20150328ホフマンスタールとその時代

ホフマンスタールとその時代―二十世紀文学の運命 (1971年) (筑摩叢書)
ヘルマン・ブロッホ 他1名
出版社: 筑摩書房
発売日: 1971/1/1

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ホフマンスタールとその時代──一つの試論──

第一章 一九世紀末における芸術とその非様式
1合理性と装飾
p5
 合理主義はしばしば享楽主義と手を取り合っているが、その理由は、およそ物事を合理的に考える者は、多くまた生の中の享楽価値を極力享受すべきだと見なすからである。他面また合理主義は冷静・明晰で、ありのままのリアリスチックな世界考察を求め、生の非常さや恐ろしさをはっきり知ると、完璧な生の享楽などといったことは現実にはあり得ない事実をじきに発見する。
p6
ところが一九世紀の市民は、すでに非情たりうる素質をそなえていたとはいえ、まだ真に非情にはなっていなかった。というのは、すべての耽美主義(個人主義でロマン主義ido )中には、またどんなにたわいないものにせよ、すべての装飾(耽美ido )中にはシニシズム──これまたやはり合理主義的思考の産物である(この世の栄華は儚しido )──がまどろみ、懐疑主義(生とはなんぞやido )がまどろんでおり、この懐疑主義は、そこにはたらいているのが一種の「醇化作用」にすぎぬことを知っていた、いや少なくとも漠然とそのことを予感していたからである。
 装飾(美)が素朴さ(純粋、自然)を失い、合理主義から生じているところにあっては、それはもはや自由な創造物(非商業音楽、純粋芸術)ではなくなり、単なる細工物(商業音楽)にすぎなくなる。時には立派な細工(求道者)のこともないではないが、それにしても細工物であることには変わりない。そういう時はさらに装飾(耽美)は懐疑主義を蔵しているから、自己自身の拠り所というものをもたず、いろいろの模範を必要とする。合理主義とは現世的なものであるゆえ、それは現世的処方に従って展望を試みる。ローマ人は彼らの地上的規範をギリシャ芸術中に見出したし、ルネサンスはそれを古典的古代全体に見出した。そして啓蒙主義において、もう一度この過程は繰り返されている。目前の現実に向けられた合理主義の眼差しは、ほとんどいつの場合も後方に流し目を送り、往時の現世的現実の中に、現在を判断する上に必要な法則を発見しようとする。合理主義の眼差しは折衷的とならざるをえない。
 つまり、一九世紀の人間はその合理主義のせいで個人主義者でロマン主義者だったのであり、したがってまた歴史主義的な見方をした。

※つまりは、ニーチェは合理主義(神の死。人間中心)を憎んだ。神がいないとセコい耽美だのロマンだのに半信半疑で浸るしかなくなる、と。ido

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2装飾の放棄
3ドイツ芸術の価値真空
4一八八〇年頃のウィーンの楽天的黙示録
5政治的真空
6楽天的黙示録の社会学

第二章 真空の真只中での人格の構築と保持
1同化の歴史
2神童、奇跡を見る子
3夢は人生──詩人たらんとの決意
4第二の同化
5生は象徴──様式への決意

第三章 散文作品
1抒情詩の放棄と『チャンドス卿の手紙』
2物語作品
3叙事作品の放棄とエセー活動

ジェームズ・ジョイスの現代

全体小説論──『罪なき人々』の成立をめぐって──

解説 菊盛英夫

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