帝vsカトリックローマ教皇)

1099年、第1回十字軍、エルサレムの征服。


■12世紀

【1187 リチャード1世獅子心王】

ホーエンシュタウヘン朝1125-1254(ドイツ。神聖ローマ帝国)
1125年、皇帝ハインリヒ5世(ザリエル朝)、後継ぎなく没。以後、ホーエンシュタウフェン朝が1254年まで続く。

1154年、フリードリヒ1世バルバロッサ(ドイツ。ホーエンシュタウフェン朝)、イタリア遠征。

プランタジネット朝1154~1399(イギリス)
1187 サラディン(アイユーブ朝)、エルサレム奪還。
イングランド王リチャード1世(獅子心王。対サラディン)
ジョン王(失地王。マグナカルタ。リチャード1世の弟)
フランス王フィリップ2世(尊厳王)
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%972%E4%B8%96_%28%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E7%8E%8B%29
フィリップとプランタジネット家の息子達とは兄弟のような関係。ルイ7世とアリエノールの間に生まれた共通の異母姉・異父姉を持つから。
フィリップは彼らと争い、プランタジネット朝の領土だったノルマンディーやアンジューを奪った。

1196年、ガイヨン条約でジソールを除く占領地の全てをフィリップはリチャードに返還。しかし1199年にリチャードは戦死、ジョンがイングランド王に。

プランタジネット~テューダー朝
プランタジネット朝1154~1399
②リチャード1世 第一回十字軍参加
③ジョン マグナ=カルタに署名
④ヘンリ3世 マグナ=カルタを無視
⑦エドワード3世 百年戦争を始める

ランカスター朝1399~1461
①ヘンリ4世
③ヘンリ6世 ばら戦争(1455~)

ヨーク朝1461~1485
①エドワード4世
③リチャード3世 ばら戦争(1485~)

テューダー朝1485~1603
①ヘンリ7世 星室庁設置
②ヘンリ8世 首長令
③エドワード6世 
④メアリ1世 西王フェリペ2世と結婚
⑤エリザベス1世 統一令


■13世紀

【1229 フリードリヒ2世エルサレム無血返還】

1229年、フリードリヒ2世(ドイツ。ホーエンシュタウフェン朝)は血を流すこともなく、アル=カーミル(イスラム。アイユーブ朝。サラディンの甥)と条約。10年間の期限付きでキリスト教徒にエルサレムが返還。


■14世紀

【1303 フィリップ4世端麗王】

1302年、仏王【フィリップ4世・カペー朝最後の王「端麗王」「教皇を憤死させた王」】は、国内の聖職者への課税を図ってローマ教皇と対立。三部会(フランス初の身分制議会)を開催、フランス国内の諸身分から支持。
1303年、アナーニ事件。ローマ教皇ボニファティウス8世を一時幽閉、憤死。フランス人教皇のクレメンス5世を擁立。
1309年、教皇庁をローマからアヴィニョンに移転(アヴィニョン捕囚、教皇のバビロン捕囚)。フランス王権の教皇に対する優位性。

ヴァロワ朝1328~1589(フランス。カペー朝の傍系)
フランス王家はヴァロワ家、ブルボン家へと受け継がれる。
賢王シャルル五世(賢明王)金の大切さを知った。
発狂シャルル六世(狂気王)
忘恩シャルル七世(勝利王)

百年戦争1339~1453
【フィリップ4世・カペー朝最後の王】の孫にあたるイングランド王エドワード三世(1312-77。プランタジネット朝)。仏王継承権を主張。

ルクセンブルク朝(ドイツ。神聖ローマ帝国)
1356年、カール4世 金印勅書(帝国法)


■15世紀

【1429 ジャンヌダルク処刑】

ヴァロア朝1328~1589(フランス。カペー朝の傍系)
賢王シャルル五世(賢明王)
発狂シャルル六世(狂気王)
忘恩シャルル七世(勝利王)ジャンヌダルクの恩を忘れて見殺しにした。

シャルル七世はオルレアンに追いつめられた。
1429年、ジャンヌ・ダルク登場。最終的にはドーヴァー海峡に近いカレーを除く大陸領土をフランスが制圧。

ランカスター朝 1399~1461 (イギリス。赤薔薇)
①ヘンリ四世(在位: 1399年 – 1413年)
③ヘンリ六世 (イングランド王在位:1422年 – 1461年、1470年 – 1471年)(フランス王在位:1422年 – 1453年)
ばら戦争(1455~)

ヨーク朝1461~1485 (イギリス。白薔薇)
①エドワード四世(在位:1461年 – 1483年、ただし1470年から1471年にかけて数ヶ月の中断がある)
③リチャード三世(在位:1483年 – 1485年)
ばら戦争(1485~)

テューダー朝1485~1603
ヘンリー七世(在位:1485年 – 1509年)
テューダー朝初代のイングランド王およびアイルランド卿。ボズワースの戦いでリチャード三世を破って王に。戦いで王座を得た最後のイングランド王。


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