20141216二〇世紀の歴史 木畑洋一

二〇世紀の歴史
木畑洋一
2014.9.19
岩波書店

#

p2
一九〇〇年一二月三一日、作家マーク・トウェインは、(略)次のように慨嘆した。

私が(略)隠しておきなさい。

p3
幸徳秋水

p5
本書の起点を、マーク・トウェインや幸徳秋水が指摘していた状況が世界ではっきりしてきた時に置くことにする。それは、世界が帝国的な支配構造で覆われるようになり始めた時である。本書では、こうした問題意識から、二〇世紀の起点を帝国主義の時代が始まった一八七〇年代に求めたいと思う。
※スペイン、ポルトガルとアメリカの時代は?ido

p6
アジアやアフリカにおけるイギリスやフランスなどの帝国支配は、一九五〇年代から七〇年代にかけて解体していったが、ソ連はロシア帝国の構造をかなりの程度引き継ぎつつ存続していた。またソ連と東欧社会主義圏諸国の関係は、帝国的な性格を帯びていた。このようなソ連とソ連圏の解体も、帝国支配の時代に幕が引かれたことを示す変化であった、と本書は見るのである。
 本書はこのように暦の上での一八七〇年代から一九九〇年代初頭に至る時代を、二〇世紀として、すなわち「長い二〇世紀」として概観する試みである。

第1章 支配─被支配関係の広がり
─帝国主義の時代
p13
 アフリカ人歴史家も多く参加して書かれた『ユネスコ・アフリカの歴史』は、ベルギーのレオポルド二世の動きなどに即して一八七六年から八〇年にアフリカにおける領土争奪戦の助走が始まったと指摘した後、八〇年からの三〇年間ほどの間に革命的変化がアフリカで起こったと論じている。八〇年当時にはアフリカのごく限られた地域だけがヨーロッパ人の直接支配下に置かれていただけであったのに対し、一九一四年には、エチオピアとアフリカを例外としてアフリカの全土がヨーロッパ列強の支配の下に入ったのである。(略)
ベルリン会議
ビスマルク
p17
それまであった約一万の政治体が、約四〇の被支配地域にまとめあげられた(略)。
p19
ホブズボームは『帝国の時代』の中で(略)
資本主義諸国の経済的・軍事的優位が重大な挑戦を許さないようなものになってからも長い間、一八世紀末(産業革命開始直後ido)から一九世紀の最終四半期に至るまでの時期には、その優位を、公式の征服、併合、統治に変えていこうとする系統的な試みがなされたことはなかった。しかし、一八八〇年から一九一四年の間に、そのような試みがなされ、ヨーロッパとアメリカ大陸以外の世界のほとんどが、一握りの国々のいずれかによる公式の統治や非公式な政治的支配の下にある領土として、正式に分割されてしまった。

p26
 世界が大きく支配する側と支配される側に分かれた帝国世界の下では、こうした支配─被支配関係の存在を当然とする心性(メンタリティ)が広がっていた。

第2章 帝国世界動揺の開始
─第一次世界大戦とその後

第3章 帝国世界再編をめぐる攻防
─世界恐慌から第二次世界大戦へ

第4章 帝国世界の解体
─第二次世界大戦後の世界

終章 「長い二〇世紀」を後に

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